画像掲示板 過去ログ
過去の掲示板の内容を,そのまま掲載しました。追加の書き込み・編集・削除等は出来ませんのでご了承下さい。
内装とその他の記憶
Re:内装とその他の記憶
こんにちは。
私はおそらく元埼玉のバスfanさんよりも一世代後なので、角型BU10までしか記憶にありません。埼玉、というか浦和なのでほぼ国際興業、東武に乗ったのは一、二度ですがこの地域では日野なので、この件に関して直接関わりのあることが書けませんが、興味を持ったので私も・・
丸型蛍光灯に内側スピーカー、ベンチレータ装備で木の床だったのは、昭和60年式の初代LTまででしたね。このスピーカー内蔵式の蛍光灯は素晴らしいデザインでいつも気にしていました(他メーカーでも同様のがありましたが、デザインが安っぽいです)。BU10の頃はスピーカ穴が12枚の羽根状のものでしたが、BU04の頃は三角の6つの穴になりました。ただ、補修の際に時々古い方のタイプが使いまわされていることもありましたね。
シマ鋼板という名称は初めて聞きましたが、確かに国際興業はシマ鋼板を使った滑り止めが好きで、ステップ近くの鋼板面積は他社よりも二回りくらい大きかったです(KC時代までありましたね、当時既に省略されてしまったところもあるのに)。点検蓋に関してはあまり気にしたことがないのですが、BU04では金属枠で木の蓋でしたね。
クラクションの音は、国際興業はずっとホワーンという音のイメージがあります。東武はプワッとした余韻の無いタイプでした(日野なので全く違うと思いますが)。
今では考えられませんが、当時国際興業は、駅などの終点で客を降ろした後の待機時間はエンジンをかけっぱなしなのが普通でした。東武は普通に切って休んでいたので、たまに国際が切っているのを見ると不思議な感じでしたね・・
Re:内装とその他の記憶
出張を終えて自宅のPC前にやっと着けました。
そうですね、東武は日野のRB系?が多いですね。DS70エンジンの甲高い響きも、小さい頃の当時、何となく面白かったです。馬力はあまり強力ではないのですが、それでもどことなく捨て難かったです。
東武のBU10と言えば、草加新道経由で越谷駅〜川口駅の線に少数使われてたぐらいですね。草加駅〜川口駅の線はみんな日野でした。ただし、越谷駅に行くと、そこを起点に多方面に向かって運行はしてました。因みに、東武の丸型爆音BU10も見ました。東武は、ツーマン仕様にバスガールが居るのが定番でした。しかしそれも、整理券方式導入後はぷっつりと消えて、多分RE系でしょうか、それに変わりましたね。車番は73XXあたりでした。
EB200エンジンはまあまあ力はありましたね。バスガールが居なくなった最初の頃、一寸胸寂しくなりました。綺麗なバスガールの背中から下の範囲を眺めるのは、やはり男だからしょうがなく、好きだったからです。
まあ、返信が返ってくるかどうか不安ながらの投稿だったのですが、一応返って来ましたので、もう少し放流しますが、BU10の計器盤ですが、2世代目までは青緑のペンキ塗り仕上げで、スピードメーターの右上と左上には横長楕円の小さな橙色のランプが付いていて、一般的な車の常識で考えると方向指示器だと思ってしまうのですが、実は右折時も左折時も点滅するのは右側でした。じゃあ左は?と言えば、一度だけの記憶で、車体の揺れに同期して点いたり消えたりしてたのです。
いまや推定ですが、ウィンドウウォッシャーレベルか冷却水レベルかオイルレベルかでしょうか。しかし、3世代目(前ウィンカー埋込み式+テールランプ位置外側立体型 國際での車番25XX)では黒色の樹脂かソフトパッド仕上げになり、横長楕円型ランプも、三角矢印形の緑の方向指示器に変わりました。ステアリングホイールも、2世代目まではホーンリングが有るタイプだったのが、全黒色のホーンリング無に変わりました。一旦ここで終了します。
Re:内装とその他の記憶
古い車両の計器盤、私も不思議に思ってました。
普通は乗用車も含め、方向指示器の同期ランプは緑なのに古い車両は橙色、しかも右と左で色が違った?覚えが・・
当時子供だったのでその辺が全く分からなかったのですが、なるほど、左のはウインカーではなかったのですね。
古い車両は速度計もボロが出てて、常に上下に振れてて実際の速度がよく分からないのも面白かったです。
雨で車内の湿度が高くなった時、曇り止めが全く効かないので運転手さんがよく雑巾で窓を拭いていましたね。
爆音BUという話が時々ありますが、「ギャラギャラ・・」という大音量を発して走るいすゞの車両のことなんでしょうか。
あれは直噴?いわゆるCJMの元祖みたいなものなんですかね?
