方向幕50連発
国鉄バス東北の
“その頃”の方向幕をひたすら並べてみました。
国鉄バスの方向幕も行き先を単純に標記しただけで面白味にかけますが、色々な地名が過去のローカル路線のネットワークを思い出させます。
201〜208 沼宮内・二戸地区
撮影:盛岡支所(1984)
201
盛岡から沼宮内を経由して葛巻に向かう沼宮内本線の方向幕。
国鉄バスの路線名は、鉄道線と同じようなつけかたになっています。
撮影:葛巻駅(1985)
202
「沼宮内」という方向幕は沼宮内本線の方向幕。ただし、盛岡から沼宮内に行くのではなく、葛巻〜沼宮内間という鉄道の枝線的役割を持つ系統です。
撮影:沼宮内駅(1985)
203
平舘本線の「平舘行」方向幕。文字の間に経由地を入れるという書き方は、当時は珍しくなく、国鉄バスでは各地で見られたようです。ちなみにここで言う「役場」は岩手町役場のことです。
撮影:小鳥谷駅(1985)
204
「一戸」という方向幕です。小鳥谷で撮影したので葛巻からの小鳥谷線でしょう。県北部のローカル線は、国鉄バスと岩手県北バスが入り組んで走っていました。
撮影:北福岡(1985)
205
「北福岡」という方向幕。後に「二戸」に改称されましたが、当時は鉄道の駅名もバスの営業所名も北福岡でした。
撮影:北福岡(1985)
206
北福岡と浄法寺町を結ぶ系統の方向幕。
撮影:北福岡(1985)
207
「仁左平」という方向幕。二戸市の北部にあり、県立病院に向かう路線の終点になっていたようです。
大型方向幕の枠に旧来の小型方向幕を入れている姿は、当時は「もったいないし無策だなあ」と思っていたのですが、今になってみると共通化による経費の削減など大人の事情が分かるようになりました。
撮影:北福岡(1985)
208
二戸市内から浄法寺へ向かう路線の途中から分岐して「岩手足沢」へ向かう路線。今になって地図を見ると足沢という地名がありますが、わざわざ「岩手」を冠したのは紛らわしい地名が広い国鉄線内の全国どこかにあったからでしょうか。
分岐部分の「御返地〜岩手足沢間」はフリー区間のようです。
撮影:北福岡(1985)
209
二戸から軽米へ向かう軽米線の方向幕。
撮影:葛巻(1985)
210
小鳥谷線の一系統ですが、「大平橋行」は小鳥谷駅とは全く逆方向に向かい、国道340号線の葛巻町の東南端辺りで終点になります。
212〜217 久慈・岩泉地区路線
撮影:久慈駅(1985)
212
久慈駅から陸中山形を経て陸中小国へ向かう陸中小国線の方向幕。やはり「陸中」を入れたバス停名ですが、方向幕は簡略化されて「小国」となっています。
撮影:久慈駅(1985)
213
「上大沢行」という方向幕。種市から内陸方面に分岐する系統ですが、路線名は八久本線。その名の由来は八戸と久慈を結ぶから。
途中からフリー区間になることが方向幕に書いてあります。
撮影:久慈駅(1985)
214
久慈駅と「陸中白山」を結ぶ路線。果たして陸中白山というのはどこにあるのだろうと当時の路線図を調べたら安家本線の一系統でした。
これも国鉄流の路線命名方式の妙で、安家本線といってもこの時点では岩泉町の安家洞までつながっていたわけではありません。
撮影:久慈駅(1985)
215
久慈駅と「舟渡」を結ぶ路線。久慈海岸線の一系統です。
「舟渡」という地名は多分沿岸部にはそれなりの数があるのでしょう。沿岸南部の大船渡が有名です。
撮影:久慈駅(1985)
216
久慈駅から田野畑村の「北山崎展望台」へ向かう路線。陸中海岸本線の一系統です。
大部分を三陸鉄道北リアス線と重複するルートですが、観光客が利用するのは途中普代駅と北山崎展望台の間ということではないかと想像したりします。
撮影:岩泉営業所(1985)
217
「横道行」。早坂高原線の一系統です。
早坂高原線というと、盛岡から早坂高原を経由して岩泉に至る「急行竜泉号」で知られていますが、これは岩泉町内で完結するローカル便。途中、国鉄岩泉線の浅内駅なども経由するようです。
218〜226 高速バス・特急バス
撮影:盛岡駅(1985)
218
高速バス「とわだこ号」で盛岡にやってきた「特急盛岡」の方向幕。車両は秋田県の十和田南営業所の車両ですが、「特急」の部分が青文字になっています。
撮影:盛岡駅(1985)
219
同じく高速バス「とわだこ号」で盛岡にやってきた十和田南営業所の車両ですが、1984年式の車両で「特急」の部分が黒文字になっているもの。
撮影:盛岡支所(1985)
220
特急「白樺号」の久慈行きの方向幕。こちらは「(特急)」という標記で、文字色は緑色です。
撮影:盛岡支所(1985)
221
特急「白樺号」の久慈行きの方向幕。1985年以降に作られたものは、特急の文字が赤文字になったようです。
撮影:盛岡支所(1986)
222
特急「とわだこ号」の方向幕です。
撮影:盛岡支所(1985)
223
