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更新後記(2018.7.8)

#1741名前:管理人時刻:2018-07-08 18:32:17

関東地方では6月に梅雨明けが報道されたと思えば、西日本では大水害など、過激な気象が続いています。
しかし、今週はまた猛暑が続きそうです。
そんな中で、例年の期間限定納涼企画で、昨年に引き続き、旧型国電を振り返ります。
もともと、納涼企画の趣旨は、忙しいし暑いし、やる気の起きない夏に、手持ち画像でお茶を濁そうということだったのですが、逆に量も多くて手がかかるようになってしまいました。
それでも、雪の中の画像でも眺めて頂いて、少しでも涼しくなってもらえればと思います。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1747名前:左党89号時刻:2018-07-26 21:53:13

尾籠な話ですが・・・
今回の更新での身延線でのコンテンツの前文で懐かしい記憶が甦りました(笑)
子供の頃、友人数名と2チームに分かれて命令に従ってすすむ「探検ごっこ」をしていたとき、命令の中で「東北線の線路を進んで・・・」というのがあり、それに従って線路を歩いていたら前方遠くに583系の「はつかり12号」が!
慌てて線路際に出て築堤から数m下がったところまで降りて通過まを待ちましたが、通過時に若干水分を浴びたようにも・・・
今となっては危険なことをしていたなと反省する次第です。

馬糞の話で思い出したのが母親が言っていた「佐藤・高橋・馬の糞」でした。それだけ多かったことでしょうね。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1748名前:管理人時刻:2018-07-28 00:08:28

「佐藤・高橋・馬の糞」ですか。馬の糞と一緒にされてはたまりませんね。
線路の近くで遊ぶのは、どこの子供でもやることですが、飛んでくる水の意味までは分からない場合が多いです。
私の友達も「冷たくて気持ちいい」くらいのことを言っていましたので、知らぬが仏という奴だと思います。
大体、ああいう物が上から降ってくるというのは、普通は考えませんよね。
ガード下とか、陸橋をくぐるとか、そういうときに上を長距離列車が通り過ぎることは、頻繁にあったと思いますが、当時の人はどう考えていたんでしょう。
そういう場所に、信号とかで長時間停車した場合のことを考えると、ぞっとします。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1749名前:ポンコツ屋 赤木時刻:2018-07-30 10:23:47

脱線話に便乗します。

横浜の平沼橋近く、住宅展示場が国鉄や相鉄の線路沿いにあって、幼稚園児の頃、よく祖父と祖母に連れられて電車を眺めに行きました。

東海道線が連結部あたりから飛沫を上げているのを興味津々で見ていると、祖父が「ウンコとションベンだ!」と。
なにしろ子供はその言葉が好きですから電車の便所が気になりだし、以後、東海道線や横須賀線に乗ると必ず便所に入って、穴の奥を眺めていました。

新幹線の便所がタンク式と知った時はショックでしたが、金属光沢も艶やかなステンレス便器には在来線と格の違いを感じたものです。意味もなくボタンを連打し、無駄に青い水を流しました。ごめんなさい。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1750名前:管理人時刻:2018-08-01 22:10:32

垂れ流しの時代は、また車両に冷房のない時代だったので、夏は窓を全開にしていたわけで、跳ね返りが車内に戻ってくることもあったようで。
そんなこともあってのことでしょうか、当時の大人の中には、「走行中に使ってはいけない。停車中に使うんだ」と思い込んでいる人もいたようです。
多分、「黄害」が社会問題となっていたため、飛散を防止することだけが問題だと誤認識していたんでしょうね。
黄害は新聞でも取り上げられたし、住宅の密集する都市部ではトイレ使用を控えるような放送もあったように思います。

あ、ポンコツ屋赤木さんが連打して流した青い水は、循環水なので、いくら流しても大丈夫です。トイレを使うたびに水源が供給される方式ですから・・・。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1751名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-02 01:11:17

便乗させていただくのは恐縮ですが、私も垂れ流し時代の記憶有ります。165系のトイレに入ると、線路の敷石が素早く通過していて、レールの響きも露わでした。大宮を越した辺りの田畑にはよく「列車便所タレ流し反対」とか言う看板が立てられていました。
汚水タンクが装着されだしたのは、昭和の50年あたりからでしょうか。この頃は電車での出掛の時、165系を外から見てトイレの下側に白い箱状の機器が付けられているのが時々有ったように記憶しています。裾部は、車両限界の為か斜め切り下げ形状でした。そのうちあれよあれよと言う間に、全車に装着されたと記憶しています。
これが汚水タンクと知ったのは大分後でした。新幹線が初めからタンク式だったと言うのは、走行中の気圧差の為に、外部と通々とする訳にいかなかったからでしょうか。それでは、181系に代表される(古くは151系)旧い時代の特急列車は当初タレ流しだったのでしょうか。それともタンク式だったのでしょうか。裕福ではなかった故、特急には全く乗れなかったので、少年の頃の特急のトイレの事は、未だに空白です。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1752名前:管理人時刻:2018-08-03 22:46:21

列車のトイレは、大まかには垂れ流し式から垂れ流さない式へと進化したわけですが、各方式にも複数のバリエーションがあるようです。
単純に言うと、垂れ流し式 → タンク式 → 循環式 という進化を辿ったのだと思います。
垂れ流し式でも、周囲に飛び散って黄害となるのを防ぐため、配管に大きな覆いをつけて、なるべく線路の近くで飛散するように工夫したものが最終形でした。
タンク式は、初期の新幹線に採用されましたが、流した水もすべてタンクに収まるため、容量が不足し、故障や使用中止が相次いだとのことです。
完成系となったのが現在も使われている循環式です。これは、汚物をろ過し、消毒液で青色に色づけしたものを流水として再利用するというものです。これなら液体がリサイクルされるので、満杯リスクは回避できるというわけです。
151系こだま型も最初は垂れ流し式で、新幹線でタンク式を採用したのは、速度云々より、新しいシステムの電車には垂れ流しを使いたくはなかったからではないでしょうか。昭和30年代初頭には、すでに垂れ流しは問題視されていたそうですから。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1753名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-04 01:55:27

