絵葉書でめぐる日本バス紀行(鉄道・・・近畿地方)
ここでは、そんな関西省電を中心に、近畿地方の鉄道絵葉書を見てみます。
省線電車(国鉄)
城東線
撮影時期:1933年
城東線は現在の大阪環状線の東側半分で、大阪鉄道により開通、関西鉄道に併合された後、国鉄に買収された路線です。全区間が高架複線となっていました。
これは高架下から見上げたところ。
電車は2両編成でモハ41形+クハ55形。片町線、城東線の電化に合わせて新製された20mの新車です。
城東線
撮影時期:1933年
写真は天王寺方面を望む方向で、だいぶ先で線路が右にカーブしているので、桃谷駅から寺田町駅方向を見たところでしょうか。
発車して行く電車は、パンタグラフが後ろに見え、こちら側の妻面に全検表示がありますので、両運転台のモハ40形。001〜019の19両が初期ロットとして製造されていますが、これは奇数車。
運行灯には20と出ています。
城東線
撮影時期:1933年
東洋一を誇る大大阪玄関のその一部
撮影時期:1930年代(1934年頃)
左側のホームに停車中の電車はモハ43形。東海道線京阪神間の電車化のために1933(昭和8)年から製造された形式です。
中線の向こうにいるのは、モハ43形+クロハ59形のようです。
いずれの車両もベンチレーターが1列なので、初年度製の一次形です。恐らく製造後間もない頃と思われます。
(神戸)全市を縦貫せる高架線 省線電車疾走
撮影時期:1930年代(1934年以降)
電車はモハ43形を先頭にした4両編成。左から2両目は、2等合造車のクロハ59形です。多客時には4両編成で運転されました。
京阪神を走る流線形急行電車
撮影時期:1930年代(1937〜39年)
モハ52004を先頭にした4両編成。
車体に多少の汚れも見えていますので、新車の時期ではないようです。
大阪府
大阪難波橋
撮影時期:1910年代(1915年以降)
コンダケ立派ナ大ケナ石橋ハ東洋デハ外ニオマヘンヤロ、大正四年ニ出来テ五十萬円カラカカテマツセ橋ノ中央ノ下ヲ埋立テ公園ガデケテイロイロノ運動場ガオマスサカイ仰山人ガ遊戯シテマッシャロ
大阪市電は552の番号が見えますので、1911(明治44)年から製造された初のボギー車である501形です。
電車交通の頻繁なる阪神急行高架線
撮影時期:1930年代
車両は1形です。この形式は昭和初期に鋼体化され、ダブルルーフのまま平妻となっていますので、その後の姿。側窓6個の上の幕板が広いのが特徴。
大阪市立電気科学館
撮影時期:1950年代
ここんとこのプラネタリウムとか言うもん、大したもんだすナ 星の世界がとことんまで見られまッ 電気に関した事ならどないにやゝこしいこってもよう調べておまス 学生はんが ぎょうさん来てだス
手前の四ツ橋を渡る大阪市電は、861形です。
京都府
京都市電気事業25周年記念
発行年:1937年
左上は発行時点で最新型の京都市電514形(1935年に改造により誕生)。中央は「本邦最初ノ京都市内電車」とあり、1895(明治28)年製の京都電気鉄道No.1電車。右下はトロリーバスの2形(4号)(1933年製)です。
奈良県
生駒鋼索鉄道 第二踏切
撮影時期:1918年
1922(大正11)年には大阪電気軌道に合併し、現在は近畿日本鉄道となっています。
写真の車両は開業時に用意された木造車で、2の文字があります。
左の道路には、篭を担ぐ人、薪を運ぶ婦人などの姿が見えます。
和歌山県
吉野熊野国立公園
撮影時期:1950年代
国鉄の紀勢本線の列車は、紀伊姫〜串本間を新宮方面に向かっています。
白浜温泉ロープウェイ
撮影時期:1960年代
1958年に白浜町により開業し、1960年に南海白浜観光の経営に移ったものの、1969年には廃止となりました。
登るに従って脚下に開がる雄大な景色に観光客をして思わず感嘆の声をあげさせます。(原文ママ)
兵庫県
まやケーブル・最急勾配をゆくケーブルカー
撮影時期:1950年代(1955年〜)
1925(大正14)年に摩耶鋼索鉄道が開業させたもので、戦時中に一度撤去されたものの、1955(昭和30)年に再開し、その際に2代目の車両が新造されました。
写真では、左側が2号車、右側が1号車です。当時の流行を取り入れた前面2枚窓の車両。
この絵葉書は、摩耶鋼索鉄道自身が発行したものです。
六甲山 ケーブルデラックスカー
撮影時期:1960年代
写真の車両は1959〜1999年の間活躍した2代目車両です。流線形の先頭部と展望車を従えた2両編成が特徴。