盛岡鉄道管理局に新カラー(1987.2)
地域色
全国共通のカラーしかなかった国鉄が、地域ごとの独特のカラーデザインを採用し始めたのは、1980年代に入ってからでした。それは、短編成多頻度運転を行うシティ電車の増加とともに広がっていきます。電車の配属がない盛鉄局内は、そういった動きに遅れをとっていましたが、この新塗装の登場で全国的な動きに追いつくことができた気がしました。折しも、盛岡−北上間にはこのディーゼルカーを間合い使用した2両編成の列車が増発され、シティ電車並の30分ヘッド運転が実現していました。
これまでの全国共通のデザインは、地味で垢抜けなかったばかりか、2種類のカラーが混在していました。これを盛鉄局オリジナルのカラーに統一しようというものです。しかし、面白かったのは、塗り替えに時間がかかるため、仮に白い線を入れただけの「暫定色」が存在したことでした。この「暫定色」に、旧塗色と新塗色や「うみねこカラー」と呼ばれる特別色が入り乱れ、この頃の盛岡周辺は非常にカラフルでした。
新塗装2態
暫定色
撮影:盛岡客貨車区(1987.2)
まず最初に現れたのがこの「暫定色」です。朱色1色の「首都圏色」に白い2本のラインを引いて、本格塗り替えまでのツナギとしたもの。
味気のない首都圏色が、見違えるというほどではないまでも、違った印象になりました。
盛岡色(新塗装)
撮影:盛岡客貨車区(1987.2.20)
続いて本当の新塗装が現れました。白に赤いラインを入れた鮮やかなカラーは、これまでの地味な色合いから、大きなイメージチェンジになりました。
今後、上の写真の「暫定色」や「急行色」(2両目)はもちろん、特別車両の「うみねこカラー」も含めて、この新塗装に塗り替えられます。
JRになる前の日
撮影:盛岡−上盛岡(1987.3.31)
民営化前日、3月31日の山田線を見に行きました。
新旧3色が一つの編成になっている過渡期を象徴する編成がやってきました。左から、暫定色、急行色(在来色)、盛岡色(新塗装)です。
中央の車両の後位ドアから三つ目の窓の下に白い四角が見えますが、これは既に貼られた「JRマーク」を隠している状態です。
JRになったその日
三陸鉄道を行く新旧盛岡カラー
撮影:堀内−普代(1987.4.1)
民営化初日の三陸鉄道乗り入れ編成は、これまで盛岡局管内では看板車両だった「うみねこカラー」を先頭に、新盛岡色、急行色を従えた3色編成でした。
なお、この画像ではよく見えませんが、新盛岡カラーに付けられたJRマークは、JR東日本のコーポレートカラーである緑色でした。他地区では白かグレーだったので、この緑色は新鮮でした。
暫定色のJRマーク
撮影:久慈駅(1987.4.1)
久慈駅で見かけた「暫定色」にもJRマークが入っていました。ただ、この入り方はちょっと独特だったと記憶しています。
八戸線の車両です。
地域カラーとシティ電車
1982年に広島近郊に登場した「広島シティ電車」は、その後の国鉄の地方都市の近郊輸送の原点となりました。
それまで客車列車を基本とした国鉄の幹線列車は、長い編成の列車が少ない本数で走り、駅間距離も長いという特徴を持っていました。これを短編成、高頻度運転に変えることで、利便性を高めたのが「広島シティ電車」でした。同時にこれまでの地味な色合いから明るめな新塗装に塗り替え、愛称をつけたことで、今までのイメージを見た目から脱却したことも、成功の要因でした。
そして、全国各地に「シティ電車」ブームが訪れたのです。
仙台近郊グリーンライナー
撮影:南仙台−名取(1987.3.25)
東北地方で真っ先に地域カラーを採用したのは、仙台鉄道管理局の電車でした。
仙台では、それまでの客車緩行を急行形455系や寝台特急を改造した715系の3〜4両編成に置き換え、東北新幹線との連続性をイメージした「グリーンライナー」と呼ばれるカラーに塗り替えました。
静岡「するがシャトル」
撮影:藤枝−焼津(1985.3.7)
静岡近郊は「するがシャトル」。車両はこれまでと変わらない湘南カラーの113系ですが、丸いヘッドマークがつきました。このあたりから「シャトル」というあまりなじみのない言葉が、シティ電車の愛称として使われるようになってきます。
「するがシャトル」はその後、飯田線から転用した119系に斬新な塗装を施してイメージチェンジを図ります。
北九州「マイタウン電車」
撮影:熊本駅(1987.3.8)
北九州地区を中心に運行される近郊型電車に付けられていた愛称は「マイタウン電車」。写真の423系などがヘッドマークを掲げて運転されていました。
まだ国鉄の標準的な交直両用電車のカラーですが、既に新しい九州カラーも登場している時期です。
東九州「タウンシャトル」
撮影:高城−鶴崎(1987.3.8)
大分市近郊を中心に運行されていた電車には、「タウンシャトル」の愛称が付けられ、ヘッドマークを掲げていました。
車両は急行形電車の部品を流用した717系。当初4両編成でも短いと感じられた「シティ電車」ですが、2両編成が当たり前に走るようになります。