画像掲示板 過去ログ

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更新後記(2015.12.6)

#1355名前:管理人時刻:2015-12-07 20:16:09

こんばんは。
満を持して、と言いますか、「1970年代 奥の細道」をスタートさせました。まずは岩手中央バスからです。
もともと岩手県の過去のバスを題材にして始めたサイトですので、さらに古い1970年代の岩手県のバスをご紹介できることを幸せに思います。
”その頃”の1980年代もそうですし、今現在もそうなのですが、色々なところから譲受車が集まっているのが、岩手県のバス車両の面白いところで、趣味者としては、どうしてもそういうところに着目してしまいます。 今回もそうで、どこからか移籍してきたと思われる三菱車が興味を引きます。
そして、ここでも写真をご紹介しますが、1970年にまとめて登録されたいすゞBA20の前ドア車です。
この年、岩手中央バスは国際興業の資本下に入り、一挙に23両ものBA30のワンマンカーを新車で購入。その続き番号で、前ドアのBA20が9両入っています。
当然新車だと思い込んでいましたが、よく見ると、1967〜68年式でした。
購入して2〜3年の車両をまとめて放出するとすれば、親会社の国際興業しか考えられないのですが、国際興業にこんな車両はあったのでしょうか。
そこで気づいたのが、国際興業が受注していた在日米軍のスクールバスです。京阪バスの色違いのようなカラーで、このサイズの前ドア車の写真が、本などで残されています。
ローバックの2人掛けシートの前ドア車という仕様も、スクールバスであれば納得できます。
BJハンドブックの歴史編によると、ピーク時の1968年には全国に1,000両以上があったとのこと。契約輸送なので、両数は常に変化していたと考えられますので、そこから9両の捻出は可能だったように思います。
この辺は飽くまでも想像の域を出ませんので、本文ではなく、ここで呟かせていただきました。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1357名前:時刻:2015-12-12 10:29:40

70年代の国際興業に中型車があったこと自体、知りませんでした。どこか田舎の方(川越方面?)で側面ルーバーが縦長の車両を見かけて変だな?と思った記憶はありますが。

バスの写真と言うと、マニア的にはどうしても形式写真的なもの、あっても風景との合わせが多くなってしまいますが、時が経ってみると、こうやって乗務員さんや乗客たちが写っている写真の方が貴重で、想像力をかきたたせてくれて面白いですね。

個人的にも、当時撮影して失敗と思っていた写真の方が大事に思えてきています。歳のせいもあると思いますが^^今撮っている写真や映像も、将来は宝物になるのかもしれませんね。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1358名前:とまります時刻:2015-12-12 20:22:26

保育園に通っていた頃からバス好きで中でも中央バスが大好きだったのですが(理由は分かりません)、その頃かかりつけの病院が中央バス花巻営業所のそばで、病院の行き帰りに営業所入り口に立ち止まっては大好きな中央バスの車両群を眺めていたものでした(親を困らせました。苦笑)。
写真を見て「こんな車を眺めていたんだ・・・」と感慨にふけっています。
(貴重な写真を撮影されていた板橋様およびこのコーナーを設けて頂いた管理人様に感謝する次第です。)
車両だけでなく、中央バスのバスガイドの制服もかなり貴重ではないかと思います。

車両群を眺めていた場所に立って営業所跡を撮影してみました。
営業所の跡地には、どれくらい前かは覚えていないのですが市街地中心部より税務署が移転。
(お寿司屋さんの背後が税務署)。
このあたりに花巻電鉄の西花巻駅があったと知ったのほんの10年ほど前でした。

国土地理院の地図・空中閲覧サービスで1976年に撮影された空中写真で確認したら、当然ながらこの場所に営業所があって黄色や緑のボディーも確認することができます。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1360名前:管理人時刻:2015-12-12 22:59:18

獣さん、とまりますさん、こんばんは。
確かに車掌さんやガイドさんの制服の写真も貴重ですね。
花巻電鉄のバスの前にいるのは貸切バスのガイドさんだと思いますが、緑色の制服で、バスのデザインと合わせてあるんですよね。花巻電鉄というのはハイセンスな会社だったのだな、と思います。
そして花巻営業所ですが、今の税務署のところにあったんですか。鉄道線の西花巻駅というのは方向転換のある重要な駅だったそうですが、その近くにバス営業所もあったんですね。
保存車のコーナーで紹介した「西花巻駅跡地」の看板がその付近にあるようです。さすがにバス営業所の跡地の看板や石碑はないですね。
ちなみに、花巻バスのほうの営業所とか本社とかはどこにあったんでしょうか。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1361名前:とまります時刻:2015-12-13 16:47:01

花巻バスについて、市内桜木町に営業所があったということを聞いており、また子供のころ我が家にあった道路地図(70年代後半のもの)に北上の飯豊の国道4号沿いに「花巻バス本社」という表記があったのを覚えています。
(その地図は探しても見つからないので捨ててしまったようです。)
そこで、国土地理院の地図・空中閲覧サービスで該当する写真を探してみました。

