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更新後記(2016.7.28)
Re:更新後記(2016.7.28)
何年かごとにバスセンター建て替え計画が出ては断念のニュースが流れていたのですが、花巻のマルカンデパート閉店の報道から暫くしての取り壊しの報道にこのタイミングを計ったのかと考えたりもしました。
(マルカンデパートは数年前から閉店の噂が流れてましたが)
“その頃”から八幡平へ通うようになって、その時は必ずバスセンターから頂上行きに乗っていました。
始発地だと確実に好みの席に座れるからでしたが、少しでも長くバス旅気分を味わいたいというのが一番の理由。
バスセンター8:30発の便をよく利用していましたが、当時は仙台・大船渡・網張温泉行きがほぼ同時刻の発車で、何本もの優等列車が同時発車するような感覚で八幡平頂上行きの車内から眺めていました。
7月の初めに盛岡へ行った際にバスセンターに寄ってみたのですが、写真に収めてる人が何人かいて(私もその一人でしたが)これは閉店間際のマルカンデパートと同じ光景だと。
改めて盛岡バスセンターとマルカンデパートの建物を眺めていたら、両方とも交差点の一角に建っているためか、何となくつくりが似てなくもないようにみえました。建物の中の雰囲気も。
この2つが同じ年に無くなってしまうとは、思ってもいなかったですね・・・。
Re:更新後記(2016.7.28)
とまりますさん、こんばんは。
私は盛岡周辺にしかいなかったので、マルカンデパートには馴染みがないのですが、今回盛岡バスセンター取り壊しに関連する検索をすると、マルカンデパートを惜しむ声も、同じように出てくるので、岩手県民の想いがよく分かりました。
小さいころにお出かけする先と言えば、大きな街の大きなデパートでした。その最上階には、決まって大食堂があって、子供心には憧れの場所でした。
マルカンデパートも、盛岡バスセンターも、そういう意味では似た存在だったのかもしれないですね。
建物の作りで言っても、最上階の食堂のガラス窓が連続している外観には確かに共通点が見られます。
八幡平行。私も盛岡バスセンターから乗りました。いつも県交通の市内線で眺める中央通りを、県北バスの観光タイプから眺めると、なぜか優雅な気持ちになりました。
Re:更新後記(2016.7.28)
お久しぶりです。
該当する分の更新後記スレッドがないようでしたのでこちらに書かせていただきます。
岩手県南の譲受車のうち元東武鉄道とは思われない富士重車体の側面方向幕なしの車両について出元を探していましたがいくつかの特徴から「恐らく」的なところまでわかってきました。
1.側面方向幕なし、ワンマン車は乗降表示もなし(但し県南で改造した場合は省略されている可能性が大)
2.セーフティウインドウ付き
3.RB120/RC10という長尺
4.一部車両は側面セーフティウインドウ横に日野RB/RC1シリーズのエンブレム
5.フォグランプ後付け(バンパー取り付け)
6.まとまった数が早期廃車になっている
これらの仕様で探してみた結果、元遠州鉄道の可能性が高いと考えられます。
他サイトで遠鉄に残った廃車体を掲載したサイトがあり、この仕様に合致しています。
ただ、現役時代の画像が欲しいところです・・・。
尚、遠鉄のRBについては昭和41年頃からフォグランプが標準になっているようです。
Re:更新後記(2016.7.28)
farewellsongさん、お久しぶりです。
更新後記は、気まぐれで書いておりました。
それにしても、遠州鉄道とは「なるほど」と思いました。
確かに、日野−富士重工の組み合わせで長尺車というと、遠州鉄道の特徴と合致しますね。
遠州鉄道中古は南部バスや羽後交通にも入っていたと聞いたことがありました。(確かいすゞ車だったと思いますが)
この時代から、遠州鉄道は中古を出していたんですね。Web上の廃車体の画像も検索してみました。確かに共通した特徴があります。
そうすると、該当ページに掲載の高出力車は皆、遠州鉄道の可能性が大ですね。1966年式からはフォグランプが埋め込み式になっていますし。
該当車両が岩手県内で廃車体として残っていたりすれば、調べようもあるんですが、残念ながら現存報告はありません。
ちょっと短いピッチでの更新となりましたが、7月9日、掟を破って、自分自身で岩手県に足を運んでしまいました。
目的は盛岡バスセンター。それと、わんこ様から情報と画像をいただいて以来、気になって仕方がなかった花巻空港ランプバスの廃車体です。
日帰りだったので、撮影できたネタはほぼその2者関連のみですが、それらをまとめてアップしました。
本当に久々の岩手県なのにもったいない気もしますが、「はやぶさ」のなせる業で、気軽に訪問できることが改めて認識できました。
盛岡バスセンターは、当時とほとんど変わらぬ姿でしたが、フジワラ売店は閉店後、シャッターが下りていました。
ルポルタージュを書くに当たっては、みんなが言う「昭和レトロ」の言葉だけは使わないようにしよう、と思っていたのですが、あの風景を表現しようとすると、ついその言葉が出てきそうになるのは不思議です。この場所に集う人々が、この建物がなくなったらどこで過ごすことになるんだろうか。そんなことを心配してしまいました。