画像掲示板 過去ログ

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更新後記(2017.2.23)

#1504名前:管理人時刻:2017-02-23 23:08:35

今回「バスのカラーリング」コーナーではベースとなる、カラーリングのパターン分けをやってみました。
近年ではかなり独自デザインが増えてきたように思いますが、かつては基本デザインがあって、それをベースにデザインが展開されていたことがよく分かります。
そのカラーリングつながりで、トップ画像を日本交通、更新記事に岩手県北自動車という小技を利かせてみました。
そうなると島原鉄道も欲しいということで、ここでは島原鉄道の画像を添付します。
2006年に近くを訪れた際、岩手県北自動車とよく似た廃車体でもないかと寄ってみたときの写真です。
残念ながら廃車体は見つけられませんでしたが、新型バスに3本線カラーが復活していたのを見て、シャッターを押しました。
島原鉄道は1980年代までは、車両といい塗装といい、岩手県北バスそっくりだったのですが、今では日本交通ともども若干違う方向に進んでいます。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1505名前:時刻:2017-02-24 11:57:24

幾何学図形というのは初めて見ました。今見ても斬新です。やはり作りや導入・運用方式(形状は似たり寄ったりでカラーリングだけが異なる)が似ているからでしょうか、バスのカラーリングは、鉄道よりも飛行機に近い感じがありますね。流行の移り変わりも含めて。

また、いつ頃なのかわかりません(60年代?)が、英語3文字で会社名を表す表記も流行りました。今では航空会社やテレビ局くらいですが、バスには意外に多かったですよね。知名度が低すぎて、結局何を表しているのか分からないのでやめてしまった会社も多いです。

まだまだ色々とテーマがあるようですので、知っているバス会社が登場するかとワクワクしながら、更新を待っております^

Re:更新後記(2017.2.23)

#1508名前:管理人時刻:2017-02-25 22:59:03

獣さん、こんばんは。
>バスのカラーリングは、鉄道よりも飛行機に近い感じがありますね。
なるほど、単体で成立するバス、航空機と、編成で成り立つ鉄道との違いでしょうか。
もっとも流行の傾向は鉄道もバスも似ているようには思います。バスに斜めラインが流行した1980年代はじめに、特急「踊り子」の185系が斜めライン入りで登場し、度肝を抜かれました。
>英語3文字で会社名を表す表記も流行りました。
これは終戦後、1950年代からの流行ではないかと思っています。
側面とかリアとかに英語3文字が入るパターンが多いですね。
TKR(高松琴平電鉄)、NNR(西日本鉄道)、KKK(国際興業)、GBC(岐阜バス)、TBK(立川バス)など、挙げ始めたらきりがありません。
これも鉄道でも存在し、KTR(京王)、TKK(東急)あたりは鉄道、バス共通です。
ちなみに放送局と同じ略称もあり、IBC(岩手放送、伊那バス)、CBC(中部日本放送、千曲バス)などが思い浮かびます。
一応説明すると、Broadcasting(放送)とBus(バス)のBですね。
もともと英語の略称は3文字という先入観があったようです。
国鉄を分割する際、もう3文字の略語が7社分も残っていないという報道がありました。どうするのかと思っていたら、掟破りの2文字(JR)になったというのは当時は意外でした。その後、JTとかJHとかが誕生し、今では珍しくありません。
写真は秩父鉄道です。CTB(=秩父鉄道バス)と書いてあります。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1510名前:farewellsong時刻:2017-02-27 01:12:09

管理人様:
お久しぶりです。
秩父鉄道観光バスですが、現在の塗装は復刻とは異なりますが復活した経緯があります。
昭和56年に川重ハイデッカーIVで36名乗フルサロン車が登場し、一般車も昭和58年にセミスケルトンのR3が導入された際に黄色+茶色の塗装になります。

その後鉄道車両共々デザインを変更することになり平成6年の新車が1000系電車同様白地に水色のデザインとなりましたが、以前の黄色+茶色の評判がよく鉄道からの分社後の新車で戻した経緯があります。
ロゴは分社・塗装復活後に変わったもので、元々の塗装の車両もロゴを付け替えることになりました。