高出力のLV318あたりなんかも、微妙にその名残りがあったように思います・・
Re:内装とその他の記憶
> 右と左で色が違った?覚えが・・
実は私もこれ覚えています。少し色が違ってました。どの固有体もそうでした。そばまで行って詳しく見る事も出来ませんでしたので、正体は未だ謎です。
> 爆音BUという話が時々ありますが、
この爆音は、現在あるものでは例えるのが難しいですね。言うならば、排気管が一部破れてバタバタバタバターンとひどい排気音を轟かせてるのと、この当時の角型BU10の音の中間より少し静か寄りぐらいでしょうか。角形がゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ−ンと発進するのに対して、爆音の方はヴォウェウェウェウェウェウェウェウェウェーンと発進して行く感じでした。音のカドが取れても爆圧の波が大分残ってるようなと言うのですかね。
加速時には中間回転域が一番騒々しかったです。何処かでも書いてあるのを見ましたが、駅前をこれが加速すると90ホン位になるというのも、私も記憶に残ってます。
獣様のおっしゃるギャラギャラギャラギャラギャラーン ていうのは、恐らくは都営のBU05もその部類の事? と解釈しています。おっしゃる通り直噴はみんなそのようですね。古いE120エンジンもそうです。東武も西新井の方には都営のこれと同じのが居まして、BU05という型名を知らなかった当時の私は、「この辺を走ってるのは都営と同じ、やや短尺でガラガラいうやつなんだなあ」なんて思ってたぐらいです。アクセルを離すと消えるところを見ると、噴射ポンプの音でしょうか。未だ謎も多く、物が解る今時分でタイムマシーンであの頃を見て来たいぐらいです。
Re:内装とその他の記憶
> BU10の計器盤ですが、2世代目までは青緑のペンキ塗り仕上げで、スピードメーターの右上と左上には横長楕円の小さな橙色のランプが付いていて、一般的な車の常識で考えると方向指示器だと思ってしまうのですが、実は右折時も左折時も点滅するのは右側でした。じゃあ左は?と言えば、一度だけの記憶で、車体の揺れに同期して点いたり消えたりしてたのです。
初めまして。亀レスですが、自分は逆に左側しか点滅していないのを記憶しています。車種はBA01N(帝国)で、右左の合図関係なくどうして左だけ点滅するのか子供心(4〜5歳から小学3年ぐらい)に不思議に思いました。また右が点滅でなく点灯したのを一度だけ見た事がありますが、どういう動作で点灯したのかは未だにわかりません。画像は廃車のBA01N、称号は231-67003号の計器盤です。撮影は2005年3月末ですが、暫く後に当時の屑鉄高騰の煽りをうけ撤去されました。
Re:内装とその他の記憶
そうそう、こんな形の方向指示器でした!