桜木町(1968年撮影)・・・整理番号:MTO682X、コース番号:C6、写真番号:7の写真で画面右上、最新の地図 だと川のすぐ北側で「桜木町3」と「桜木町2」の中間部分に該当する場所に車両群らしきものが見えます。
飯豊(1976年撮影)・・・整理番号:CTO766、コース番号:C42A、写真番号:17
画面左上の自動車学校敷地の真下にやはり車両群のようなものが見えます。
これらが営業所・花巻バス本社ではないかと思うのですが、自信がありません。
1976年の写真では桜木町に車庫は見当たらないので後に飯豊に本社とも移転したのかもしれません。

中央バス花巻営業所跡ですが何か残ってないか探してみましたが、なぜか営業所の敷地だけは当時とはすっかり変わっていて何も残っていませんでした。
西花巻駅跡地の看板は税務署の道路挟んで西側の消防署そばにあったかと思います。まだ確認してませんで・・・。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1363名前:管理人時刻:2015-12-13 23:32:20

とまりますさん、こんばんは。
調べてみたくても、1970〜80年代の地図というのが、古地図でもなく、新しくもないため、古本屋とかに出ていないんですよね。
飯豊の国道4号線沿いの「花北モータースクール」の南隣は、今では日野自動車になっていますね。
で、そのはす向かいにいすゞ自動車がありますね。このいすゞ自動車が昔からあったとすれば、花巻バス本社はこの場所で間違いないかもしれません。
板橋さん撮影の花巻バスをフライングでお見せしますが、これが花巻バス本社での撮影(1973年11月)だそうです。後ろに「いすゞ フォワード」というような看板が見えます。
夕方の西日の角度からして、今の日野自動車の場所からいすゞ自動車を見た方向で間違いなさそうです。
ライトバンが走っているのが国道4号線でしょう。その間には田んぼかなんかがあって、花巻バス本社敷地とはかわいい囲いで仕切られているようです。
ところで、岩手県交通合併後、花巻営業所の呼び方はどうなったんでしょう。確か「花巻営業所」と「花北営業所」があった気がしますが、どれがどれでしたっけ・・・。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1364名前:ks時刻:2015-12-14 00:26:53

投稿させて頂きます。

国土地理院の地図・空中閲覧サービスで以前から「その頃」や「その以前」のバス営業所の所在地を確認し一人で楽しんでいます。

1976年の航空写真で、とまります様が確認された、自動車学校の下側と現・税務署所在地の営業所の他にもう一箇所バス営業所らしきものが確認できます。
現・岩手銀行鍛治町支店前の駐車場です。花巻バスカラーに見えますがどうでしょう?
1968年の航空写真は確かに営業所のように見えますね。
現・花巻営業所所在地は1976年の航空写真では整備され、いつでも営業開始が出来る状態?に写っています。

北上市の1976年の航空写真では、現・北上郵便局にバス営業所が確認できます。
花巻バス時代の花北営業所なのでしょうか?
現・北上営業所は開拓中?のようです。

1965・69年の航空写真では盛岡駅南口付近に岩手中央バス・盛岡営業所が確認できます。1977年のまで確認できました。
河南営業所ですが南大通にはまだなく、八幡宮そば松尾町にそれらしきものが確認できます。
1976年より南大通りに確認でき、都南車庫が整備中のようです。
1965・69年はバスセンターの雫石所属車両待機場所に今では信じられないくらいバスが待機しています。

一番気になったのが岩手中央バス・青山営業所です。
1962年の航空写真では月が丘2丁目(現・シティー青山跡地)には存在せず、青山3丁目(現・青山3丁目上りバス停前)に写っているように見えます。
1965年6月になりますと現・上下線のバス停前、2箇所に車両軍が確認できます。
1968・69年には青山3丁目ではなく月が丘2丁目に確認できます。
それ以降は、分社した観光部門・岩手観光バスが月が丘2丁目に残り、中央バス(県交通?)は滝沢ニュータウン南口に移動したのでしょうね。
今から20年以上前ですが、青山3丁目下りバス停前には、岩手観光バスの寮があったと記憶しています。
中央バスがあった時からの名残なのでしょうか?

他に雫石営業所、1965・76年、雫石駅前にて確認。
紫波営業所(日詰)、1970(微妙)・76年より現在地。
上田営業所?、未確認(黒石野営業所ではないですよね?)

グーグルマップのように地上に降りれればもっとしっかり確認できるのに残念。

管理人様・他皆様、長々と申し訳ありませんでした。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1365名前:とまります時刻:2015-12-14 19:56:01

>ks様
>現・岩手銀行鍛治町支店前の駐車場

ここは花巻バスセンターですね。盛岡バスセンターを小ぶりにした施設でした。
写真はバスセンター跡地ですが、30年以上もこのままの姿です・・・

>現・北上郵便局にバス営業所
おでこが赤い白ボディーなので元県南バスの北上営業所でしょうか。
花巻バス時代の花北営業所は国道4号沿いの「花北モータースクール」南隣のようです。

>管理人様
古い地図の「花巻バス本社」の表記は間違いじゃないのか?と子供心に思っていたのですが、間違いではなかったことでスッキリしました(笑)。
国道4号線のちょくちょく通る場所でいすゞ自動車も写真の場所に現存していますが、今日まで花巻バス本社のことに気付かなかったのが悔やまれます。

