画像掲示板 過去ログ
過去の掲示板の内容を,そのまま掲載しました。追加の書き込み・編集・削除等は出来ませんのでご了承下さい。
更新後記(2021.8.5)
Re:更新後記(2021.8.5)
今回の更新で触れていた弘南バスのエアロバス。
言われてみれば確かに日野の割合が高く、現にいすゞと日野の統一モデルとなっている車種についても中型路線車はレインボー、大型観光車はセレガを導入しています。
とはいえ、エアロバスの高速車が皆無だったわけではなく、貸切車から転用という形で「ヨーデル」「あすなろ」の運用に入っていました。
余談ですが、弘南バスの貸切車のアンドンは高速バスの続行便対応として各系統の方向幕も入っており、Jバスのセレガでもその仕様が引き継がれていました。
中には、上京バス(年明けやお盆休み明け)で運行実績があり、定期路線開設まで行きかけたものの断念となった「弘前⇔名古屋」の表示が入っているのもあったそうです。
Re:更新後記(2021.8.5)
こちらはイレギュラーなシーンですが、弘前さくらまつり対策として、弘前〜八戸の「南軽号」の続行便(正規便は南部バス)として、元京急のエアロバスが入ったものです。
行先表示器の仕様やCIカラーの地色がブラウンでなくクリームであることから分かるように移籍時に一般路線用として整備された車両です。
Re:更新後記(2021.8.5)
エアロバスの「ヨーデル号」「あすなろ号」が実現していたんですね。貸切バスが格下げされた後なので、1990年代後半でしょうか。
“その頃”にも、年末年始などの続行便では、貸切のエアロバスが来た事はありましたが、当時はまだ方向幕ではありませんでした。
弘前−名古屋ですか。実現しなかったんですね。弘南バスは、ヨーデルで気を良くした後の「ノクターン」をはじめ、果敢に挑戦する会社というイメージがあります。
自らツアーバスを始めるあたりも、普通じゃないな、と思いました。
Re:更新後記(2021.8.5)
本館の「その頃の出来事>新しい高速バスの萌芽」でも取り上げていますが、東日本急行の「東北博覧会」会場行きの直通バスはまさに「高速バスくりこま号」ではなかったかと思います。
盛岡駅は経由しませんが泉インター経由で仙台駅まで2時間20分は、特急並みに速いと言われた往年の「くりこま1・6号」と同じ所要時間(2時間18分)です。
けんじライナー運行開始前は、仙台へ行くのに新幹線ほど早くなくていいのでそこそこ早くて安く行ける急行くりこまが復活しないものかと思っていました(急行料金程度なら払ってもいいと思っていました)。
車両は485系なら嬉しいのですが455系でも構わなかった(笑)。
以前も書いた思うのですが、20年くらい前に一ノ関駅で東日本急行の幕回しを見ていたら「特急一関」「特急盛岡」の他に「特急八戸」「特急東京」の表示がありました。そっち方面の運行も計画していたのか!?と驚きながら見ていました
Re:更新後記(2021.8.5)
とまりますさん、こんばんは。
東北博覧会の直行バスは、確かに都市間バスを視野に入れていたんでしょう。
私も試しに東北博会場から乗車しましたが、仙台駅で同級生が乗車してきて(普通の人です。バスマニアではありません)、ニーズの高さを実感したものです。
1987年のこの直後に、定期バスとして運行を開始していれば、東日本急行の単独運行ができたと思うのですが、思い切れなかったのでしょうか。
東北本線の快速(もしくは急行)「くりこま」復活は、利用者としては誰しもが思ったことですが、新幹線と完全並行する限り、実現は無理だったんでしょう。短期間ではありましたが、急行の速さのままで快速運転してくれたのが、最後のサービスだったのかも知れません。
Re:更新後記(2021.8.5)
盛岡〜仙台の高速バスで思い出したのが、21世紀に入ってすぐのころ、仙台に本社を置く貸切バス会社の「富士交通」が高速バスの規制緩和をチャンスとして仙台〜山形・仙台〜福島の高速バス事業に参入した際、「つぎは盛岡線」という情報が飛び交っていました。
既存系統よりも安い運賃設定でアテンダント乗車と採算度外視ともいえる運行形態で、盛岡線ではボルボが使用されるかもということでした。
結果的に盛岡線は実現しなかったどころか、最初に運行した系統も撤退。富士交通そのものが仙台帝産バスとの合併で帝産富士交通となったのを経て現在は消滅しています。
富士交通が仮に盛岡線を実現したとして、盛岡の乗降場所がどこに設定されていたのかも気になりました。
盛岡駅は、現在は路線免許となった東京方面の夜行ツアーバスと同じ盛岡駅西口での乗降はできたかと思いますが、盛岡バスセンターは乗り入れは認められなかったのかもしれません。
ボルボで仙台まで一度行ってみたかったとも思ったこともありましたが(笑)
Re:更新後記(2021.8.5)
左党89号さん、こんばんは。
富士交通が盛岡に来る計画があったんですね。規制緩和というのは、ある意味、市場を開放する上で必要なことだったのかも知れませんが、結果的に単なる安売り合戦になってしまいました。
高速ツアーバスの台頭も、予約システムや運賃制度のレベルアップにつながったとはいえ、都市間バスの価格破壊を招いてしまいます。
そういう感じで市場に乱入しておいて、結局立ち行かなくなって去って行った事業者もたくさんあります。安くなってお得になった運賃と、それにつれて上げられなくなった人件費を含む原価という問題を残して。
結果的に、消費者にとっては、これでよかったのかどうなのか。
1985年3月14日のダイヤ改正で、東北新幹線は大宮暫定から3年ぶりに上野本格開業を迎えました。盛岡〜東京間がさらに便利になったダイヤ改正です。
しかし、盛岡〜仙台間に残されていた快速「くりこま」が廃止されてしまいました。
これまで、普通運賃を払えば2時間ちょっとで移動できていたのが、倍の運賃を支払って新幹線で行くか、一ノ関で乗り換えながら4時間かけて行くかの選択となりました。
もし、快速「くりこま」並の時間と運賃で移動できる手段があったら、と思っていたのは、私だけではなかったはずです。
その4年後には、高速バス「アーバン」が運行を開始するのですが、この時にそういうことを考えるバス事業者はなかったのだろうか。多分なかったでしょう。
1985年3月のダイヤ改正では、新幹線の先線、つまり盛岡から北の方に目が向けられていました。弘前までの高速バス「ヨーデル」が運行を開始し、その人気に気をよくした弘南バスが2年後に東京行きの「ノクターン」を運行開始し、地方都市を起終点とする高速バスがブームになりました。
そういうタイミングで、沿線バス事業者は、ようやく盛岡〜仙台間も高速バスをやればもうかるかもしれないと気付き、沿線5社で競願となりながら、「アーバン」運行開始に至ったのです。
先見の目があるバス事業者があれば・・・などというのは、後出しの意見に過ぎないのですが、誰も手を上げない事業に手を上げる勇気というのは、いつの時代でも、そしてどんな業種でも難しいものです。
過去の特急バス路線の復活という意味では、東日本急行が最も近い位置にいたのに・・・当時思ったことをイラストにしてみたのが今回です。