絵葉書でめぐる日本バス紀行(鉄道・・・近畿地方)
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鉄道 国鉄(鉄道省)の電車運転は東京から始まりましたが、昭和に入って間もなくの1932(昭和7)年12月に片町線片町〜四条畷間の電化が完成し、電車の運行が始まりました。引き続き城東線(現在の大阪環状線の東側)の天王寺〜大阪間が、1933年2月に全線高架複線により電化開通しました。また、東海道・山陽線についても1934年7月に吹田〜須磨間電化開通を皮切りに、1935年までに京都〜明石間の電車運転が実現しています。(電気車研究会(1959)「国鉄電車発達史」P.89)
ここでは、そんな関西省電を中心に、近畿地方の鉄道絵葉書を見てみます。

省線電車(国鉄)

城東線
城東線

撮影時期:1933年

外袋には「御絵葉書」と書かれていますが、中身には説明書きどころか裏面の「郵便はかき」の文字さえない生写真のような絵葉書。昭和8年2月16日発行と外袋には書かれています。これは城東線天王寺〜大阪間が電車化された日です。
城東線は現在の大阪環状線の東側半分で、大阪鉄道により開通、関西鉄道に併合された後、国鉄に買収された路線です。全区間が高架複線となっていました。
これは高架下から見上げたところ。

電車は2両編成でモハ41形+クハ55形。片町線、城東線の電化に合わせて新製された20mの新車です。

城東線
城東線

撮影時期:1933年

上の絵葉書と同じセットの中の1枚。
写真は天王寺方面を望む方向で、だいぶ先で線路が右にカーブしているので、桃谷駅から寺田町駅方向を見たところでしょうか。

発車して行く電車は、パンタグラフが後ろに見え、こちら側の妻面に全検表示がありますので、両運転台のモハ40形001〜019の19両が初期ロットとして製造されていますが、これは奇数車。
運行灯には20と出ています。

城東線
城東線

撮影時期:1933年

上の絵葉書と同じセットの中の1枚。
城東線の高架駅は、このようにホームの上屋の鉄骨がアーチ状につながっていて、高架下に改札口を持つという統一された様式でした。なので、この写真がどこの駅なのかはよく分かりません。 車両画像を拡大

電車は2両編成でクハ55形+モハ41形。電化開業前の試運転でしょうか。

東洋一を誇る大大阪玄関のその一部
大阪駅

撮影時期:1930年代(1934年頃)

大阪名所という絵葉書の1枚で、国鉄大阪駅構内から京都方面を見たもの。右上に「東出口」と右書きした看板が見えます。

左側のホームに停車中の電車はモハ43形。東海道線京阪神間の電車化のために1933(昭和8)年から製造された形式です。
中線の向こうにいるのは、モハ43形+クロハ59形のようです。
いずれの車両もベンチレーターが1列なので、初年度製の一次形です。恐らく製造後間もない頃と思われます。

(神戸)全市を縦貫せる高架線 省線電車疾走
神戸

撮影時期:1930年代(1934年以降)

神戸市内の高架線を走る京阪神間の緩行電車。1934年に電車化され、現在の都市間輸送の基礎をつくりました。

電車はモハ43形を先頭にした4両編成。左から2両目は、2等合造車のクロハ59形です。多客時には4両編成で運転されました。

京阪神を走る流線形急行電車
流電

撮影時期:1930年代(1937〜39年)

大阪鉄道局発行の絵葉書。当時、京阪神間の急行電車として花形だった通称「流電」をPRするもの。窓がほぼ開いていますので、夏の撮影でしょう。

モハ52004を先頭にした4両編成。
車体に多少の汚れも見えていますので、新車の時期ではないようです。

大阪府

大阪難波橋
難波橋

撮影時期:1910年代(1915年以降)

ライオンの石像で知られる難波橋を、市電と馬車が行き交います。
コンダケ立派ナ大ケナ石橋ハ東洋デハ外ニオマヘンヤロ、大正四年ニ出来テ五十萬円カラカカテマツセ橋ノ中央ノ下ヲ埋立テ公園ガデケテイロイロノ運動場ガオマスサカイ仰山人ガ遊戯シテマッシャロ