この空中写真が撮影されたのは1976年10月ですでに県交通が発足して数ヶ月経っているわけですが、花北地区には元中央バス花巻営業所・元花巻バス花北営業所・元県南バス北上営業所の3つが存続しているように見えます。
物心ついた頃には花巻営業所は今の場所に移転していたのでそれぞれの営業所がどう呼ばれていたのかは分からないのですが、「花巻営業所・花北営業所・北上営業所」では紛らわしいような・・・。

こちらのブログに移転前の西花巻駅の写真がありました。
(現在は花巻中央消防署−花巻税務署の道路挟んだ西隣−になっています)
電鉄バスの営業所も併設だったようですね。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1366名前:とまります時刻:2015-12-14 20:21:15

連続投稿失礼します。
花巻バスセンターで思い出したのですが、82年の花巻営業所管内の時刻表によると、花巻温泉行きは賢治詩碑発のバスセンター経由、台温泉行きはバスセンター発なのに対し、志戸平・新鉛温泉行きはバスセンターを経由していません。
(バスセンター手前の中央橋東たもとで右折し西へ向かう−進み方としては自然なのですが)
石鳥谷線の北上行きはスイッチバックするような形でバスセンターに乗り入れているのに湯口線だけなぜ?とこれまた子供心に思っていました。
元中央バスの太田線・鍋倉線もバスセンターに乗り入れていないので花巻バスセンターは元々は花巻バスの施設だったのかしらん?と想像しています。

こちらのブログの上から10枚目の写真を見ると花巻バスも花巻温泉へ乗り入れていたようですし、30年以上前に市立図書館で見た古いガイドブックには「花巻温泉:花巻駅から花巻バス・岩手中央バスで○○分」という記述があったと記憶しています。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1367名前:管理人時刻:2015-12-15 21:52:47

Ks様、とまります様、こんばんは。
昭文社の「岩手県都市地図」(1992年発行)を入手しました。地図の内容は旧版のデータを直していない部分もあり、1980年代の様子をうかがい知ることもできます。
で、その地図には、飯豊の花北モータースクール南側に「花巻観光バス」の記載がありました。
花巻観光バスは、“その頃”には花巻空港向かいの花巻市宮野目に移転しており、その地図にもその記載はあるのですが、どうやらその前は飯豊にあったようです。
そうすると、花巻バス本社は、岩手県交通成立後に一旦、岩手県交通の営業所になったものの、早くに花巻北高校近くに移転し、跡地は花巻観光バスが引き継ぎ、さらに花巻観光バスが宮野目に移転したのち、日野自動車に売却された、ということでしょうか。
ちなみに、花巻バスと花巻観光バスは兄弟会社で、岩手県北自動車の系列でした。

花巻バスセンターの場所も気になっていたのですが、岩手銀行鍛治町支店駐車場が、跡地なんですね。
”その頃”の1984年に、配布されていた時刻表には記載されているのに、実物のバスは「花巻末広町行」になっていて、「花巻バスセンターはどこにあるんだろう」と思った記憶があります。1983〜84年の時期に廃止になり、その近くがバスの終点になったのだと思います。
やはり末広町交差点の近くだったんですね。

北上郵便局近くの営業所ですが、”その頃”に「北上車庫」と呼ばれる待機場所が北上駅の近くにありましたが、そこと同じ場所でしょうか?
当時は、北上に行けばそこに足を運んで写真を撮っていましたが、今では場所が思い出せません・・・。

あと、Ksさんの盛岡地区の話ですが、八幡宮の近くの営業所が、河南営業所の前身ということでしょうか。(つまりは都南営業所の前々身になりますね)
そして、今ある「茶畑行」がその名残りかも知れません。
当時、中央線に盛岡駅〜茶畑という系統があり、短距離なのに出入庫系統でもないし、無意味な路線だなあと思ったものですが、生い立ちを知れば理解できます。

上田営業所があったかどうかは分かりません。バスの車番記号に「U」があったので、そう想像したまでです。ただ、滝沢営業所の進化論に従えば、上田→黒石野→松園と郊外移転を繰り返した可能性はあると思います。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1368名前:管理人時刻:2015-12-13 23:32:20

こんばんは。
とまります様の花巻バスセンター跡地の写真を見ていて、はたと気づきました。
板橋さまから「花巻バス本社で撮影」と聞いていた写真の何枚かに、同じ建物が写っていたのです。
ここで添付したのがそれで、木造2階建ての建物が、今も残っているものと同じです。
同じような西日写真だったので、花巻バス本社だと言われればそう信じていましたが、よく見ると、花巻バスセンターはアスファルト舗装、花巻バス本社は砂利舗装という違いもありました。
そういう目で見てみると、花巻バス本社のほうの砂利舗装は綺麗すぎます。隣地との境界に雑草すらありません。
まだ冬を越していない状態と思われますので、花巻バス本社が桜木町から飯豊に移転したのが、1973年ということかも知れません。

話を花巻バスセンターに戻します。
とまります様の推察のように、花巻バスセンターは花巻バスのものだったことが分かりました。
志戸平経由新鉛温泉行きは、元中央バス(花巻電鉄)の路線だったので、花巻バスセンターには入らないのでしょう。
色々謎だったことが分かってきました。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1369名前:とまります時刻:2015-12-17 20:14:05