ちょっとシンプル過ぎるような気がしますが、これにワンマン機器が付くとそれなりに豪華になるのでしょう。今見るとすごーくレトロフューチャーなデザインで親しみが持てます。
いすゞの場合、CLMの計器盤がすごく近代的なデザインで、格好良かったですね。
Re:内装とその他の記憶
サンダース三等兵様
アドバイス有難う御座います。実は私が「右」と言ったのも記憶が不鮮明だと言うのが判っていました。きっかけは、今年初めでしたが、とあるボンネットバスツアーでS41年式BXDに乗ったときに、点滅が左だったのです。
ランプの下には「TURN」と表示されていました。ここでまた疑問でした。更にはこのBXDでは右は「BEAM」と表示されていてハイビームライトを表す物でした。写真は字がやっと判る程度なので、ここでは控えさせていただきます。まあ、真相を知るなら、やはり自動車専用図書館等でカタログを振り返らないと(載ってないかも知れませんが)答えは出なさそうですね。
それにしましても、懐かしいインパネですね。
Re:内装とその他の記憶
> 爆音BUという話が時々ありますが、「ギャラギャラ・・」という大音量を発して走るいすゞの車両のことなんでしょうか。
昭和40年型の丸型BU10の発進サウンドで、結構生々しく公開されてる物を見つけました。
時代がかなり経ちまして、直噴ディーゼルのガラガラ音を爆音と表現している人も多くいらっしゃいますので、予め前提を記しておきます。
「BU10」と「爆音」という2つのキーワードで検索すると、多分最初に出て来ます。このページ自身がひっかかったら、当然パスして下さい。音量レベルと言えば、当時このバスを見送ると、地響きしそうな程でした。これは磁気テープの音でしょうけど、爆圧の波を隠しきれていないのが充分解ると思います。
ほんの少し、何処かのベアリングが傷みかけてる感がありますが、今となっては大変貴重な音源です。
Re:内装とその他の記憶
元埼玉のバスfan様
いわゆる「爆音」サウンド、探して聞かせていただきました。
排気ガスの空気が出てくる音がはっきり聞こえますね。
マフラー性能が関係しているのでしょうか、想像していたのとは違って初めて聞く音です。
私の知っているのは、角型BUの「ゴロゴロ」という音と、他社で聞いた「ギャラギャラ・・」というものですので。
いずれにしても、BU特有の高めのギヤ音ですぐにいすゞと分かりました。三菱は若干似ていたような気がしますが・・
ギヤ音はCJMあたりでだいぶおとなしくなり、LVで消えましたね。
ギヤ音はバスらしくて子供心に好きでしたが、もし自分の運転する車からあんな音が出たら嫌かもしれません。
マフラーと言えば、こちらでも何度か書かせていただいていると思うのですが、国際興業時代のBU〜CLM、CJMの頃までは排気ガスを後部の排気管から出さずに、エンジン下部から路面に叩き付けるように排出していたのを覚えています。
何の理由があってこうしていたのか、長年の謎なのですが、ご存知の方はいらっしゃらないでしょうかね・・
Re:内装とその他の記憶
いつも「ディープな談話だなぁ」と興味津々に拝見しております。
さてCJMの頃まで「排気ガスをエンジン下部から路面に叩きつけるように」のことですが、私もなんとなく覚えておりまして、いま考えれば排気ガスではなくブローバイガスではないかと思うのです。
バスに限らず、ある時期までディーゼル車のブローバイガスは大気開放が主流で、エンジンからパイプが出ていて地面に向かって放出されていました。これは走行距離の多い車両ほど増加傾向にあり、アイドリング中に対向車のライトで霧に見えるほどの煙になることもあります。現在では再度エンジンに吸入させて燃やし直しています。
要するに高まった燃焼室の圧力がピストンの隙間から漏れ出たもので、成分としては排ガスと変わりませんから、おならを吸っているようなものですね。
Re:内装とその他の記憶
獣様:
初めてお聞きのサウンドでしたか。鳩ヶ谷を抜ける国道122号沿いの停留所を出発する時等、スピードビンビンの流れに早く合流しようとするためか、ほぼFull加速してたんだと思いますけど、凄い爆音でした。
