JR東日本スタート(1987.4.1)

JRという新しい概念
こんにちわJR 国鉄がなくなる。
国鉄と私鉄という二つを対照的な概念として理解していた当時の私にとって、民営化された国鉄と私たち国民がどのように接していくのかは、非常に興味深い問題でした。
しかし、思ったよりスムーズに、「JR」という名前は世の中に浸透していきます。新しい私鉄が誕生したのではなく「JR」という新しい概念が生まれたことに、間もなく気づくことになります。
いわゆる「国鉄改革」による分割民営化により、国鉄は6旅客会社と1貨物会社に分割されました。東北地方は、首都圏や信越地区などとともに東日本旅客鉄道、通称「JR東日本」のエリアに入りました。
これまで国鉄の象徴だった東海道新幹線はJR東海、それと続く山陽新幹線がJR西日本の経営するところとなり、ローカル新幹線として今ひとつ地味な印象から抜け切れなかった東北新幹線は、JR東日本の主力路線として俄然脚光を浴びることになりました。

一晩明けて

駅ビルフェザン
駅ビルフェザン

撮影:盛岡駅(1987.3.31)

4月1日の朝、感動的な前夜が明けた盛岡駅に再び訪れました。
駅ビル「フェザン」には6周年感謝祭の懸垂幕と並んで、「祝出発進行JR東日本」の文字が。

(写真は前日に撮影したもの)

祝賀列車
祝賀列車

撮影:盛岡駅(1987.4.1)

前日同様、正面に大きなペインティングした「やまびこ号」。今日は「こんにちわJR東日本」の文字と新しいJRのロゴマークが描かれています。

出発式
出発式

撮影:盛岡駅(1987.4.1)

新生JR東日本の発足を祝って、出発式が行われました。
中央にいるのは歌手の吉幾三さん。本日の一日駅長を努めます。

記念オレンジカード

オレンジカード

JR東日本が、新会社スタートを記念して発行したオレンジカード。
富士山と桜をデザインしたすがすがしいデザインに惹かれて買いました。これは確か、盛岡支社ではなく本社発行のものだと記憶しています。

首都圏のヘッドマーク付列車

JRのスタートに際して、JR東日本では記念ヘッドマークつき列車を運転していました。
岩手県内でJR東日本の初日を迎えた私は、その後すぐに首都圏に出向き、これら民営化直後のJRの列車を眺めていました。

中央線
ヘッドマーク

撮影:立川駅(1987.4.3)

中央快速線の201系に付けられたヘッドマークは、「こんにちはJR」の文字の上に「1987」と書いた赤いリボンをあしらったもの。
201系は、この時点では、旧国鉄車両の中では新しい部類だった車両です。

総武本線
ヘッドマーク

撮影:千葉駅(1987.4.4)

総武本線の113系に付けられたヘッドマークは、駅員のキャラクターが描かれたもの。ちょっと可愛さを演出しています。

上越線
ヘッドマーク

撮影:高崎駅(1987.4.6)

新潟から来た115系に付けられたヘッドマークは丸型。「あなたの町の新しい鉄道です」と書かれています。
これまでローマ字の略称はNTTやKDDなど3文字が主流だったため、JRという2文字の略称は斬新でした。

八高線
ヘッドマーク

撮影:高崎駅(1987.4.6)

八高線のステンレス製キハ35に付けられたヘッドマークも丸型。書かれている内容は新潟のものと共通していますが、デザインはJR東日本エリアの本州をイメージした独特のもの。
高崎支社のヘッドマークなのか、奥に見える高崎線の211系電車にも同じものが付けられています。

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80s岩手県のバス“その頃”