画像掲示板 過去ログ

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更新後記(2021.3.5)

#2218名前:管理人時刻:2021-03-05 22:05:43

「1970年代奥の細道」の秋北バスをまとめ終りました。
この時代、秋北バスでは、看板路線であった大館〜十和田湖間には前ドアの新車を導入し、新車に代替されるとドアを増設して短距離路線に転用していました。写真を並べているうちに、そんなことが分かってきました。 しかし、前ドア路線車は、1972(昭和47)年を最後に、新造されていないようです。

その後、大館〜十和田湖間の路線バスはどうなったのか。
その答えが、こちらの写真です。本文に掲載した車両とは、番号違いの同型車です。
今回の表紙写真も同じ時期ですが、1980年代になると、1970年代初期に新造された貸切バスを格下げし、この路線に投入するようになっていました。
秋北バスの特徴として、路線格下げの際には、側面方向幕をきちんと新設しています。時代や手法は変われど、秋北バスにとって、十和田湖への路線バスは、重要であることに変わりはないようでした。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2219名前:とまります時刻:2021-03-06 21:05:18

こんばんは。

リアに方向幕の付いたオバQは初めて見たのですが秋北バスのホームページに登場するこのオバQはフロントガラス上部に行灯(方向幕?)が取り付けられています。
ヘッドライトの間かフロントガラス直下ではなくこの場所というのがおもしろいです。

加えて、貸切車でもドア側に広告取り付け用と思われる枠があるのも、路線転用を意識したものでしょうか。

写真は87年夏に八幡平頂上で撮影したものですが、フロントガラス内側に愛称表示用の枠があるのもこの頃の花輪所属の長距離車の特徴でしょう。
(顔で見難いのですが「急行ひめます号」のプレートが差し込まれています)
花輪−八幡平頂上の急行便は「八幡平号」、八幡平頂上−田沢湖駅は「やまどり号」で車内放送でもちゃんとアナウンスしていました。
(羽後交通便には愛称が無かったです)

Re:更新後記(2021.3.5)

#2220名前:管理人時刻:2021-03-06 23:14:02

とまりますさん、こんばんは。

確かに貸切バスにも、側面に四角い枠がありますね。何を入れるんでしょうか。

「ひめます号」の名前は記憶があります。そんな名前が付いていたなと思いつつも、どの路線だかが思い出せませんでした。ヒメマスは十和田湖に生息しているので、大館方面が「とわだこ号」なので、残りは八幡平方面しかないんですが。
八幡平−田沢湖が「やまどり号」という名前なのは、初めて知りました。

1987年の八幡平の写真、1976年式のBUだと思いますが、やはり側面に四角い広告枠が見えます。
そういえば、盛岡駅まで来る高速バスにも、続行便かも知れませんが、最初はBUが来ていた記憶があるんです。写真がないのが残念です。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2223名前:53時刻:2021-03-25 12:02:04

こんにちは

わたくしも前方ブレてはっきり写ってませんが、ひめます号らしき画像ありました。V10プレートあるので、CRAでしょうかね?
93年 発荷峠

Re:更新後記(2021.3.5)

#2224名前:管理人時刻:2021-03-25 20:55:25

53さん、こんばんは。
大館から来たのなら「とわだこ号」、八幡平から来たのなら「ひめます号」ということでしょうか。
後ろの方の形を見ても、確かにCRAですが、前面窓のHゴムが白いので、古く見えますね。
そして、秋田22ナンバーのように見えます。V10プレートの色もちょっと変だし、もしかして譲受車ではないでしょうか。
こんなに自社発注車とそっくりな仕様ということは、もしかして、元岩手観光バスでは、などと思いました。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2225名前:53時刻:2021-03-26 08:21:35

管理人様 こんにちは

岩手観光の73SCとソックリですね。 82年撮影

秋田22に見えますが、岩22から、岩手22に変わったのが88年頃なので、秋22から秋田22に変わったのが岩手県と同じ頃なら可能性はありますね。

気のせいかもしれませんが、岩手観光930号は非常口の下の方が傷んでいて、秋北141号は非常口下の方が鉄板?何か貼ってあるように見えます。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2226名前:管理人時刻:2021-03-26 09:08:49

この時点でも、チンプンカンプンの方もいると思いますので、一応追加説明します。
「秋2」→「秋22」(1970年代)→「秋田22」(1980年代)→「秋田200」(1990年代)
という感じでしょうか。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2227名前:53時刻:2021-03-26 17:33:10

73SCのBUのリアからの写真ありました。
この時代の観光車によくある四角で豪華に見える3連のレンズではなく、元はとバスともちょっとちがう丸いレンズが付いてます。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2229名前:管理人時刻:2021-03-27 20:59:14

秋北バスのBUは、こんなテールランプだったんですか。
オバQでは、丸形2灯は珍しくないので、それを引き継いだ仕様でしょうか。
ちなみに盛岡駅に秋北バスBUが来た写真は、いつ頃の撮影ですか?
学生団体が乗っているようなので、高速増発ではなく、貸切ですよね。

あと、岩手観光バスの写真と、譲渡後の秋北バスの写真が、ほぼ同じ角度だというのが、何気にすごいです。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2231名前:53時刻:2021-03-28 09:59:57

