絵葉書でめぐる日本バス紀行(兵庫県)
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兵庫県 兵庫県は、近畿地方西端に位置し、北は日本海に、南は瀬戸内海に接する南北に長い県域を持っています。
中央部に中国山地があるため、北部と南部とでは、文化、気象条件などが大きく異なります。南部は大阪のベッドタウンでもあり、瀬戸内海沿岸の阪神工業地帯、播磨臨海工業地帯などの重工業地帯でもあります。北部は過疎地が多く、畜産地帯となっています。
県庁所在地は神戸市で、中心地に三ノ宮駅があります。JRや私鉄は主に阪神間を東西に結びますが、三ノ宮駅ですべてが接する鉄道ネットワークが形成されます。人口規模では、姫路市、西宮市、尼崎市、明石市と続きますが、いずれも太平洋側に位置します。
また、瀬戸内海東部に位置する淡路島は兵庫県に属し、本州との間には明石海峡があります。1998年に明石海峡大橋が開通すると、両地が陸路で結ばれました。

神戸・阪神地域

有馬温泉
有馬名勝 湯ノ町入口
有馬温泉

1930年代前半(1933年まで)

温泉旅館の前の「六甲山上ゆき自動車のりば」に並ぶ3台のバス。
葉書のおもて面が「きかは便郵」となっていることから、1933年までに発行されたものと思います。
有馬温泉
有馬温泉

撮影時期:1930年代前半(1933年まで)

有馬温泉のバスのりばにたたずむ2台のバス。昭和初期のバスです。
バスのりば部分が、モルタル造りの建物に変っています。
昔から湯治場として有名な有馬温泉は交通不便の憾みも今は解消され、街は近代色を帯びて、頗る明朗化し、宝有バスの起点となっている。

建物の看板には、「宝塚有馬自動車株式会社」とあり、阪急バスの前身のバス会社と思われます。
色は手彩色ですが、後の阪急バスとは色使いが似ているので、実際にこういう色だった可能性もあります。

温泉街・バス発着所附近
有馬温泉

撮影時期:1950年代前半(1951〜55年)

同じ場所ですが、看板が「阪急バスのりば」という文字に変わっています。

停車中のボンネットバスは、いすゞBX
やはり似たようなカラーですが手彩色。フェンダの赤色や、サイドバーの白色がタイヤを消してしまっています。
黄色の横長ナンバープレートから、1951〜55年の撮影。

有馬温泉
有馬温泉

撮影時期:1950年代前半(1951〜55年)

こちらは上の絵葉書とは逆側から見た光景。「大阪急行バスのりば」の看板が新設されています。

停車中のボンネットバスの後ろ姿は阪急バス。上の方にある1930年代の絵葉書とも同系色なので、当時このようなカラーだったようです。黄色の横長ナンバープレートから、1951〜55年の撮影。

有馬温泉・銀座通り
有馬温泉

撮影時期:1980年代

有馬温泉のバスのりば。阪急バス案内所の上には電光文字で「大阪(梅田)特急55分急行70分」の文字があります。
有馬温泉のメインストリート。通りはみやげ物店が軒を連ね、夜ともなれば湯あがりのひと時の散歩に、ショッピングに、宿泊客で賑わいを見せる。

阪急バスはいすゞK-CPM470(1980年式、西日本車体)で、ナンバープレートは神戸22か2035、車番は80-424と読めます。

発行:CHUWA PRINTING
六甲山
六甲山頂を快走する遊覧バス
有馬温泉

撮影時期:1930年代

六甲山頂を行く遊覧バスです。眼下に見える山々には白いものが見えますので、冬でしょうか。道路脇には、この時代にはまだ珍しかったと思われるガードレールのようなものが見えます。

バスは、屋根がすべて幌になったフルオープンバスです。この時期、このようなオープンバスの遊覧バスが流行し始めていたのでしょう。

回る展望台
六甲山

撮影時期:1960年代(1963年以降)

六甲山凌雲台にある回転する展望台、座ったままで周囲の十ヵ国を眺めることができる。
六甲ケーブルと書いたトーテムポールの立つ展望台入口に停車中の観光バス。旧国名での十ヵ国を見渡せるというのが売りの展望台は、1957年に完成し六甲山の名物の一つでしたが、2002年に営業を終えました。

後ろを向けて停車中のバスは神姫バスで三菱R270(1958年式くらい、呉羽ボディ)のようです。
右側に見えているのは両備バスの三菱ローザB20Dで、車番がR6326なので、1963年式と思われます。

六甲山ゴルフ場
六甲山ゴルフ場

撮影時期:1960年代(1964年以降)

山上中心部にあり、1903年、日本で最初にできたゴルフ場である。
神戸港が開港し、外国からの渡航が容易だったことから、神戸には西洋の文化が早くから入ってきていました。