この当時、乗用車を含めて、他の車もみんな今に比べたらうるさかったですけど、それでも一際目立ってました。マフラーについてはDH100を初めてバスに搭載したときで、未成熟だったんかな? と言いたくも有りますが、同世代の他社バスでは私の知る限りこのような傾向は無いようで、技術的に術が無かったとは言えなさそうです。同じDH100を載せた(縦置き気筒と、バス向け水平置き気筒の違いは有ります)TDトラックの場合、その前身車種のマンモスも音色があまり違いませんでした。
意識的に凄い音に造るとは考え難いので、コストに縛られたか何かあったのでしょうか。(済みませんが、いすゞのマンモスですけど、今不思議と検索しても出て来ません。私は有ったのを知ってましたし、30年ほど前にもそれのダンプに乗ってた大先輩の話も聴いた事有ります。)
こんなこと考えるとひっかかるのですが、私の記憶に無い旧い時代の、同等レベルのいすゞBCっていう車種、凄い音だったのでしょうか、或いは、意外にも観光仕様を考えて静かだったんでしょうか。
あと、おっしゃる通り三菱の直6にも音色は似てはいます。ただ、高鳴り方がこちらは重苦しかったです。しかし車内では、意外にも不快音ではなかったです。
Re:内装とその他の記憶
ポンコツ屋 赤木様
>これは走行距離の多い車両ほど増加傾向にあり、アイドリング中に対向車のライトで霧に見えるほどの煙になることもあります。現在では再度エンジンに吸入させて燃やし直しています。
そう言えば私も記憶にあります。年式が古くなった頃の平面窓でないBU10も、アクセル踏んだ時に、エンジン下部からお漏らしをするように白煙を出してるのも見た記憶有ります。ブローバイガス還元って、ガソリン車では昭和48年規制で殆ど(多分全車?)付いていましたが、ディーゼル車は結構導入が遅かったのですね。
Re:内装とその他の記憶
皆様、排ガス(ブローバイガス)の件にお答えいただき、ありがとうございます。
なるほど、言われてみれば確かにエンジン下部に排出しているのがはっきり見えていたわけですから、通常の排ガスより目立つ白煙だったのかもしれません。
長年の謎が解けてスッキリした気分です。
この下部からの白煙ですが、LTやLVが出た頃には旧BU〜CJMでも無くなってしまったように思います。エンジン周りが改修されたか、ディーゼル油の品質が良くなって見えなくなっただけでしょうか。
おそらく岩手県方面で活躍していた頃にも無くなっていると思います。
私が知っている限りですが、当時の埼玉方面での国際興業は、終点ターミナル駅で時間調整をする際、同業他社と違ってエンジンを切らないで回し続けているのがデフォだったのでエンジン関連に何かしらのこだわりがあるのかなと思っていました。
Re:内装とその他の記憶
横入りで失礼します。
茨城・水戸に行ったときエンジンのあたりから下に向けて白煙を吐き出しているバスを見ましたが(今でも年式が古いのがメインのようなので割と白煙出している車が多かったような)、あれもブローバイガスでしょうか。確か90年代後半の車(ニューエアロスター等)でも白煙がすごかった覚えがあります。
東海バスでも規制記号KC-の車で白煙を確認しております。
(しかも沼津ではジャーニーKから白煙とともに灯油のにおいが・・・ 灯油関係の注意書きが運転台にあったので浄化か何かで灯油を使っているのでしょう)
排ガスの爆音といえば2000年代初期に神奈中バスのエアロスターKあたりがものすごい排気音で車庫に戻っていった記憶があります。後付の浄化装置によっては爆音になるとの説もあるそうですが・・・
Re:内装とその他の記憶
今でも白煙出しているのですか・・ぜひ見てみたいですね。
灯油は、燃焼式の暖房装置用ではないでしょうか。
寒冷地では車内を暖めるのにエンジンの熱だけでは力不足ですからね、温まり始めるのに1時間とかかかっていたら、乗客へのサービスどころでなく運転手さんの労働環境にも影響してしまうと思います。
現在はノンステップで様々な装置を床下に搭載できなくなってきていますが、何か新しいシステムにでもなってきているのでしょうかね??
Re:内装とその他の記憶
もう、御記憶されている方あまりいらっしゃらないでしょうけど、国際興業で昭和48年あたり(記憶が曖昧です)まで使われていた古い料金回収箱機です。
