浄土ヶ浜にボンネットバス「いたわり号」(1985.8.)

ボンネットバスの副業
いたわり号 この時、私は東京から訪ねてきた友人が浄土ヶ浜を見たいというので、特に目的があったわけでなく浄土ヶ浜を訪れました。海岸の散策を楽しむ人の群れの中に、見慣れないボンネットバスを発見したのですが、これが「いたわり号」でした。
冬季の八幡平では大活躍をしているというボンネットバスも、夏には活躍の場がないと思っていたのですが、外装をまったく塗り替えての運転でした。
しかし、上記のような出会いだったことからも分かるように、「いたわり号」についての詳細な運行データはありません。
岩手県北バスで所有していたボンネットバスのうち1両が、外装をまったく変えて夏の浄土ヶ浜で活躍していました。
浄土ヶ浜ターミナルビルを基点とする園内循環バスで、車体デザインも専用カラーに塗り替えられています。
浄土ヶ浜ターミナルビルから海岸までは階段を降りないと行けませんでしたが、このバスに乗ればお年寄りでも安心ということで「いたわり号」と名付けられたようです。
いたわり号

撮影:浄土ヶ浜(1985.8.8)

浄土ヶ浜に到着したボンネットバス「いたわり号」。
海水浴に来た皆さんが、のんびりと寛いでいます。
このボンネットバス、冬には「八幡平白銀号」と名付けられている車両です。

三陸海岸の中でも指折りの景勝地、浄土ヶ浜を背景に、「いたわり号」はゆったりと走ります。
「いたわり号」の活躍をもう一度見たくて、2度目に浄土ヶ浜を訪れたときの写真です。

いたわり号

撮影:浄土ヶ浜(1985.8.21)

いたわり号

撮影:浄土ヶ浜(1985.8.21)

浄土ヶ浜ターミナルビルから、木陰の道を浄土ヶ浜まで下ってゆく「いたわり号」。

予備車も待機
いたわり号

撮影:宮古営業所(1985.8.21)

「いたわり号」の予備車として「八幡平樹氷号」がスタンバイしていました。側面の愛称のところには、「浄土ヶ浜園内循環バス」の板を入れています。

岩手県のボンネットバス事情

ここでは変わった用途に用いられていた「いたわり号」について書きましたが、そもそも、岩手県内にはボンネットバスが多数活躍していたのが特徴的でした。
ちょうど1982年の東北新幹線開業に伴い、岩手県北自動車と岩手県交通がボンネットバスを観光輸送に起用し、両社合わせて7台ものボンネットバスが存在していたのです。

岩手県北バスのボンネットバス

岩手県北バスでは冬期の松川温泉の積雪路に4WDのボンネットバスが必要だったことから、生え抜きのボンネットバスを保有していました。これに移籍車3台を加えた4台体制で、八幡平周辺の輸送に当たっていました。
写真は八幡平の春スキーのリフト代行バスで、先頭は「雪渓号」2台目は「樹氷号」です。

雪渓号と樹氷号

撮影:八幡平頂上(1986.5.4)

岩手県交通の「まきば号」「新雪号」

岩手県交通でも山間路線の銭掛で4WDのボンネットバスを必要としていましたが、東北新幹線開業を機にこれを活用して、盛岡駅と小岩井農場を結ぶ「まきば号」として2台を整備しました。
冬期には「新雪号」と名前を変え、網張スキー場でも使用していたようです。
写真は1987〜88シーズンに、自社経営の鉛温泉スキー場で「新雪号」として登用された時のもの。

新雪号

撮影:鉛温泉スキー場(1987.12.21)

岩手県交通の「弁慶号」

岩手県交通ではまた、県南地区の一関でもボンネットバス1台を復活させ、中尊寺などをめぐる定期観光バス「弁慶号」に起用しました。
この車両は廃車になっていたものを復活させたもので、この時点では日本一古い1964年式で、また唯一の日野のボンネットバスでした。
もっとも、冷房がないことや乗り心地、座席定員などの問題もあり、通常は車庫の隅で待機状態でした。

弁慶号

撮影:一関営業所(1985.8.11)

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80s岩手県のバス“その頃”