画像をクリックで拡大
>花巻バスセンターは花巻バスのものだったことが分かりました
そうでしたか!
子供の頃のバスにまつわる素朴な疑問が徐々に解けていくような気分です。
おそらく、本社はバスセンターを兼ねた末広町、営業所は桜木町だったのが、後に本社と桜木町の営業所を飯豊に移したのではと見ています。
83年初夏にバスセンターからバスに乗った確かな記憶があり、翌年の秋頃ここを通りかかったら構内ががらんとしていて廃止を告げるお知らせを見て驚いたのを覚えています。
84年9月3日改正の花巻管内時刻表には「花巻バスセンター」の文字は無くなっていました。

>飯豊の花北モータースクール南側に「花巻観光バス」の記載がありました
これまた幼い頃の記憶で申し訳ないのですが、北上の国道4号沿いで観光地でもないのに何台もの花巻観光の車が止まっている場所を見たことがあります。
飯豊の件の場所ではないかと思うのですが、当時は花巻観光バスの北上営業所があったのかもしれません。

自室の押し入れから、花巻管内時刻表とともに1980年発行の「昭文社エアリアマップ花巻・北上市」が出てきました。
この頃の北上営業所は”その頃”の「北上車庫」と同じ場所でしょうか(北上郵便局は本通り1丁目にあります)。
村崎野には営業所はまだありません。
(同じ図面の右上は遠野市の地図で、下組町のR283沿いに「岩手県南バス」の文字(笑)。)
裏面は花巻市の地図で、県交通・花巻観光とも現在と同じ場所にあります。
(宮野目の花巻観光は今も昔も場所は変わっていないはずです)
花巻市・北上市のどちらも飯豊周辺が切れているのが残念!。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1370名前:とまります時刻:2015-12-18 20:16:57

度々の書き込みで恐縮です。
書店で見つけた写真集に興味深い写真を見つけまして・・・

電波社刊『昭和のアルバム盛岡・岩手・紫波』
冒頭のカラーページにいすゞBA30・岩2く5057の電鉄カラーの写真がありました。
1971年の冬に盛岡バスセンターで撮影されたもので社名は「花巻電鉄バス」となっています。
方向幕は「急行花巻温泉」。
これとは別に70年代の盛岡バスセンターを撮影したページもありました。

いき出版刊『写真アルバム 盛岡・滝沢・岩手・紫波の昭和』
掲載写真の一部が公開されているのですが、ミニ写真展パート2に国道4号徳田小学校付近を走る花巻バスの写真があります。
方向幕は「急行花巻営業所」と読み取れるような・・・

どちらも1万円近くするもので簡単には手が出ません・・・

Re:更新後記(2015.12.6)

#1371名前:管理人時刻:2015-12-19 00:06:50

こんばんは。
花巻電鉄のバスについては、細かいことがよく分からないんですよね。電車のほうは文献も出ていますが。
ネコパブリッシングの「花巻電鉄(上)」に、軌道線廃止後の市販時刻表の一部の複写が出ており、1970年に花巻電鉄のバスが、花巻駅〜新鉛温泉間17往復ほど、花巻駅〜花巻温泉〜台温泉間7往復、花巻温泉〜台温泉間多数(と記載)、花巻駅〜花巻空港〜花巻温泉間8往復となっています。
このほか、盛岡〜花巻温泉間というのもあったんでしょうね。

ここで添付した写真は、本文に掲載した5054号の別角度です。
板橋さんによると「花巻営業所」との記載だったのですが、この写真だけ山が見えるので、花巻営業所が現在の税務署の場所と分かった時点で、違う場所だと気づきました。
ストリートビューで探して見てみると、今花巻温泉郵便局のあるあたり、つまり、花巻温泉駅跡地でした。山の形がぴったりで、右奥に見えるのが花巻温泉のゲートです。
Ksさんのおっしゃるように、こういう便利なツールに慣れていると、「地上に降りられない」空中写真はもどかしいですね。

国土地理院の地図閲覧サービスの使い方も、段々と理解できてきました。少しずつ見て行っています。
北上車庫は、確かに県南バス営業所の跡地でした。しかし、私が記憶しているより、1985年時点での用地はかなり広いんですよね。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1372名前:とまります時刻:2015-12-20 16:30:55

こんにちは

>花巻電鉄のバスについては、細かいことがよく分からないんですよね
全くその通りでして、地元では年に何度か電鉄のミニ写真展が行われているのですが、ほとんどが電車の写真ばかりでして・・・(電車自体が濃いキャラだからでしょう)。
バスそのものが電車と違って当たり前すぎる存在だったので見向きされなかったのかもしれません。

>電鉄バスの路線
急行花巻温泉−盛岡は80年代終わり頃まで奇跡的に1日1往復残っていました。
(90年7月の花巻管内のダイヤ改正では消えています)
花巻バスセンター−花巻空港−花巻温泉というのもあって82年(83年?)当時は1日2往復運行されていますが、84年9月改正では廃止されました。
電鉄バス由来の路線と知っていたら、せめて写真を撮りに行ったことでしょう。
(当時はそのような情報を知る術もありませんでしたが)