上部が三角屋根形状で、灰色の氷水模様か大理石模様でして、客室方向側が両替処理面になっていたと記憶しています。又、この面か運転席面かには、どのバスの分かが判別出来るように「社番 24XX」という表記がされてたようです。やはり「車番」ではなく「社番」だったようです。昔の広告紙裏の私の落書き、色あせてしまってたのですがうっすらこのようになっていました。この時はまだ「社」の字を習っていなかったと記憶しています。
両替コインとか、カサカサカサカサと鳴りながら排出していた機械でしたが、結構コイン詰まりしやすくて、備え付けの細いヘラ棒で、よく運転士さんがほじり落としてたのも記憶に残っています。このあとは、新しく長方形の大型料金回収機に変わったのですが、既にBU04は出回ってた時と思います。
て言いますのは、ワイドステップの運転席面の鈍い角度のコーナーに、少し料金回収機が占有しいたのを覚えています。古い料金回収機の時は、このステップ全貌を見渡せていた記憶があります。受けがいいかどうかは別として、取り敢えず。写真残っている方いらっしゃいましたら、済みませんが、宜しかったらご提供宜しくお願いします。昔の落書きに気が動きました。
Re:内装とその他の記憶
こんにちは。
元埼玉さんへの返信とは違いますが、私も料金箱に関して覚えていることを書き込みさせていただきます。
私が知っている中で一番古いタイプ(たぶん元埼玉さんの言う新しい方)は、背が高めで乗客が放り込んだ貨幣と整理券を運転手さんがパコンパコンと一回ずつ下に落としていくものでした。両替は確か紙幣は使えず、100円→10円だけだったと思います。両替機に100円を入れると、甲高いモーターの音でウイーンと鳴りながら10円玉が勢いよく排出されてきたのを覚えています。
次のタイプは昭和57〜58年くらいに更新された背の低いタイプで、整理券と貨幣が自動的に分離されるのと、千円札・500円玉が両替できるものでした。整理券が軽いのを利用してブラシみたいな回転体の上に流れていく様に興味があってずっと見ていました。整理券の上にちょうど貨幣が乗っかったらどうなるのだろうと何度もトライしましたが一度も成功せず^^;両替の時は静かで、あらかじめ準備されていた貨幣がまとめてカチャン・カチャンと出てくるのも、さすが新型!と思っていました。この料金箱に更新された際に、運転席からつながっている、料金箱を支えるためのポールも更新されました。BUの古いタイプはポールを支えるための補助ポールが斜めに取り付けられていたのに対し、BU後期以降の車両では補助ポールは曲線のあるタイプでした。
その次はもう、磁気カードが使えるタイプとなるので敢えて書くことはありませんが、どちらかというと前の型が好きです。機械が更新されてもポールはそのままでしたね。
料金箱に関しては国際興業は結構遅れていたようで、東武などはもっと先進的な(今でも採用されているような斜めから見えるような)タイプを採用していたのでたまに乗った時は運転席後ろの席でずっとその仕組みを見学していました。逆に都内に行くと整理券や料金方向幕が無くて面白くなかったですね・・
Re:内装とその他の記憶
こんばんは。返信有難うございます。私も当時は強烈に気には留めてなかったのですが、時が流れて様子が変わりますと、ひょんな偶然のきっかけで、急に非常に懐かしくなったりしましたものです。
>乗客が放り込んだ貨幣と整理券を運転手さんがパコンパコンと一回ずつ下に落としていくものでした。・・・・・甲高いモーターの音でウイーンと鳴りながら10円玉が勢いよく排出されてきた
記憶不鮮明ですが、私もこれ、覚えています。
> 次のタイプは昭和57〜58年くらいに更新された・・・・・整理券と貨幣が自動的に分離される・・・・ブラシみたいな回転体の上に流れていく様に・・・・・・あらかじめ準備されていた貨幣がまとめてカチャン・カチャンと出てくるのも、さすが新型!・・・・
この頃はバスに乗るチャンスが極度に減りましたので記憶うっすらですが、雨で濡れた手で整理券と回数券を一緒につまんでくっつけてしまったら、分離し難そうだった?ような記憶も有ります?。ブラシみたいな回転体は流石に記憶が無です。両替貨幣がまとめて出てきたのは、何となく覚えています。機械もなくなって段々と電子器械化されていったのでしょうか。昔の実態思い出さされると、今は小々味気無いですね。
