新しい定期観光バスが誕生(1985.7 - 11.)

国鉄バスの定期観光
国鉄バスの定期観光 この年の定期観光バスの中で、国鉄バスの動きには目を見張るものがあります。「リアス観光号」「遠野物語めぐり号」といったコンパクトで整ったコース設定は、これまでの民間会社の発想を取り入れたものです。青森県の十和田北線にも、パノラマバスを投入した「おいらせ号」を登場させました。
こういった新コースは、ローカル線主体だった国鉄バスに活気を与えるとともに、地元の活性化にも大きく寄与しました。
東北新幹線が東京都(上野駅)と直結したのを受けて、県内各地で観光客の利便を図るための定期観光バスが新たに企画されました。
これまで盛岡市内、小岩井農場、平泉中尊寺といった、比較的集客が固い場所に限られていた地区から一歩踏み出し、陸中海岸、遠野、御所湖などに設定されました。
なお、これと並行して、地元自治体や観光協会主導で実施されるツアー形式のコースもいくつか姿を見せています。久慈市による「琥珀号」(岩手県北バスが運行)がこれにあたります。このような企画は、翌年も石川啄木ツアー、宮沢賢治ツアーなど増加の傾向を見せていきます。
リアス観光号
リアス観光号

撮影:田野畑駅(1985.8.24)

岩泉から普代(一部久慈)までを運行する「リアス観光号」は、途中北山崎や黒崎灯台で見学停車するほか、一部便は島越港で遊覧船にも接続します。

遠野物語めぐり号

民話のふるさと遠野の観光施設を結んで走る「遠野物語めぐり号」。国鉄バスの遠野営業所が運行しました。

遠野物語めぐり号

撮影:伝承園(1985.8.22)

御所湖遊覧バス
御所湖遊覧バス

撮影:つなぎ温泉(1985.9.15)

小岩井農場を基点に、雫石、つなぎ温泉などを巡る「御所湖遊覧バス」は、岩手県交通の雫石営業所で運行しました。
この中型車が専属使用され、正面のワンマン表示板のところに「御所湖遊覧」と表示を出しています。

国鉄バスの転入車

もともと定期観光バスのなかった地区での運行なので、使用する車両には、隣接他県からの転入車が多く見られました。こういった車両の使用方法は、国鉄バスならではのものです。

リアス観光号(1985年)
国鉄バス リアス観光号には、青森から転入の車両が使用されました。
写真の車両は久慈からのルートに使用された車両で、岩手ナンバーに登録変更された前年度製の新型車両です。

遠野物語めぐり号(1986年春)
国鉄バス 1986年に遠野物語めぐり号用に、福島から冷房車(左)が、青森から観光路線タイプ(右)が転入してきました。

遠野物語めぐり号(1986年夏)
国鉄バス 86年夏に青森から移って来たパノラマバス。「おいらせ号」用に導入された天井窓付きの車両です。

パンフレットなど

リアス観光号

岩泉営業所が担当する「リアス観光号」のB5サイズチラシ。
沿線のイラスト地図を使い、三陸鉄道や既存の路線バスなどと合わせた周遊が出来ることが分かるようになっています。裏面にはそれらを含めた時刻表が掲載されています。
上の方のマークやロゴは、車両に展開されていたものと同じ。イメージの統一を図ろうと言う姿勢が見て取れます。

リアス観光号
リアス観光号記念乗車券

岩泉では、リアス観光号の運転を記念する記念乗車券が売られていました。
掲載されている車両は一般的な路線バスで、印刷により「リアス観光号」に直されています。販売額は300円ですので、乗車記念と言うことではないようです。

リアス観光号
遠野物語めぐり号

こちらは遠野営業所が担当する「遠野物語めぐり号」のリーフレット。
中身にはやはりイラスト地図や写真を使っています。表紙に写っているバスの写真は、当時県内では最新の路線バス。そういえばこの車両は当時写真が撮れなかったので、当サイトにも車両写真は掲載できませんでした。

遠野物語号
おいらせ号

国鉄バスの青森県で運行が始まった「定期観光おいらせ号」のB5サイズチラシ。
青森駅から八甲田山、酸ヶ湯温泉などを見学しながら十和田湖に至る十和田北線の中で、写真にあるような天窓付のバスを使った定期観光仕立てのコースです。
「日本初のマルチ眺望パノラマバス」と言う謳い文句に、国鉄バスの意気込みを感じます。

おいらせ号

翌年の展開

石川啄木ツアー
石川啄木ツアー

撮影:盛岡駅(1986.7.26)

翌1986年には、観光協会などと共催で会員募集で実施されるコースが登場しています。写真は、岩手県北バスが運行する石川啄木ツアー。

みちのく古都めぐり
みちのく古都めぐり

撮影:一関駅(1986.8.24)

こちらはもう老舗になった岩手県交通の一関・平泉の定期観光バス「みちのく古都めぐり」。
1986年は藤原秀衡公800年特別大祭が開かれ、多くの観光客が訪れていました。
定期観光車両ではさばききれなかったのか、貸切車が登板。

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80s岩手県のバス“その頃”