「バスのカラーリング」スレッドに書こうかなぁと思いつつ、白地に水色の塗装の画像を探していたのですが見つからずで控えていた状態だったのですが、「CTB」ロゴのお話が出て思わず書き込んでしまいました。

画像は廃車体ですが当初の塗装のまま引退した車両で昭和59年式P-LV219Sです。
昭和59年より11列貸切車は「品質」が向上し、後部1列回転シートを持つNSK(ニュースケルトン)54という愛称で平成元年式のHD-I車体まで導入されていました。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1511名前:farewellsong時刻:2017-02-27 01:47:55

岩手県北バスの岩22か657ですが、これは東武ではありません。

昭和44年前期または43年後期以降は前面方向幕横のマーカーが省略され、バス協フロントウインカーと前面方向幕横マーカーの組み合わせはこの短い期間に限られます。

前扉車はこの世代以降は日光と鬼怒川のみに新規導入されているのですが、43年後期分として43年末〜44年上半期頃に富士重車体の前扉ツーマン車が導入されて以降、46年度まで2営業所には貸切兼用車が導入され純粋な乗合車の導入がなくなります。
43年度後期の富士重車体ですが、この時点ですでにマーカーは省略されています。
(同じ44年式でマーカーがあった個体がいすゞにはありましたが日野にはなかった様子)

また、後部の二分割窓は貸切車もしくは貸切兼用車のみの装備で、乗合車は普通の三分割窓でした。
側面下のモールも43年度までの装備となり、この世代には存在しません。
また、窓を支えるHゴムですが、当時白と黒が選べ、東武の一般乗合車は黒でした。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1512名前:時刻:2017-02-27 10:38:42

> もっとも流行の傾向は鉄道もバスも似ているようには思います。バスに斜めラインが流行した1980年代はじめに、特急「踊り子」の185系が斜めライン入りで登場し、度肝を抜かれました

そうですね、国鉄がこういう大胆なことをやるのは斬新に感じました。鉄道の場合は編成でデザインが統一される必要があるので、必然的に横方向にまっすぐな塗り分けにならざるを得ないところを、車両ごとに塗り分けてしまったのですから。

何となくですが、首都圏は堂々とした鮮やかな色を単色で使うのに対し、田舎の方は地味な色を複数組み合わせ、少し複雑めなデザインにする傾向があるので、この斜めラインは下手すると田舎っぽくなってしまっていたかもしれません。

他に飛行機とバスのデザイン類似性としては、前後方向があるというところでしょうか。途中まで真っすぐで後ろで斜めに切り上げるというのは、鉄道では難しいでしょうね。

流行りと言えば、管理人様が以前におっしゃっていた船との関連(ひさしを付けたり、斜め窓にしたり)ですが、塗り色的にはどうなんでしょうね。船はあまり変わり映えしないような・・?

> これは終戦後、1950年代からの流行ではないかと思っています。
> もともと英語の略称は3文字という先入観があったようです。
> 国鉄を分割する際、もう3文字の略語が7社分も残っていないという報道がありました。どうするのかと思っていたら、掟破りの2文字(JR)になったというのは当時は意外でした。その後、JTとかJHとかが誕生し、今では珍しくありません。
> 写真は秩父鉄道です。CTB(=秩父鉄道バス)と書いてあります。


50年代からですか・・CTBも分かりませんね。私も地元のKKKなら分かりますが、家族友人どうしでそう呼ぶこともありませんでしたし、親の地元の松本電鉄バス(M.R.C.)や京浜急行(K.H.K.)って何のこっちゃと思っていました。いったい誰のためにあった(ある)のでしょう・・

確かにJRの2文字は掟破りで新鮮に感じましたね。国鉄をJNRと呼ぶことはありませんでしたが、JRの呼称は完全に定着しましたし。JRになってからしばらく、貨物列車の側面ロゴのJNRのNだけスプレーで消されていた車両があったのを思い出しました。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1514名前:管理人時刻:2017-02-27 23:07:09

farewellsongさん、こんばんは。
秩父鉄道の黄色いバスは旧カラーだと思っていたのですが、いつの間にか復活していて、その理由がよく分かりませんでした。分社後に復活したということなんですね。納得しました。
白地に青の曲線のような模様の入ったデザインも悪くはなかったと思っています。
ただ、それと同じ時期だったと思いますが、「Chichitetsu」と書いてありましたよね。
日本語の社名の略称を、それもローマ字では読みにくい文字列を車体に書いてしまうところがすごいと思いました。
「チチテツとローマ字で書くのはおかしい」とFM放送のアナウンサーがDJをしている番組で言っているのを聞いたこともあります。
残念ながら、私もその時期の画像を持ち合わせていません。