もっともっと言ってしまえば、人に因りますが、綺麗なバスガールが乗車料金処理していた時代の方が味気があったのでしょうか。草加市に行く線で、ワンマン仕様のBU10をツーマン運行してる時、車掌窓下にあるコックハンドルをカタンと回して引き扉の開閉をしてたのも思い出しました。当時最新の国際社番25XXでもこのパターンに乗り当たった事有りました。
ツーマン運行がなくなって暫くすると、このコックハンドルが外され、内装色と同色の板をビス止めする事で穴埋めされました。乗客がイタズラしても影響は無いと思いますが。
Re:内装とその他の記憶
こんにちは。
すみません、100円→10円だけでなく、50円玉も使えたはずです。新料金箱に更新されたのは、ちょうど500円玉も出現した頃でしょうかね。500円札の両替には対応していなかったはずです。
車掌さんが乗車しているのは国際興業では経験ないのですが、東武ではありました。BU04の前期(3100あたり?)までは車掌窓下に扉開閉スイッチとブザー用押しボタン(?)がありました。運転席かどこかに、ワンマン⇔ツーマン切り替えスイッチもあったので、ワンマンの時は無効にできたのでしょう。逆にBU10はワンマンを考慮していなかったので塞がれてしまったのでしょうね。車掌席(ボックス)は、BU04最終モデルまではきちんとありましたが、CLMではかなり縮小され、人が入ったとしても立っているのがやっとくらいのスペースになりました。年代によって微妙に変化があるのも面白いです。
今はあらゆるものが電子化されて、動作する機械というものが減りましたね。メンテナンス面では便利なのでしょうが、子供心に興味を引かれるようなギミックがなくなってしまうのはちょっと残念・・
Re:内装とその他の記憶
そうですね。車掌から運転士へは「降りる客が居るかどうか」、運転士から車掌へは「乗る客が居るかどうかを」知らせる為にブザーボタンが付いてた筈ですね。今は思い出せないです。ひょっとしたら、左右スライドの車掌窓の前側(扉側)に灰色のボタンボックス(マッチ箱より少し大きい位)があったかも知れません。記憶あやふやです。あと、コックハンドルですが、中身は電気的なスイッチなのか、それとも本当にエアー配管のコックに直接繋がってるのかは正体不明です。形状は消化器のレバーに似ていて、二股棒を握るとロックが外れて回せるようになってるようでした。ですから、手を離してる時は足腰が押し当たっても回らないようになっていたわけです。
ギミックが無くなると味気ないのは私も同感です。仕事でも機構類を扱ってるぐらいです。思い出しましたが、整理券機が導入されて暫く経った頃です。
整理券を排出するときは、引き抜いては次のが半出しになる、の繰り返しで当然な事ながら、最後の客が乗り終わった後は半出しのが完全に機械に引き込まれてシャッター蓋が上がって締まるのが正常なのに、数ヶ月経った頃からは、どの社番のやつも、券が引っ掛かりっぱなしになって来てた記憶が有ります。当然、導入直後は、完全に綺麗に引き込まれて、シャッターも綺麗に閉まっていたのは覚えています。少年心に動作を見ているのが面白かったので。機構の思想が未洗練だったのでしょうか。私からすると、Made in Japanらしからぬ事だとも思っていました。
Re:内装とその他の記憶
こんにちは。
そうですね、窓下に(確か)灰色で下から押すタイプの押しボタンがありました。形状は押しボタンのサイトで見られます。運転席脇にも同じようなボタンがあったのを覚えています。あれは車掌さんへの伝達用だったのでしょうか。一度だけ、ワンマンでボタンを押さない乗客が口頭で「降ります!」と言ったら運転手さんが降車ランプをわざわざ点けたことがあるのでそれ用のボタンと思っていました。
整理券発行機、私も色々思い出してきました。半出しの状態で扉が閉まるとシャッターだけ下から上がってくるのですが、次のバス停で番号が変わらなければ再び開くだけなので、最初の乗客の券はちょっと曲がった状態でした。番号が変わる時に運賃表示機と連動して券が廃棄される音があったのを覚えています。あのシャッターは軽いので走行中に指で押し下げて半出しの券をコレクション用にもらったりとか^^;整理券の色も白、桃、青、緑など色々あって面白かったです。「整理券をお取りください、危険物の持ち込みはお断りします・・」など延々としゃべったり、ランプが点滅したりと、結構多機能でしたよね。券なしのときは「整理券は要りません・・」でしたっけ・・?
