絵葉書でめぐる日本バス紀行(八幡平)
岩手県側には松川温泉、秋田県側には玉川温泉など、秘境の温泉地があるのも魅力です。
八幡平の頂上を貫く八幡平アスピーテラインは、1970年に開通しており、観光絵葉書もそれ以降に発行されたものが多く見られます。
岩手県側
国民宿舎松川温泉峡雲荘
撮影時期:1960年代
文字通り山合いのいで湯。ここの硫黄泉は、神経痛・リュウマチに絶対の威力を持つ。風景探勝にも健康の増進にも高く買われている。
岩手県北バスは三菱R480(1960〜63年式、呉羽ボディ)の前ドア車です。側面にNO.14の文字が見えます。この時期の岩手県北バスには車番があったようです。
バスは屋根だけ銀色に見えます。違う色だった車両の転用車でしょうか。
雪壁の観光道路アスピーテライン
撮影時期:1970年代前半
すれ違う初代カローラは屋根にスキー板を積んでおり、春スキー帰りのようです。
はがき自体は10円切手を貼るように書いてあるので1972〜76年に作られたものです。
バスは日野RB10P(1966年式・帝国自工)で、「6087」というナンバーが読み取れます。貸切車として購入したものを路線バスに格下げしたもののようです。
作成:TOHOKU CARD見返り峠から望む残雪の展望台
撮影時期:1970年代
残雪の見返り峠よりモッコ岳
撮影時期:1970年代前半
八幡平/玄太岩から望むモッコ岳
撮影時期:1970年代前半
奥に見える尖った山は、表題ではモッコ岳とありますが、とまります様のご指摘によると茶臼岳だそうです。畚岳(もっこだけ)は頂上に丸みがありますが、茶臼岳はこのように尖っています。
岩手県北バスは日野RC300P(1968年式・金産ボディ)で、方向幕には赤い字が見えるので、「急行・盛岡バスセンター行」だと思われます。オーバル形ライト。
ナンバーは岩2く6154のようです。
源太岩とアスピーテライン
撮影時期:1970年代前半
秋北バスはいすゞBU10KP(1968〜71年式・川崎ボディ)で、路線タイプの前ドア車ですが「秋北観光」と出ていますので、貸切車両。
作成:TOHOKU CARD源太岩を縫うアスピーテライン
撮影時期:1970年代前半
枯れ木が手を差し伸べるような八幡平独特の光景が展開します。
羽後交通のバスは日産デ4R95(1970年式・富士重工)で、9というナンバーが読み取れます。「秋22」になったばかりの頃の車両でしょう。
作成:記載なし(ケースにYH.1166と記載)八幡平アスピーテライン・御在所ゲート
撮影時期:1970年代前半
料金所に到着したバスは岩手観光バスの三菱MAR470(1967年式・呉羽ボディ)で、当時はまだ珍しいセミデッカータイプです。
作成:TOHOKU CARD八幡平アスピーテライン
撮影時期:1970年代前半
秋田県側
玉川温泉全景
撮影時期:1960年代
八幡平山頂展望台と岩手山
撮影時期:1970年代
バスは十和田観光電鉄の三菱MAR470(1966〜67年式、三菱ボディ)のようです。貸切バスで、正面の社名表示の両側にスピーカーを備えています。
作成:記載なし(ケースにYH.1165と記載)初秋の八幡平の原生林を縫うアスピーテライン
1970年代前半
バスは十和田観光電鉄のいすゞBU15P(1966〜71年式、川崎ボディ)通称「おばQ」。
作成:記載なし(ケースにYH.1107と記載)八幡平・アスピーテラインと山嶺の展望台兼駐車場を望む
撮影時期:1970年代前半(1973年以降)
八幡平アスピーテラインをトヨタセリカが向かってきています。
1段下がった秋田県側の駐車場に、秋北バスと羽後交通のバスが見えます。秋北バスは1973年以降の川崎ボディ、羽後交通は1971年以降の富士重工ボディのようです。
発行:SEIKYOKUDO