1970年代奥の細道
岩手急行バス・東日本急行
板橋不二男様から頂いた1970年代を中心に撮影した岩手急行バスと東日本急行の写真を掲載します。両社とも急行バスを運行するため沿線各社の出資により設立した会社で、岩手急行バスは盛岡〜一関間、東日本急行は盛岡〜仙台間を運行していました。しかし両社とも1976年に盛岡〜一関間を廃止し、岩手急行バスは貸切専業に、東日本急行は一関(中尊寺)〜仙台間に路線短縮しています。
岩22か3
撮影:板橋不二男様(一関営業所 1981以降)
岩手急行バス 日野RC300P(1971年式)
岩手急行バスの並びです。
左の岩22か100は金産ボディの傾斜窓を持つRC300P。年式は1968〜69年頃と思われますが、岩手急行での登録は1971年。どのような前歴でしょうか。
右の岩22か3は自社発注の1971年式。
同時に撮影したと思われるほかの写真に1981年式のバスが写っているので、撮影年は1981年以降だと思われます。
岩22か4
撮影:板橋不二男様(一関営業所 1981以降)
岩手急行バス 日野RC300P(1971年式)
岩手急行バスの並びです。
左の岩22か4は上の岩22か3と同形車。
右の岩22あ18はいすゞのマイクロバスで、1971年以降の登録番号なので、BY31だと思われます。正面窓上に社名を表示していますが、正面窓下にも社名表示窓があります。
宮22か639
撮影:板橋不二男様(仙台駅 1977)
東日本急行 日野RC320P(1968年式)
撮影:板橋不二男様(仙台駅 1977)
東日本急行の仙台〜一関特急線。運行区間が一関(中尊寺)までに短縮され、盛岡まで行かなくなって間もない頃。車両は側窓が固定窓で上部が内傾斜するタイプ。初期の高速バスで見られたタイプです。
ナンバープレートが宮城ナンバーに変わっていますが、22ナンバーなので1971年以降の登録。ただし車両は1968年の開業時に用意されたものと仕様が同じなので、運転区間短縮に伴い岩手ナンバーから宮城ナンバーに変更されたのかも知れません。
宮22か24
撮影:板橋不二男様(一関営業所 1981以降)
東日本急行 いすゞBU20EP(1971年式)
撮影:板橋不二男様(一関営業所 1981以降)
仙台−盛岡間の特急バスを運行していた頃は、盛岡に営業所がありましたが、仙台−一関(中尊寺)間に短縮された後は、岩手急行バスの営業所で待機するようになった模様です。
冷房付のオバQバスで運行されていました。
宮22か939
撮影:板橋不二男様(仙台市 1977)
東日本急行 日野RC320P(1971年式)
帝国ボディの初期傾斜窓を持つ車両。側面の社名や社紋、更には「一般乗合」の文字まで金色の箱文字になっています。
宮城ナンバーでの登録がかなり後ですが、やはり当初岩手ナンバーだったものが登録変更になったのかもしれません。