添付の写真は「Shimoden」と書いてある下津井電鉄のバスです。

追伸:東武バスの件は、ページ内に注書きを加えさせていただきました。要約してしまっていますが、ご確認ください。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1515名前:管理人時刻:2017-02-27 23:17:16

獣さん、こんばんは。

やはり1980年代のことですが、第三セクターブームやジョイフルトレインブームの中で、斜めラインの鉄道車両は増加しました。
三陸鉄道の気動車がその走りになりました。
地方ローカルの気動車は、単行運転が多く、斜めラインでも見栄えがしました。三陸鉄道は、さらに編成を組んでも成立するデザインだったのです。
とりえずサイト内の画像からですが、三陸鉄道36形の2両編成です。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1516名前:管理人時刻:2017-02-27 23:33:47

次に3文字略語についてです。
M.R.C.は英語(Matsumoto Railway Corporation)なので、略語もセーフでしょうか。あとは、OER(小田急電鉄)、KTR(京王帝都電鉄)、NNR(西日本鉄道)も英語ですね。
K.H.K.は何を略したんだという感じですね。東京の関東バスも、昔の写真を見るとK.N.K.と書いてあって、Nは何なんだと思いますが、その後K.B.K.に変わりました。
大体において、末尾にKがつくのは株式会社とか急行とかの日本語を表している場合が多いようです。

交通企業で略称が定着したのは、航空会社のJALとANAでしょうか。
JALはそれを一つの単語として「ジャル」と読ませますが、ANAは「エー・エヌ・エー」と読ませます。

交通以外では、3文字略称を企業名にしてしまったNTT、JTB、UCCあたりがメジャーなところでしょうか。
これらの場合は、すでに元の企業名を知らない人も多くなっているんでしょうね。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1517名前:farewellsong時刻:2017-02-28 04:54:55

管理人さん:
追伸の件、ありがとうございます。

> 東京の関東バスも、昔の写真を見るとK.N.K.と書いてあって、Nは何なんだと思いますが、
旧社名は関東乗合自動車(Kanto Noriaijidousha K.k.)となります。

> ただ、それと同じ時期だったと思いますが、「Chichitetsu」と書いてありましたよね。
秩父鉄道は略称を「秩鉄(ちちてつ)」としており、タクシーや商事など複数の直系子会社も秩鉄と名乗っていますので、自分的には違和感はなかったのですが発音しずらく、言葉として成立しにくい(?)のは確かです。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1518名前:とまります時刻:2017-02-28 20:27:55

3文字略語といえば、「1970年代奥の細道 県南バス編」を見るとボディー側面に「IKB」の3文字が見えますね。
松園ゾーンバスの本格運行が開始された頃に導入された車には、中古・新車問わず写真の「IKK」のロゴが記されました。国際興業からキュービックLVが多数導入され国際興業路線カラーを本格的に採用した頃でもあり、「KKK」をちょっと細工して県交通として新カラーのワンポイントにしようとしたのなかと思ったのですが、数年後にはこのロゴは使用されなくなりました。「IKK」、無理やり感が無くもありませんでした・・・。