>5054号
山のようなものが見えてあれ?と思ったのですが、そうでしたか。

ところで、花巻観光バスについて我が家にあった電電公社の電話帳(84年2月時点のもの)で、こんなものを見つけました。「飯豊24地割」は花北モータースクール周辺です。
国土地理院の空中写真もそうですが、電話帳の変わった使い方だと我ながらおかしくなりました。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1373名前:管理人時刻:2015-12-21 22:18:24

こんばんは。
花巻空港経由の花巻温泉は、実は花巻バスだったのではないかと思っています。
とまります様の話でも、花巻バスセンター始発だったとのことで尚更です。
先の書籍に掲載の時刻表では確かに「花巻電鉄」のくくりに載っていますが、花巻駅発時刻がこの路線だけ、端数の3分とか8分なので、花巻バスセンター始発便だと想像できます。
出典は交通公社時刻表あたりだと思いますが、そういう誤植があったのでしょうか・・・。

それと、電話帳の件ですが、飯豊24と村崎野は別の場所でしょうか? 同じ場所ということはないんでしょうか。
1990年代の地図だとまだ飯豊ですが、今ここは村崎野になっていませんか?

Re:更新後記(2015.12.6)

#1374名前:とまります時刻:2015-12-22 19:38:32

「飯豊24地割」は今も自動車学校周辺でした。
ここは村崎野とは接していて(自動車学校と岩手いすゞの中間が境界でこれより南が村崎野)、13日にUPされた写真の場所は村崎野ということで花巻バス本社・営業所→県交通花北営業所→花巻観光バス北上営業所の流れが想像できます。
(北上の国道4号沿いの成田・飯豊・村崎野地区は今もってどこまでがどこなのかが分かりません)

>花巻空港経由の花巻温泉
バスセンター−花巻駅間の所要時間はほぼ3分なのでバスセンター始発とも考えられますね。
10年少し前まで北上−空港−花巻温泉という路線がありまして、もしかするとその1系統だったかもしれず、そうなれば花巻バスの路線だったとも考えられますが、これ以上の資料がないので判断が出来ません。。。
この路線が「電鉄バス由来」という点について判断を留保することにします。

なにぶん幼い頃のあやふやな記憶と手元にある時刻表だけを頼りにしていますので、事実と異なる点もあると思います。その点は御容赦頂くとともに指摘して頂いたら幸いです。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1375名前:かれん時刻:2015-12-22 23:15:34

こんばんは。そしてお久しぶりです。

今回の更新内容がかなり萌えたのと、漫画「咲-saki-」の舞台を調査してる途中で花巻電鉄が関わるのでは(?)という場面があったので、このスレで関係ありそうな花巻バスと中央バス(旧電鉄)の路線について書き込もうと思います。

花巻温泉線は3種類の経路があって、湯本学校経由と松山寺経由、そして二枚橋・空港経由です。

それらの内、路線図・運賃表、地図からの推測及び、旧電鉄の駅が、花巻駅〜花巻運動場(現在は花巻球場?)〜瀬川〜北金矢〜松山寺〜花巻温泉とあることから、松山寺経由が電車線代替ではないかと推測しています。

この他に不思議なのは、花巻駅と一日市の間に「坂本町」というバス停があるのですが、湯本学校経由と松山寺経由は停車するものの、二枚橋・空港経由は停車しないという謎があります。
(花巻駅や一日市は全便停車します)

これらの点からも花巻バスの路線なのか中央バスの路線なのかを推察する手がかりになるのではないかと思い書き込みました。

中央バス繋がりで停車しないバス停を挙げると、盛岡地区においても「二高前」バス停には青山天神線だけが停車し、浅岸線等の路線が停車しないという奇妙な事例があります。

余談ですが、中央バスと言えばわたしは管理人さんが挙げている岩22か762号と同型の車というイメージが強いです。

丸子警報機製の独特なドア開閉ブザーやレシップ製の洗練された降車ボタン・スピーカー一体型の照明。そして車内の広さ・開放感などが印象に残ってます。

あとリアの広告が斜めに傾いている傾向があったのも思い出しました。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1376名前:とまります時刻:2015-12-23 16:46:32

自己レスというか訂正で恐縮です。
花巻駅−花巻空港−花巻温泉について
>花巻駅発時刻がこの路線だけ、端数の3分とか8分なので、花巻バスセンター始発便だと想像できます
はたと気付いたのですが、これはバスセンターではなく電鉄バスの営業所(後の中央バス花巻営業所)始発ではないかと思われます。
花巻駅までの距離はバスセンターからも電鉄バス営業所からも大して変わらず(電鉄のほうが150m程遠いか?)、道路事情も大差ないので駅までの所要時間もバスセンターからとほぼ同じのはず。
したがって花巻駅−花巻空港−花巻温泉は電鉄バスと考えられます。

すると、80年代前半の花巻バスセンター−花巻空港−花巻温泉は花巻バス(?)石鳥谷線の1系統という位置付けではなかったかと考えられます。

>カレンさん
お久しぶりです。
先日参考にしたこのブログの10枚目の写真、71年撮影だそうですが、花巻温泉駅に花巻バスが写ってます。
貸切はすでに花巻観光に分社化しているので路線車と思われます。
11枚目の写真の通り鉄道線に忠実な松山寺経由便は中央バスで間違いないのですが、湯本学校経由便はもしかすると花巻バスではなかったと思うんですよね。
台温泉行きは湯本学校経由でバスセンター始発でしたし。
電鉄沿線の路線でも、湯本の中心部を経由することで中央バスと住み分けていたのかもしれません。
(尤も、電鉄バスの空港経由便も湯本中心部を経由していたはずですが)
同じ台温泉行きでも電鉄バスの花巻駅−花巻温泉−台温泉は松山寺経由だったのかもしれません。
ここで、90年代前半まで運行されていた花巻温泉−湯本学校−八日市−石鳥谷はどこが運行していたかという 新たな疑問が湧いてきました・・・キリがありませんね。

