高速バスヨーデル号開通(1985.3.14)
需給調整
国鉄バスが高速バスの運行を表明したことが原因で、その運行開始までに二転三転あったと記憶しています。ヨーデル号は、両拠点の民間会社である岩手県北バスと弘南バスに加えて、これも拠点事業者という根拠で国鉄バスが名乗りを上げます。そして、高速バス初参入の岩手県交通と中間事業者である秋北バスが加わります。
一時期5社間の調整に手間取り、新幹線上野開業に間に合わないのでは、との報道もありました。結果は秋北バスが将来の参入を条件に申請を取り下げることで、拠点4社の運行に落ち着きました。
まだバス業界に規制緩和の規の字もない頃、 申請しても認可されるまでは手間と時間がかかりました。
「ヨーデル号」と名付けられたこの高速バスは、東北自動車道を利用して盛岡と弘前を直結するもので、一部高速道路未開通区間があるものの、2時間45分で両都市を結びます。
特に弘前市では、これまで東京へ行くには青森経由にしろ秋田経由にしろ煩雑な乗換えが必要だったものが、「ヨーデル号」を利用すれば1回の乗換えで行けるため、大きな期待を持って迎えられました。
盛岡駅前
前日の3月13日は、雪が激しく降り続いていました。新幹線上野開業前日の様子を見たくて盛岡駅へ向かいました。
盛岡駅には、「上野」の文字が書かれた垂れ幕がたくさん下がっていました。
撮影:盛岡駅前(1985.3.13)
駅ビルフェザンには「祝・東北新幹線上野開業」と「やまびこフェスタ」の懸垂幕が掛かり、バスロータリーにはやはり「東北新幹線上野開通」の広告塔が建っています。
否が応にも、東北新幹線上野開通の期待が盛り上がってきます。
撮影:盛岡駅前(1985.3.13)
明日から盛岡でおなじみになる弘南バスが、雪にまみれて顔を出しました。乗務員さんたちの試運転です。
見慣れていないカラーのバスが来ると、新しい高速バス路線を実感します。
撮影:盛岡駅前(1985.3.13)
運行開始当日
4社合同出発式
撮影:盛岡駅前(1985.3.14)
上野から最短で到着する通称「スーパーやまびこ」を受けて出発する11:40の国鉄バス便で、4社共同の出発式が行われました。
各社の代表がテープにはさみを入れます。
県北バスの出発式
撮影:盛岡駅前(1985.3.14)
岩手県北バスでも独自の出発式を行いました。テープカットの後、乗務員に花束を贈呈するところです。
使用された車両は、新造されて間もないミドルデッカー。
弘南バス第1便到着
撮影:盛岡駅前(1985.3.14)
弘南バスの第1便は、悪天候のため遅れて到着しました。
しかしこの瞬間は、東北地方の、否日本の高速バス界にとっての大きな第1歩といえるのかもしれません。
それは、弘南バスにとって、この「ヨーデル号」の成功は、次に東京とを直接結ぶ夜行バス「ノクターン号」運行を計画するきっかけとなったからです。そして、誰もが疑問視した「東北地方の小都市」弘前市と東京都を結ぶ夜行バスは大きなヒットとなり、全国各地のバス事業者が東京へ向けて夜行バスを開業させる高速バスブームへとつながったのです。
ヨーデル号のファーストランナー達
国鉄バス
前年度製の標準床車を使用。スケルトンタイプで窓周りが黒いので、当初は比較的ハイグレードな車両に見えました。
岩手県北バス
開業時に新車が間に合ったのは県北バスだけでした。
写真は運行初日で、側面の窓にヨーデル号開業を記念した飾り文字をつけた車両です。
弘南バス
暫定的に貸切の格下げ車を使用。これは前日の試運転時の写真です。窓周りが白いのですが、これは後に黒く塗られました。
岩手県交通
前年度製の標準床車。
車齢は新しいのですが、あまり新しく見えないのが残念でした。
開業記念乗車券
国鉄バス東北が発行した「盛岡・弘前間直通バス開業記念乗車券」です。まだ「ヨーデル号」の名前を前面に出す営業方針ではなかったのか、愛称は裏面にしかありません。
使われている写真の車両の登録番号は「青森22か30」と読めます。この車両は、後に「岩22か2164」となり、実際に「ヨーデル号」に使用されています。
なお、ついている乗車券は盛岡から300円区間のもので、高速バスには乗れません。これで沼宮内本線に乗ろうと言う人もいないと思いますので、最初からコレクション用前提なのでしょう。