Re:内装とその他の記憶
獣様 こんばんわ。
そちらさんの論議が正かも知れません。ただ、昭和49年か50年あたりの整理券方式導入直後は、番号が変わるかどうかに拘らず、停留所を去る都度シャッターが閉まってたように記憶しています。最初の頃は半出しは無かったような記憶?です。少し経ってから、半出しモードを使って、紙の節約に努め出したのでしょうか。「整理券番号が変わる時に連動して・・」は、残念に思いますが私は気が付いていないまま40年位の歳月が過ぎてしまいました。当時のアナウンス、私の記憶も一致しています。
あと、引き扉が閉まってから整理券を取ると、運転士から文句言われませんでしたでしょうか。目が届かない隙にやっていたのでしょうか(^^)。
Re:内装とその他の記憶
そうですね、あまり堂々と書けないですが子供のいたずらということで勝手ながら許していただくこととして。できたのは比較的混雑した車内で扉付近に立っていた時でした。運転手さんは走行の方に意識が行っていますし、当時の機械では何らかのエラーを伝える機能も無かったと思います。子供の背の高さだとちょうど手を伸ばすと取りやすい位置なんですよね。
発行機の仕組み自体は一般乗客もそれなりに知っていたようで、取り忘れたおばちゃんがバス発車後に無理やり引き出しているのを何度か見ました。時には運転手さんに気づかれて注意されていたことも。
「整理券をお取りください」に続くアナウンスは何種類かあったと思うのですが、今となっては思い出せないですね。たまにテープの回転がおかしくて早口になっている個体もありました。
案内放送と言えば、「○○○○○○、このキャンペーンは××の提供でお送りしています」というのも埼玉独特だった気がします。
Re:内装とその他の記憶
テープの回転が時たまにおかしい事があったのは私も記憶に有ります。「このキャンペーンは・・・」というのも、整理券導入後、結構年数が経って、整理券方式が、水や空気の如く当然のように、体に浸透して来たあたりから有ってたように記憶しています。確かにこの頃、アナウンスの種類が増え出したように記憶しています。当時は多すぎて気に留めるにも至らなかったです。
変わりますが、電動切り替えの方向表示器は、新導入されたBU06が最初でした。運転しながら切り替えしてる様子もチラホラ見ました。運転士が前を見たり半透明緑の覗き窓を見たり。何年経ってからかは忘れましたが、それまで付いていなかったBU10にも改造が加えられました。これは手回しのハンドルが外されたところに、ギヤードモーターユニットが付きまして、丸で昔の後付けパワーウィンドウのようでした。国際のBU10は側面に表示器は無く、前と後だけでしたけど、当然、内部には位置センサーや電気配線も施された筈です。BA741については確認出来ませんでした。この頃既に生き残ってる数もかなり減っていたように記憶しています。先が短いものに費用はかけたくないのなら、多分付けてないと思います。国際興業は、事業が潤ってたのでしょうか、後から改造を加える事も多かったようです。
Re:内装とその他の記憶
私は丸型BUはほぼ記憶ゼロに等しい(一度だけ、後面窓がやけに丸いバスを見たことがあるのですがネットで旧型車両を知るまでは記憶違いと思ってました)のでその辺りの改造はよく分からないのですが、手回しハンドルが付いている車両に乗ったことはあります。もしかするとBU06で系統幕が分離された際に、系統だけ手回しだったかもしれません。
BU10とBU06の後面方向幕は、丸い屋根に出っ張って取り付けられていましたので、車内から見ると斜め上方向に覗き窓があるのがBU04との大きな違いでした。覗き窓の形状や色はバス会社によって違いますが、国際の場合BU04は少し横長のが左右に、BU10や06は正方形でした。他社車両からの流用でしょうか、時々緑でなく片側だけ青の覗き窓の車両に乗ったのを覚えています。
電動方向幕は、初期の頃から位置決めや自動巻き取りをしていたのでしょうか?何となく運転手さんが覗き窓を見ながら合わせていたような記憶もあるのですが・・「回送車」に合わせるのが面倒だったのか、行き先と行き先の中間で止めて走っている車両も結構見たものです。
Re:内装とその他の記憶
確かに系統だけ手回しだったかどうかですが、聞かれてみると答えられないのも確かです。内装の写真とくれば、あまり転がっていませんからね。
○○循環ていうやつの△△廻り,□□廻りのように、系統番号まで連動する必要も無い場合も有りますので。行き先の前と後は連動してたでしょうね。わざわざ、後の行き先を替えに行くのに、人間がそこまで行くのでは、遠隔操作のメリットが死んでしまいますので。と言う事は、最低でも区切り位置のセンサーは無いといけない筈ですよね。今となっては真相不明ですが、例えば「回送車」表示迄の回す量がたまたま多いときに、面倒と思って、空白かそれに近い所で止めておいたという可能性もあるでしょうか。想像に他ならず恐縮ですが、区切りから次の区切りに行く途中で主電源をバチッと落とせば、そこで止まり、前も後ろも似たような位相のところで止まると推定出来ます。古い人間は、メンテの時にそんな工夫はザラにしていましたね。今の機械は、安全考慮で