坂本町バス停ですが、このことに気付いたのは恥ずかしながら10年ほど前でした。
ここを通過する全便が停車しているものと思い込んでいましたから・・・。

タイムマシンがあれば疑問は全て一気に解決するのですが、そんなことは天地がひっくり返っても出来ないので何とももどかしい限りです。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1378名前:管理人時刻:2015-12-24 22:10:06

画像をクリックで拡大
色々な地名が出てきて、ついてこられない人が多いと思われますので、模式図を作りました。
グレーの点線は、花巻電鉄鉄道線の全駅と経路です。
それ以外の色付き線はバス路線で、1987年岩手県バス協会発行の路線、バス停一覧から作りました。バス路線のほうは主要バス停のみ記載しています。
1976年の岩手県交通成立から11年間で、路線の抜本的な再編がないとしたら、原形を知る手掛かりになるはずです。
ここから分かることは以下の通りです。

@番の「花台線」の松山寺経由が、鉄道線をトレースしているので、花巻電鉄バスだと思われる。
同じく@番の湯本学校経由も同じ「花台線」を名乗るので、花巻電鉄バスだと思われる。
A番の「花巻空港線」は北上駅からくる系統があるので、花巻バスではないか。(坂本町通過)
B番の「八日市線」は石鳥谷を営業エリアに持っていた花巻バスではないか。
C番の盛岡バスセンター行は花巻電鉄バスのはず。

以上を色で表現すると、緑系統は花巻電鉄、青系統は花巻バスの可能性が強い、という私の考察です。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1379名前:管理人時刻:2015-12-24 22:23:32

ちょっと追伸です。
この1987年発行の停留所一覧を見ていて気付いたことです。
例の坂本町通過についてですが、この「花巻空港線」のほかに、石鳥谷〜花巻〜北上間、花巻〜大迫間の路線が、坂本町を通過しています。
この両路線とも、石鳥谷や大迫に乗り入れている時点で、花巻バスの路線だったはずです。
ということは、坂本町通過路線=花巻バスという考え方が成立しそうです。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1380名前:ks時刻:2015-12-25 02:12:24

こんばんわ。
クリスマスプレゼントにタイムマシンが欲しい・・・

花巻地区、ややこしすぎますね。

以前の投稿からたいした成果はなく、資料がないのでネット検索ばかり・・・

その中でいくつか

花巻観光バス
本社営業所 岩手県花巻市西宮野目(花巻空港前)
北上営業所 岩手県北上市飯豊町字飯豊第24地割76−3
と、確認できました。
1975年の航空写真では
本社営業所(宮野目営業所) 確認できます。
北上営業所 おそらく花巻バス・本社営業所。(車両郡は少数)
1976年の航空写真では
本社営業所(宮野目営業所) 確認できます。
北上営業所 岩手県交通・花北営業所。
1978年の航空写真では
本社営業所(宮野目営業所) 確認できます。
北上営業所 おそらく花巻観光バス営業所。
岩手県交通・花巻営業所 現・所在地に確認できます。
それ以降は、90年の航空写真まで花巻観光バス・北上営業所が確認できます。(画質的に微妙かもしれませんが)

花巻観光バスの思い出。
滝沢村の某小学校に通っていました。
6年間のバス使用行事(4年生まで春遠足、5年生・キャンプ、6年生・修学旅行、6年生・村内球技大会、4年生以上・村内陸上記録会、全学年スキー教室など)は毎回、ご贔屓会社の岩手観光バス。
しかし、一度だけ春遠足時に花巻観光バスが登場しています。
5・6年生はキャンプ・修学旅行があるので遠足無しです。
4学年・各4クラス、16両発注のうち2・3両が花巻観光バスでした。
2年生(86年)の時と記憶していますが、みんなで「ロケットバス」と騒いでいたのを思い出します。
乗車は別の学年でしたが・・・

最後に推測ですが・・・
岩手中央バス・上田営業所はおそらく、黒石野営業所ではないのかなと思います。
Uから始まる地名は、上田・上田〜・内丸しか出てきませんでした。
1976年以前の上田地区を航空写真で調べましたが、営業所らしきものは確認できませんでした。
屋根付きで考えてもそれなりの敷地が必要なはずですし・・・
そこで視点を変えて、黒石野営業所を調べてみました。
1968年の航空写真から確認できます。
それ以前は確認できません。
ウィキペディアより、河南営業所・1951年開設とあります。
K=河南営業所とあった場合、黒石野のKとダブってしまいます。
K=河南営業所と無かった場合、いくら考えてもわかりません(笑)
もし黒石野営業所の場所が上田営業所だった場合、Uの由来は「盛岡市道上田深沢線」からきているのではと思います。
何かしらの理由でKが使えなかったのではと。
U=黒石野営業所だったらすごいな。
実際に上田地区に上田営業所があったならそれまでなんですけどね(笑)
M=盛岡営業所
A=青山営業所
U=上田営業所
S=雫石営業所
H=日詰営業所
記号表示は営業所の移転・名称変更、花巻電鉄との合併での車両移動などで必要がなくなったんでしょうね。