バスは奈良交通の日野RC100P(1964〜67年式、帝国ボディ)です。屋根上に四角い突起が3つ見えますので、冷房車です。

淡路地域

フェリーボート
フェリーボート

撮影時期:1960年代(1963年以降)

昭和29年に完成した本土と四国を結ぶ日本最初の「動く国道」は最近では年間12万台の車を運んでいる。
国道28号線の海上区間を有料道路とする明石フェリーは、1954年開設の後、1956年からは日本道路公団による運営でした。

「市営観光」を表示したバスは、前面窓がつながっている三菱ボディなので、1963年以降だと思われます。
後ろには川崎ボディのボンネットバス、前には天窓付の観光バスも乗船中。

明石鳴門フェリー
明石鳴門フェリー

撮影時期:1960年代

自動車に荷物をのせたまま、瀬戸内海の渦潮を渡る海の道路。阪神と淡路、淡路と四国を結ぶ産業上、観光上の重要ルート(現在3隻就航中)

4台のバスが見えますが、日野ブルーリボンBDで金産ボディ。「淡路観光」と書いてあるように見えます。

淡路島 洲本港のフェリーボート発着所
洲本港

撮影時期:1960年代前半

深日(ふけ)〜洲本を一時間で結ぶフェリーボートは華やかに大阪湾を往来している。
和歌山県の深日(ふけ)港から淡路島の洲本港に到着したフェリー。
2台の近鉄バスがフェリーから降りてきました。手前には全但バスが停車中ですが、非常口が左側にあるので、別写真を裏焼きの上合成したようです。

近鉄バスは日野RB10P(1961〜62年式、帝国ボディ)で、屋根に長いダクトが載っているので冷房車でしょう。この時代の冷房車というのは、かなりデラックスな仕様です。
手前の裏焼きの全但バスはいすゞBC151(1960年式、川崎ボディ)のようです。バス窓の下部にRがつくのは、初期のこのボディの特徴です。

播磨地域

姫路駅上より姫路城を見る
姫路駅前

撮影時期:1960年代中盤(1964年以降)

姫路市は白鷺城で有名な城下町で山陽道の入口に位置し昔から栄えた街ですが近代工業の発展が目覚しくまた観光都市としても脚光を浴びるようになった。
手前のトヨペット・クラウン(2代目)から、1964年以降の撮影と分かります。

左側の3台は神姫バスで、手前は日野RB10(帝国ボディ)ですが、前2台は川崎ボディの前後ドア車。
中央の2台は姫路市交通局のボンネットバスで、右端も姫路市交通局ですが、1台は新しいカラーデザインになっています。

姫路城と姫路駅前通り
姫路駅前

撮影時期:1960年代中盤(1964年以降)

姫路駅前から姫路城を望んだ姫路駅前通りの光景。オレンジ色の神姫自動車のバスと白系の姫路市交通局のバスが見えます。

手前の神姫バスは三菱MR470(西工ボディ)と思われます。こちらに背を向けて走り去る神姫バスは日野BD14あたりでしょうか。後部にエンジンはありませんが、非常口は側面最後部に設置してあります。
横目になった2代目日産セドリック(1962年〜)が目立ちますが、手前の神姫バスの陰に3代目トヨペット・コロナ(1964年〜)のタクシーが見えていますので、写真は1964年以降。

倉敷ターミナルホテル
倉敷ターミナルホテル

撮影時期:1980年代前半

倉敷駅前にある倉敷ターミナルホテルが発行した宣伝用の絵葉書。
交差点を6代目日産ブルーバード(1979年〜)が写っていますので、1980年代の撮影と思われます。
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ホテルの前のバスのりばに、国鉄バスが3台停車中。一番後ろは富士重工製の3Eボディ、その前は三菱ボディのようです。

発行:倉敷ターミナルホテル

但馬地域

城崎駅
城崎駅

撮影時期:1950年代前半(1949年以降)

城崎温泉の山陰本線城崎駅。この駅舎は1949年に作られたものだそうです。
城崎音頭
ここは山陰
城崎駅よ ソダヨ
おりりや陽の町
恋の町
ソダソダヨ
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駅舎の脇に2台のバスが停車中ですが、全但交通だと思われます。
2台ともキャブオーバーバスで、は富士重工T5ボディ、はそれより古い富士重工T3ボディに見えます。

山陰海岸国立公園・竹野浜
竹野浜

撮影時期:1960年代(1966年以降)

日本海スカイライン 竹野浜〜日和山〜城崎を結ぶ海岸線有料道路である。150mの断崖より日本海の波涛を眼下に眺め、平家の落武者部落を通り、丹後の経ヶ岬までの大観はすばらしい。


海岸線を行くバスは神姫バスの貸切バス。三菱MAR470(1966〜67年式、呉羽ボディ)かと思われます。

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80s岩手県のバス“その頃”