1970年代奥の細道
岩手県交通2(元県南バス・路線タイプ)
板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の岩手県交通の写真を掲載します。ここでは、元岩手県南バスの車両の中から県南バスの自社発注車の路線タイプをまとめます。
岩2く1399
撮影:板橋不二男様(高田営業所 1977.3.20)
岩手県交通 日野RB10(1963年式)
岩手県南バス発注車で、珍しい2扉車。恐らく、前ドア車を中ドアに改造する際、前ドアを存置したものと思われます。従って、事実上の中ドアツーマン車。
県南バス時代の画像では一関営業所の配置でしたが、陸前高田に移動してきたようです。
岩2く1402
撮影:板橋不二男様(高田営業所 1977.3.20)
岩手県交通 日野RB10(1963年式)
岩手県南バス発注車で、前ドア車を中ドア車に改造したものと思われます。窓上部には、手動ワイパーがあったと思われる痕跡も見えます。
岩2く1404
撮影:板橋不二男様(大船渡営業所 1977)
岩手県交通 日野RB10(1963年式)
岩手県南バス発注車で、前ドア車を中ドア車に改造したものと思われます。助士席側の横引き窓の形状が異なります。
方向幕は「大船渡バスセンター」。1977年撮影の写真を見ると、盛バスセンターと大船渡バスセンターが共存しており、切り替えがこの頃に行われたことが想像できます。
岩2く2139
撮影:板橋不二男様(釜石営業所 1977)
岩手県交通 日野BR10(1964年式)
東部バスからの引き継ぎ車で、側面の社名が「東部バス株式会社」から「岩手県南バス株式会社」を経て「岩手県交通株式会社」に書き換えられてきたのが分かります。県交通で株式会社まで書いてあるのはこの経歴を持つ車両だけです。
間もなく廃車になる頃です。
岩2く1542
撮影:板橋不二男様(大船渡営業所 1977)
岩手県交通 日野RB10P(1968年式)
1968年に2両が導入された貸切・路線兼用タイプ。中扉枠を持つ窓配置ですが、結局中ドアは設置されていません。
階段の陰でよく見えませんが、後ろの方に広告が貼られています。
岩2く1902
撮影:板橋不二男様(北上営業所 1978頃)
岩手県交通 日野RM100(1965年式)
夏油温泉線用には中型バスのRM100が使用されていました。小型車のナンバーで登録されており、登録年は不明ですが、連番の岩2く1901と年式が反転しているので、譲受車のようです。さらにこちらは前照灯が4灯になっており、標準仕様ではありません。
なお、この車両、側面の社名が岩手県南バスのままです。
岩22あ8
撮影:板橋不二男様(北上営業所 1982頃)
岩手県交通 日野RM100(1968年式)
手前が岩22あ8(帝国ボディ)、向こうが岩2く1901(金産ボディ)です。
手前の帝国ボディは22ナンバーですが、譲受車なのか再登録なのかは不明。
奥の金産ボディは1967年式で、上の写真の岩2く1902と異なり、前照灯は2灯です。(注1)
岩22か176
撮影:板橋不二男様(東京都 1977.5.26)
岩手県交通 いすゞBU10P(1972年式)
東京の皇居前駐車場に駐車中の貸切バス。方向幕部分には金文字で「岩手県交通」と書かれており、兼用車のようですが、貸切主体だったようです。千厩営業所配置とのことです。
社名は当然書き換えられており、側面の県南バスマークも消えていますが、その下にあった「I.K.B」の文字は残されています。
隣りには国際興業のBU20KPが停車中。いずれは岩手県交通にやってきて再会することになる車両かも知れません。
岩22か308
撮影:板橋不二男様(高田営業所 1977.3.20)
岩手県交通 日野RE100(1973年式)
県南バスでツーマン車として新製した車両ですが、前ドアを増設されてワンマンカーに改造されました。新設された前ドアの窓が小さいので、金産ボディのようにも見えますが、帝国ボディです。
県南バスエリアのワンマンカーは、1977年時点で中乗り前降りになっていたことが分かります。