長々とすみませんでした。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1381名前:管理人時刻:2015-12-27 00:14:29

ksさん、こんばんは。
河南営業所は、八幡宮近くにあった時も河南営業所という名前だったということかも知れませんね。河南中学校の近くでもあり、あの辺りも河南地区ですし。
しかし、河南営業所の頭文字Kは、いまだに出てきません。そうすると、UとかHとかが、必ずしも営業所の頭文字ではないという可能性も出てくるわけです。
タイムマシンを手に入れるのは難しいですが、古い資料はどこかに埋もれている可能性がありますので、気長に考察を続けるということでしょうね。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1382名前:とまります時刻:2015-12-27 16:56:12

画像をクリックで拡大
地元に関係する特集、しかも子供の頃好きだったバスの特集なのでつい熱くなり、話を引っ張ってしまい申し訳ありません。
(しかし、今頃になって後追いで興味を持った面も少なくなくありません)
1枚の写真、時刻表、路線図から色々なことを想像するのが実に面白い!ということもあります。

>中央バス河南営業所・・・八幡宮そば松尾町にそれらしきものが確認できます
保存状態が最悪で見難くて申し訳ないのですが、確かにその場所に「中央バス車庫」とあります。
盛岡駅前にも「中央バス車庫」とあるのでこの地図では車庫=営業所のようです。
UPしたものには入っていませんが上堂と箱清水の間の北上川の中州に「蛇の島」の表記も見られます。
(ある年代以上人にはよく知られた場所のようです)

>1971年に花巻電鉄と合併した後は、車番はつけられなくなったようです
花巻営業所を「H」とすれば日詰とダブり、日詰を紫波と変えると雫石の「S」とダブるから止めた、なんてことを想像しました。

花巻バスと電鉄バスについて図書館に行ってみましたが、探し方が下手だったのか、これといった資料は見つけられませんでした。
それでも、70年代初めの市街図を見つけ、花巻バスセンターのところに「花巻バス本社」、東北本線西側の豊沢川そば(桜木町)に「花巻バス車庫」とありました。
また、花巻バスでは花巻駅西側のごく狭い範囲に循環線を走らせていたと聞いたことがあるのですが、それと思しき路線図が描かれていました。
(バスセンター−専売公社前−花巻中学校前−南万丁目−若葉町−材木町−バスセンターか)
電鉄バスの“シマ”に花巻バスの路線とは少々意外であります。
地図によると、電鉄西花巻駅跡のバス停は電鉄バスが「花巻営業所」なのに対し花巻バスは「材木町」と名乗っていたようです(同じ場所に2つの停留所名がありました−現在のバス停名は「材木町」)。
更に1968年の花巻市の要覧を見てみたら、交通について「電鉄バスと花巻バスが隈なく走っている」とあり、規模は全く異なるのの仙台市内の仙台市営バスと宮城交通のような状況を想像しました。
この要覧には発足間もない花巻観光のカラー写真があり、花巻バスカラーそのものでした。

県南バスについてですが、当時複数あった北上−花巻間の路線のうち、北上川左岸の北上−二子−更木−花巻は、花巻バスと県南バスの相互乗り入れだったと、地元の人が言っていました。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1383名前:ks時刻:2015-12-27 19:20:32

こんばんわ。

管理人様
岩手県南バス、これまた奥が深そ〜
前々から気になっていましたが、前ドア車を中ドア車に改造ってどうしてなんでしょうか?
前ドアツーマンじゃダメな理由は・・・

とまります様
素晴らしい地図ですね。
前々から気になっていた謎がこの地図でひとつ解決しました。
国土地理院 地図 空中写真閲覧サービスで62〜69年までの写真に少数の車両郡を確認していました。
中央バスの整備工場だったとは。
現在の岩手縣国保会館(大沢川原3丁目)です。
ありがとうございました。
車番はやはりダブりが濃厚ですか。

画像検索で中央バスの定期券がアップされていました。
昭和52年4月9日 本社営業所発行。
合併後でも元々中央バスエリアだから流用していたのかな?
本社営業所はどこを指しているのかも気になります。
定期券には岩手観光バスと同様の社紋が描かれています。

最後に「蛇の島」
最近になって名称を知り場所を確認したら、中学生(20年以上前)の頃に肝試しや探索をしていた場所でした。
まさか遊園地だったとは驚きです。
近所に住んでいた同級生達ですら謎の島でしたから。
ネット検索すると探索している方が多いですね。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1381名前:管理人時刻:2015-12-27 00:14:29

岩手県南バスのほうの話題は、別のスレッドを立てます。

中央バスの定期券画像というのは、どんな単語で検索すると出てきますか?
岩手観光バスのマークは「い」をデザインしており、岩手中央バスのマークでもあったようです。

花巻バスのカラーと花巻観光バスのカラーについては、まだ分からないことが多いんですが、その要覧に写っていたバスは、どんなバスでしょう。
花巻バスから移動したバスか、花巻観光バスが新規購入したバスなのか・・・。
ちなみに1965(昭和40)年式の花巻バスで、花巻観光バスカラーを経験したと思われる車両の写真を頂いています。両社間には車両の移動もあったようです。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1388名前:とまります時刻:2015-12-29 16:12:23