以前参考にさせていただいたこちらのサイトによると、上から7枚目の写真に花巻電鉄バスの後姿があり中央の非常口に「H D」の2文字が見えます。
おそらく「Hanamaki Dentetsu」の頭文字と思われますが、3文字に比べて落ち着きが悪いように感じられて 素直に「花巻電鉄バス」と書いたほうがいいのにと個人的に思っています。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1519名前:管理人時刻:2017-02-28 23:33:19

farewellsongさん、こんばんは。

確かに、秩父鉄道のグループには秩鉄商事などの社名があるわけで、それは正式な社名なので、色々言ってはいけないのですが・・・。
論点としては「秩」の部分と「鉄」の部分と、それをローマ字化するという部分でしょうか。
地名にはその知名度と読み方に色々と制約があります。
「茨城交通」を「茨交」と略しており、この名前を使ったグループ会社もあるのですが、漢字を読むと「いばこう」ではなく「いばらこう」になります。
「かしてつ」は漢字を当てるのが難しいので平仮名になっていますが。
だからというわけではないと思いますが、石見交通(いわみこうつう)は、「いわこう」にはならずに「イワミ」と略しているようですね。
次に「鉄」の部分ですが、特に地方私鉄には、略称に「鉄」や「電」が入る場合が多いようです。十鉄、静鉄、琴電、熊電、伊予鉄など多数あります。
地元では定着していますが、よそから引っ越してきた人が、遠鉄ストアを鉄製品を売っているDIY用品店だと思ったとか、松電ストアを電気屋さんだと思ったとかいうエピソードがあります。
そしてそれを更にローマ字にしてしまうことに、どういう意味があるのか・・・という話です。
ええと、批判や非難をしているわけではなく、こういう命名をする地方私鉄の感覚というのは面白い、というニュアンスで捉えてください。

写真は大鉄観光バスです。大井川鉄道の子会社ですが「おおてつ」ではなく「だいてつ」と略します。
大阪にJR西日本の子会社の大鉄工業というのがありますが、それとは関係ありません。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1520名前:管理人時刻:2017-02-28 23:41:39

とまりますさん、こんばんは。
本家国際興業のKKKもやめてしまいましたが、岩手県交通のIKKもやめているんですね。
添付した写真は、昨年、盛岡バスセンターにお別れをしに行ったときに撮りました。

花巻電鉄のリアの文字は、「HD」の後ろにもう1文字あるような位置関係ですね。「HDB」か「HDK」でしょうか。それとも「HDC」なのか・・・。
花巻電鉄の電車には書かれていませんし、バスのリア写真もほとんどないようなので、わかりませんね。
もし「HD」の2文字だったら、当時2文字の略称を使ったという、非常に先進的な会社だと言えるかもしれません。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1521名前:とまります時刻:2017-03-03 19:51:56

電鉄バスの「H D」の件ですが、『RMライブラリー 花巻電鉄』に路線車と思われる後姿がありましたが「H D」の文字がなかったので、貸切車だけの表記だったのかもしれません。
「はなでん」という略称があったのか分かりませんが「はなでん」で「H D」だったのかもしれません。
(西花巻駅=中央バス花巻営業所の近くにこの名前の電気屋さんがあります)

話は変わりますが、30年前に県北バスの車内放送を録音したカセットテープに乗客と運転手とのやりとりが入っていて、持っている回数券が使えるかどうか尋ねたところ運転手が「それは“青いバス”のだから使えない」と答え、乗客も「“青いバス”のほうね」と了解していました。
その頃盛岡周辺で県交通を「青いバス」という習慣があったのか、それともこの運転手だけの表現だったのか分かりませんが、社名ではなくボディーカラーでの区別が面白く感じたのでした。
JRバスも「青いバス」ですが内丸周辺での出来事で、JRバスも本数が少なかったのでこれでよかったのでしょう。

Re:更新後記(2017.2.23)

#1522名前:管理人時刻:2017-03-04 23:09:05

とまりますさん、こんばんは。
バスを色で表現するのは、昔からの現象のようですね。
「カラーデザインの歴史」のところでも書きましたが、大正時代から事業者名よりも色で区別されていたようです。
最近まで使われていたのは那覇交通の「銀バス」で、正式名称でないにもかかわらず、バス車体にも書いてありました。
複数のバス事業者が走るような街では、このように色で区別するのが分かりやすいんでしょう。

私が盛岡にいたころは、どうだったんでしょう。
県北バスを説明するときに「赤いバスのほう」と言ったら通じたという記憶はあります。県交通は、町じゅうを走っている当たり前のバスなので、特に色で言わなくても分かったような。

「青いバス」とか「赤いバス」とか呼ばれて親しんでもらうためにも、カラーリングというのはあまりコロコロ変えない方がいいんですよね。

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