過剰な程インターロックやブロックがかかりますので、その点工夫して使いにくいです。
今なんてみんなLED電光表示ですから、画数が極度に多い場所名以外は、数え切れないほどのメモリーも入るし、あちらからこちらへの切り替えも総てワンタッチなんでしょうね。不便だった頃の面白さも空白のまま育つ今頃のお子さん達、自分の持っている機械も壊れたら分解もせず、使い捨ての買い替えだけになってしまうのでしょうか。ギミックすら探らなくなってしまうでしょうか。
Re:内装とその他の記憶
単純に同じ系統を往復しているだけのパターンも多かったでしょうから、系統幕まで連動させる複雑な仕組みは無かったかもしれませんね。大したマイコン制御もできない時代、こういう連動がどういうからくりで動作していたのかを知りたいです。
現在のLED式は、もう少しLEDなりのメリットを生かせば良いとも思いますね。全ての車両が同一の側面表示機を搭載する必要もなく、画素数が合っていれば小型や横長にしてもメモリーの方は変更する必要ないわけですし、そうなれば窓ガラスを埋めることなく昔みたいに入り口扉上とかも実現できるはずです。
昔の話と関係なくなってきましたのでこの辺で。
Re:内装とその他の記憶
5年以上も前に始まったテーマに“Re”は恐縮ですが、テーマがちょうどいいのでこうします。
何気なく「国際興業」「BU10」で久々に画像検索しましたら、驚くべき写真と遭遇しました。Twitter投稿の物でしたが、国際興業のBU10 3世代目の、車番2545が写っていてナンバープレートは「埼2 い 32-97」でした。実は私が昭和60年、最後に乗ったBU10が車番2548だったのですが、ナンバーが「33-00」だったように記憶していました。しかし不鮮明で自信が無く、投稿せずでした。しかしこの写真が、本当だったと言う決め手になりました。この辺は確か、2538〜2555辺りまで車番とナンバーは連動だったと記憶しています。但し車番下2桁「42」「44」「49」は抜いています。この写真には驚きました。
もう少し放流しますが、2世代目(縦長方向指示器の分)は車番23XX前半辺りは「埼2 い 24-XX」の終盤ぐらいだった事、24XX前半辺りは「埼2 い 28-XX」の初盤辺りだったのも記憶しています。それでも所々に僅かな例外も有って「埼22 い X-XX」と言うのも居ました。
多分この手は、元々他の営業所管轄の車両が、後から移籍して来た物なのでしょう。書かせて戴きましたが、今となっては完全な記憶では無いです。
何にも書き留めていなかったので。当サイトにも投稿されました「埼2 い 25-48」は23XXの後半辺りなのでしょうか。東武バスのBU10には「埼2 い 27-XX」も居たように記憶しています。
写真に誘発されて投稿しました。
あまり語られない内容なので、投稿しようかどうかとは思いましたが、受けを考えず投稿します。
40年前の事ですが、埼玉を駆け抜けていた國際興業バスは、外装は御存知緑でシート地は青、東武バスは反対に外装が青/薄茶でシート地が緑でした。
天井のデザインは、國際のBU10が丸蛍光灯に内側円域にスピーカーが設置されてるのに対し、東武のBU10は直管蛍光灯にアーチ断面形状のシェード(天井に付いているので姿勢的には逆さアーチです)でした。東武のBU10はツーマン仕様が多かったのですが、殆ど前向きシートでした。また、ワンマン仕様のロングシート車に一回だけ乗り当たった事もあって、珍しさにビックリしました。
他、こんなところをわざわざ種類違いがあるのかと思ったのですが、後ろの床にある点検蓋が、國際がシマ鋼板(部分的にだった?)だったのに対し、東武は枠のみ金属で内側は全部木だったように記憶しています(金属芯は入ってるのでしょうが)。また、タールの香、いわゆる昔よく言ってた「バス独特の香」が、東武の方が強かったようにも記憶しています。ひょっとしたら、シート地の香りも混じってかも知れませんが。
クラクションですが、國際さんは2世代目BU10(縦長ウィンカーにテールライト高め位置の分 車番23XX,24XXです)までは電気ホーン(ピャーーーっと鳴るタイプ)で、3世代目BU10からはエアーホーン(ホワーンと鳴るタイプ)になりました。東武バスは、BU10初世代からエアーホーンだったと記憶しています。
ただし、東武については、数少なくしか見ていないので、全てがこうだとは断言出来ないです。本来、興味真っ只中の当時に他の方同様に乗り遊べれば良かったのですが、事情で出来なかったので、謎多きままで4昔も過ぎてしまい、悔しいところです。