御教示有難う御座います。私が始めて新幹線に乗った昭和44年は、既に青水だったように記憶しています。この時点では循環式トイレの技術は有った訳ですね。この時代で既に、タンク式では、容量満杯の痛手を受け易いのも知れ渡っていたと言う事ですか。て言う事は、昭和50年辺りに相次いで汚水タンクが装着されたのも、実は循環式だったと推定出来そうです。
少年期のこの頃、どんなトイレかと気に留める事はあまり無く、もう列車トイレは狭苦しいとばかり思って、あまり見に行く事も無かったです。実は最近も、列車トイレにはあまり行っていないです。今こうやって考えると一種トイレ考古学ですね?。
これも裏方の開発舞台の苦労有って発達した物ですから、次回列車トイレに行った時は、システムの観察勉強もしてみたいです。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1754名前:管理人時刻:2018-08-04 21:13:29

画像をクリックで拡大
鉄道車両のトイレについては、ニッチな分野で、きちんと正確に記述されているものがあるのかどうか・・・という中で、鉄道ピクトリアルの1998年2月号で「列車のトイレ」という特集をしておりました。
奇しくも、元埼玉のバスfanさんが初めて新幹線に乗った1969(昭和44)年度に、新幹線はタンク式から循環式への改造を終えているそうです。
ただし、在来線で1975(昭和50)年あたりに汚水タンクが相次いで取り付けられたという事実は確認できません。
車両改造だけでなく、電車区などの地上設備も整備する必要があり、線区によって進行状況は異なっていたようですが。
さすがにトイレ部分を撮影する機会は少ないですし、私自身、新性能電車はあまり撮っていないので、今回、ネガをひっくり返しても、この程度しか出てきませんでしたが、4枚の写真を添付します。
左側の2枚が垂れ流し式の配管覆いをつけたもの。上は急行型電車、下は近郊型のグリーン車です。右側の2枚は循環式。上は特急型ですが、下は近郊型です。
面白いことに、下の写真は左右が同じ編成に収まっている車両です。グリーン車が垂れ流しなのに、普通車が循環式というわけです。
これは、その普通車がサハ111-1000番代という車両で、東京地下駅乗入れ仕様だったためだと思われます。
これらの写真は、1980年代初頭のもので、優等列車でもまだまだ垂れ流し式が多かったことが分かります。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1755名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-05 00:37:25

写真添付の程、有難う御座います。そうですね、私が見たのは循環式処理装置です。今見ると、アレこんな格好だったっけと不思議に思う脳細胞分子も多少は正直有るのですが、ここ約40年この事も考えずだったので流石に記憶も不正確です。昭和50年辺りに相次いで改造されたという目撃は、特に赤羽駅を通る、高崎線や東北線等で見た165系、169系等ですね。北埼玉の辺の農家等からかなりと苦情叩かれしていたのでしょうか。当然、他の地域の方々だって文句を言わずになんか居られないでしょう。でも東京駅を玄関口に活躍している電車では、結構遅く迄循環式対策がされていないのも有ったのですね。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1756名前:時刻:2018-08-09 00:05:00

こんにちは。
垂れ流し式の便所なんて、今では考えられないですね。私自身は体験したことないのですが、学校の先生が「昔は便器の下から線路が見えていて・・」なんて話を面白おかしくしてくれましたね。80年代に首都圏に存在していたなんて、驚きです。近郊型や特急列車はあまり乗る機会がなくて知らなかっただけかも・・

ちょっと話は逸れますが、管理人様の写真の右下、サハ111系の写真を見ていて懐かしくなりました。高崎、宇都宮線の115系も、これと同様に側面方向幕の準備だけしてあり、長らく金属のサボを使っていた(上野駅での入れ替えを思い出します)のですが、90年代(下手すりゃ後半?)に入っても改造される様子はなく、このまま使われずじまいなのか、ダミーなのかと思っていたら、快速が設定されたり行き先が多様になったりした頃から自動方向幕が設置されるようになり、この車も最後まで使い倒すつもりなんだなとちょっと安心した記憶があります。とは言っても、好きなのは211系だったんですけどね^^

Re:更新後記(2018.7.8)

#1757名前:管理人時刻:2018-08-10 22:43:48
近郊型の側面の方向幕は、確かに準備工事が多かったですね。通勤型と近郊型は冷房取付と側面方向幕がセットだったので、使う使わないにかかわらず、設計上は付けることになるので、仕方のないことなのですが。
横須賀線や京阪神で使っていたものを、東北本線や高崎線ではなぜ使わなかったのかは、よく分かりませんね。
ついていない車両が混じっており、そうなるとサボはなくせないし、交換作業する人も減らせないし、ならば従来のシステムをそのまま踏襲した方が合理的との判断でしょうか。
写真は、名古屋地区で1981年に撮った113系。準備中の方向幕が緑色に塗りつぶされている名古屋鉄道管理局内の仕様です。
ドアの脇には横サボが見えます。

あとトイレの話に戻りますが、垂れ流しと循環式との間に、紛砕式というのもあったらしいです。交直両用には特に優先的に取り付けられる計画だったと書かれています。

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