秋北バスBUは1984年8月6日午前8時39分です
今では珍しい角ライト2灯のチャリのお姉様はもう50才位でしょうね。

もし岩手観光と修繕跡などからで秋北バスがまったく同じ個体であれば、それを11年越しにほぼ同じ角度で撮影(秋北バスは家族旅行中)できて、なおかつ譲受車と発覚したのが撮影の27年後なんて真実であればまさにミラクルですね。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2233名前:とまります時刻:2021-03-28 16:40:53

53さんが撮影されたBUにも側面に四角い広告枠がありますね。ドア横には「出入口」のプレートを差し込むと思われる枠が見えますし、この車も当初から路線にも使うことを想定していたのかなと思いました。

90年代初めのゴールデンウィークにみちのく号の続行便で同じボディーの車が来たことがありました。
当時の秋北の高速車には県北バスで使用してた“パタパタ運賃表”が取り付けられていましたが、続行便の車にはなかったので花輪の車だったのでしょう。側面幕はあったのですが正面ともに「秋北観光」と表示していたと記憶しています。

>角ライト2灯のチャリ
この頃乗っていた自転車も2灯角ライトだったのですが、これを9Vの積層電池で点灯させて「停車中でも明るい!」と独り悦に入っていました。ヘンな子供でした。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2234名前:管理人時刻:2021-03-28 18:08:40

こんばんは。
秋北バスのBUは、1984年にはまだ貸切車だったのですね。
側面の小さいのが「貸切」表示板で、その下の枠は、行き先表示版ではないかと思います。
広告枠のような大きい枠に何を表示するのかは分かりません。
3/5更新の奥の細道の本文にも出てきますが、貸切車でありながら、枠だけは用意されていたようです。まだ高速バスはない時代なので、恐らく、十和田湖線などの路線に使う前提だったのだろうと想像します。

私が盛岡で高速バス増発のBUを見た記憶があるのは、1984年のことです。最初のうちは、高速バス、それも県外事業者には関心が薄く、写真は撮っていません。
年式によっては、十和田湖線に使うため、側面方向幕をつけた車両もありましたが、53さんの写真にあるように、現役の貸切車だった可能性の方が高い気がします。

秋北バスについても、今更ながら、興味が湧いてきてしまいました。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2236名前:とまります時刻:2021-03-28 19:53:26

画像は「クラリオンバス機器ニュース」別冊情報編「THE HIGHWAY BUS」64ページの秋北バスの写真をスキャンしたものですが、側面方向幕・ワンマン灯があり県北バスのような愛称表示板もついているよう見えます。
(元から小さい写真なので分かり難いのですが)
87年10月発行なので80年代半ばに撮影されたものと思われます。盛岡へ来ていたBUはこんな感じの車でしょうか

Re:更新後記(2021.3.5)

#2237名前:管理人時刻:2021-03-28 21:37:59

あああ、多分これですね。盛岡に来てたBU。
「奥の細道」に出てくる1977年式のBU20KPと同一車両のようです。側面方向幕付きに改造されて、路線仕様になっていますね。
もしかすると、1982年の高速バス開業時に、新しめの貸切車両を高速兼用に改造したのかも知れません。
岩手県交通で、早坂高原線用に1979年式のCRAが、早くに路線改造されたのと同じような理由で。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2240名前:53時刻:2021-03-31 17:20:02

こんにちは
他にも73SCの写真ありました。ナンバー900番台でまだBUなのですね。ホイールキャップ付きの観光車ですけど側面に広告入っています。
1982年盛岡駅

Re:更新後記(2021.3.5)

#2241名前:管理人時刻:2021-03-31 22:34:39

こんばんは。
今、資料を見返してみましたが、秋北バスでは、1979(昭和54)年まで、貸切バスにBU20KPを入れています。この908も1979年式ですね。
そして、翌1980年にも、路線シャーシのK-CPA550を入れています。まるで国鉄バスのようです。
但し、並行して入れたハイデッカーは、さすがにCRA580です。

そんな秋北バスに、平成になってから、BUより古いCRAが岩手観光バスから転入したというのも、面白い現象ですよね。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2246名前:とまります時刻:2021-04-03 19:49:35

こんばんは。
バスラマNo114のバス事業者訪問は秋北バスと秋田中央交通ですが、34ページ「秋北バスアーカイブス」として BU20KPの秋22・909の写真が載っています。
「観光タイプの貸切・路線兼用車」という説明があるのですが、側面方向幕があるので導入当初から路線車だと思い込んでいました。
53さんの撮影された908と合わせて“導入時→その後”という感じでしょうか。

909は93年に花輪営業所で撮影とのことですが、90年代に入ると秋北オリジナルカラーのハイデッカーT型も八幡平へ登って来ていました。やはり側面幕は取り付けられていました。
同じ頃、県北バスでもモノコックボディーの貸切ハイデッカーが路線車としてアスピーテラインを走るようになりました。

Re:更新後記(2021.3.5)

#2248名前:管理人時刻:2021-04-04 10:49:42

基本的に、秋北バスは、乗合に格下げする際には、側面方向幕を取り付ける改造をしていたようです。
1970年代奥の細道にアップした板橋不二男様の写真では、まだ貸切登録なので方向幕はありませんが、私の写真も含めて1980年代には、いつの間にか方向幕付きになっています。
その反面、新製時から広告枠のようなものをつけていたり、サボ受けがついていたりという点は、ちょっと一貫性に欠ける気もしますが。

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