大阪市電は552の番号が見えますので、1911(明治44)年から製造された初のボギー車である501形です。

電車交通の頻繁なる阪神急行高架線
阪神急行高架線

撮影時期:1930年代

昭和初期の阪神急行電鉄時代の写真。

車両は1形です。この形式は昭和初期に鋼体化され、ダブルルーフのまま平妻となっていますので、その後の姿。側窓6個の上の幕板が広いのが特徴。

大阪市立電気科学館
大阪市立電気科学館

撮影時期:1950年代

ここんとこのプラネタリウムとか言うもん、大したもんだすナ 星の世界がとことんまで見られまッ 電気に関した事ならどないにやゝこしいこってもよう調べておまス 学生はんが ぎょうさん来てだス

手前の四ツ橋を渡る大阪市電は、861形です。

京都府

京都市電気事業25周年記念
京都市電気事業25周年

発行年:1937年

京都市電気事業の25周年とのことですが、恐らく市営の電車路線開設の1912年から数えて1937年に発行されたものと思われます。

左上は発行時点で最新型の京都市電514形(1935年に改造により誕生)。中央は「本邦最初ノ京都市内電車」とあり、1895(明治28)年製の京都電気鉄道No.1電車。右下はトロリーバスの2形(4号)(1933年製)です。

奈良県

生駒鋼索鉄道 第二踏切
生駒鋼索鉄道

撮影時期:1918年

生駒鋼索鉄道が発行した絵葉書。同社は、1918(大正7)年に日本最初のケーブルカーとして、鳥居前駅〜宝山寺駅間に開業しました。
1922(大正11)年には大阪電気軌道に合併し、現在は近畿日本鉄道となっています。
写真の車両は開業時に用意された木造車で、2の文字があります。
左の道路には、篭を担ぐ人、薪を運ぶ婦人などの姿が見えます。

和歌山県

吉野熊野国立公園
紀勢本線

撮影時期:1950年代

熊野交通が発行した絵葉書で、本州最南端 潮岬灯台と天然記念物橋杭岩を写したもの。
国鉄の紀勢本線の列車は、紀伊姫〜串本間を新宮方面に向かっています。
白浜温泉ロープウェイ
白浜温泉ロープウェイ

撮影時期:1960年代

南海グループ発行の絵葉書で、白良ヶ丘〜平草原間を結んでいた白浜温泉ロープウェイの2号車が白良浜を背に登ってゆく光景。
1958年に白浜町により開業し、1960年に南海白浜観光の経営に移ったものの、1969年には廃止となりました。
登るに従って脚下に開がる雄大な景色に観光客をして思わず感嘆の声をあげさせます。(原文ママ)

兵庫県

まやケーブル・最急勾配をゆくケーブルカー
まやケーブル

撮影時期:1950年代(1955年〜)

神戸市の摩耶山のケーブルカーで、ロープウェイと乗り継ぐことで摩耶山頂に登ることができます。
1925(大正14)年に摩耶鋼索鉄道が開業させたもので、戦時中に一度撤去されたものの、1955(昭和30)年に再開し、その際に2代目の車両が新造されました。
写真では、左側が2号車、右側が1号車です。当時の流行を取り入れた前面2枚窓の車両。
この絵葉書は、摩耶鋼索鉄道自身が発行したものです。
六甲山 ケーブルデラックスカー
六甲ケーブル

撮影時期:1960年代

阪神電鉄系列の六甲越有馬鉄道が運行する六甲ケーブルは、1932(昭和7)年の開業。麓の土橋駅と六甲山上駅とを結び、路線バスに乗り換えて有馬温泉にも接続します。
写真の車両は1959〜1999年の間活躍した2代目車両です。流線形の先頭部と展望車を従えた2両編成が特徴。
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80s岩手県のバス“その頃”