>その要覧に写っていたバス
小さい写真で、かつ横並び状態のものをほぼ正面から写したものなので、全体はよく分からないのですが、色および塗り分けが16日にUPされたものとほぼ同一でした。
ボディーも16日にUPされたものに似ていたように思います。
「1968年の要覧」と書きましたが、花巻観光の発足が69年なので要覧の年度を見間違えたかもしれません。しかし写真の説明は確かに「花巻観光」でした。

花巻観光関連で、「その後の廃車体(岩手県)」にUPされているいすゞBA10ですが、80年代前半に同型車を宮野目営業所で見たことがあります。
観光バス会社なのに中ドア車なので覚えているのですが、黄色のスクールバスマークが付いていたと記憶しています。
(花巻観光では現在もスクールバスを担当しているそうです。)
また、同じ頃大型車でワンマン灯が付いているものがあって何だこれ?と思ったものですが、どこかの従業員輸送だったのかもしれません。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1389名前:管理人時刻:2015-12-30 22:58:54

こんばんは。

> 見間違えたかもしれません。しかし写真の説明は確かに「花巻観光」でした。

花巻観光は会社名ということではなく、花巻バスの観光部門ということで、そう通称されていたのかも知れませんね。
例えば岩手県北自動車の貸切バスに「岩手県北観光」と表示されていたように。

いずれにせよ、発足当初の花巻観光バスが全車新車で営業開始されたとは思えませんので、花巻バスからの移籍車も含まれていたと想像できます。
そういえば、別スレで話題になった「いわてアーカイブの旅」で出てきた岩手中央バスの貸切車(ブルーリボンカタログカラー)と同じナンバーの車両が、BJハンドブックの岩手観光バスの歴史編のところでは、岩手観光バスの薄茶色のカラーに変わっていました。
同じようなことが花巻観光バスでもあったんでしょうね。

> 花巻観光関連で、「その後の廃車体(岩手県)」にUPされているいすゞBA10ですが

ありがとうございます。本文のほうにも反映させていただきます。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1396名前:とまります時刻:2016-01-16 20:32:56

遅くなりましたが、今年も興味深い特集を楽しみにしています。

改めて中央バスの特集を眺めていたら、日野RB10P(1964年式)・岩2く284の撮影場所が背後の建物の特徴から花巻バスセンターではないかと思ったのですが・・・

盛岡バスセンターとは雰囲気がチョット違うように思えますし。
そうなると、中央バスも花巻バスセンターに乗り入れてたのか?
とまたまた疑問がわいてきました(笑)。
花巻バスも盛岡行きを走らせていたと何かで読んだ記憶があるのですが、中央バスと相互乗り入れだったのかなと想像した次第です。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1397名前:管理人時刻:2016-01-17 20:50:07

とまりますさん、ありがとうございます。
ご指摘の通りのようです。板橋さんから盛岡だと聞いていたので、「昔の盛岡バスセンターはこんな止め方していたのか」と思っていました。考えてみれば、花巻バスが構内にたくさんいる盛岡バスセンターなんて変ですよね。
ついでに1枚鑑定をお願いします。同じロットの写真で、これも盛岡バスセンターだと思っていた写真です。奥の建物が、盛岡バスセンター東側の岩手県北バスが留置される場所の北側にある2階建て(岩手県バス協会が入っていた)とよく似て見えました。
バスの停車角度が盛岡BCの県北バスとは90度異なりますが、「当時はこうやって止めていたんだ」と思っていました。
「花巻バスと県北バスは資本関係があったので、同じ場所に止めていたんだな」とも解釈していました。
しかし、今回のご指摘をもとに考えると、これも花巻BCですよね。花巻バスが「東和営業所行」ですし。

ちなみに、岩手中央バスの本文は花巻BCに修正しました。ついでに写真を見ていたら、車両に新たな発見もありましたので、追加していますので、興味があったらご覧ください。

Re:更新後記(2015.12.6)

#1399名前:とまります時刻:2016-01-18 20:48:59

画像をクリックで拡大
>これも花巻BCですよね
国土地理院の地図・空中閲覧サービスの写真(整理番号:CTO766、コース番号:C38、写真番号:18)からの引用ですが、画面中央右寄りの白い丸で囲んだ部分が花巻バスセンターです。
(画面向かって左は中央バス花巻営業所)
昨日UPされた写真は赤の矢印の方向から撮影されたものと思われます(背後の建物はバスセンターの建物)。
岩2く284の撮影場所は青の矢印の方向からでバス乗り場から撮影したのではと思います。
盛岡バスセンターと違いのこぎり型のホームは無かったと記憶しています。

ネット上だけでなく花巻の記録写真集のようなものでも、花巻電鉄や花巻駅、空港は取り上げられても花巻バスセンターに触れているものはなかなか見つかりません。
今頃になって写真を撮っておくべきだった・・・と後悔しています。

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80s岩手県のバス“その頃”