高速バス「ヨーデル号」の方向幕です。特急の文字色は赤です。
撮影:盛岡支所(1985)
224
早坂高原線のうち、岩泉営業所で終点になる系統のものです。「岩泉営業所前」「竜泉洞前」の二つだけ「前」をつけている理由は分かりません。
撮影:盛岡支所(1985)
225
盛岡から岩泉へ向かう早坂高原線の「竜泉洞前行」方向幕。系統によっては「急行竜泉号」がありましたが、方向幕は普通便と共通で、別の看板を正面に掲げていました。
撮影:盛岡支所(1987)
226
方向幕ではありませんが、早坂高原線の「急行竜泉号」の表示板。
方向幕に種別表示がないため、急行はこの表示板をつけて区別していました。
227〜232 遠野地区路線
撮影:遠野駅(1985)
227
シンプルな「遠野」という方向幕は遠野北線の方向幕。
「遠野」というのは「遠野駅」のことですが、鉄道と同じで行き先に「駅」をつけないのが国鉄バスの特徴でもあります。
撮影:遠野駅(1985)
228
色々なことが書いてありますが、「上郷経由メ田行」で「中平倉〜メ田」間がフリー区間になるという来内線の方向幕。
撮影:世田米(1985)
229
「上有住」と書いて「かみありす」と読みます。遠野本線のものですが、遠野までは来ないで、手前の住田町「上有住」で終点になります。最後の「中埣〜上有住」間はフリー区間です。
撮影:世田米(1985)
230
「世田米」は住田町にある国鉄バスの支所です。遠野本線の基本ルートは遠野から世田米を経て陸前高田に至るものです。多くの系統がこの世田米で折り返します。
撮影:世田米(1985)
231
上記と同じ用途のものと思われますが「世田米大崎」の表示です。
撮影:世田米(1985)
232
遠野本線の「陸前高田行」。世田米は岩手県交通も通る町ですが、岩手県交通は大船渡に向かい、国鉄バスは陸前高田に向かいます。
233〜235 一関地区路線
撮影:一関営業所(1985)
233
「目呂木経由一関」という一関本線の方向幕。同区間には岩手県交通も走りますが、国道4号線を行く岩手県交通に対し、国鉄バスは北上川の対岸を走ります。
撮影:一関営業所(1985)
234
同じ一関本線ですが、こちらは「白山経由」という系統。
文字の間に経由地を入れる書き方です。
撮影:一関駅(1985)
235
「急行一ノ関」という方向幕は古川本線と呼ばれる宮城県からの路線。東日本急行との共同路線での一関〜仙台間の高速バスは「特急」と標記していたので、こちらは一般道経由のものです。
ちなみに都市名は「一関」ですが国鉄の駅名は「一ノ関」と標記します。
236〜237 十和田南営業所
撮影:十和田南営業所(1986)
236
秋田県の十和田南営業所の国鉄バスの「寺坂経由陸中花輪」。
秋田県側からの十和田湖ルートは、国鉄バスと秋北バスが輻輳して走っていました。
撮影:十和田南営業所(1986)
237
秋田県側から十和田湖に入る十和田南線の方向幕。
国鉄の駅名は「とわだみなみ」と読みますが、国鉄バスの路線名は「とわだなんせん」だったようです。これは国鉄の路線名によくあった「北線」「南線」という区分での命名だったからです。
238〜241 青森営業所
撮影:青森(1987)
238
「青森駅」という方向幕は青森営業所のもの。
高速バス「あすなろ号」のエプロンをつけていますが、宣伝をしているだけでこの車両は一般路線です。
撮影:青森県(1986)
239
青森から十和田湖に向かう十和田北線の「十和田湖行」。
こちらは「とわだほくせん」と読みます。
撮影:青森県(1986)
240
十和田北線の「十和田湖(子ノ口)行」。
国鉄バスの「十和田湖駅」と呼ばれる場所は乙女の像に近い「休屋」ですが、一部の便は東岸にある「子ノ口」止まりでした。ちなみに「ねのくち」と読みます。
撮影:青森県(1987)
241
「ねぶたの里」です。
242〜250 その他
撮影:盛岡(1985)
242
国鉄バスでは貸切バスに使用する場合、「国鉄観光」と標記していました。
撮影:盛岡(1986)
243
同じ「国鉄観光」ですが、文字色が青く、また字体が手書き風です。
撮影:遠野(1985)
244
こちらの「国鉄観光」は路線タイプのマスクを持った車両のもの。やはり青文字です。
撮影:十和田南営業所(1986)
245
大型方向幕にも「国鉄観光」。
これは秋田県の十和田南営業所のもの。
撮影:一関(1987)
246
貸切に使う際の方向幕だと思われますが、「国鉄」というのも存在していました。
撮影:盛岡(1987)
247
分割民営化により1987年4月からJR東日本のバス部門になったため、貸切に使用する場合は「JR東日本」という方向幕を使用するようになりました。
なお、1年後にはJRバス東北に分社されますので、この幕が使用されたのは1年間ということになります。
撮影:盛岡(1988)
248
1988年4月からJR東日本バスは晴れてバス部門が分離され、「JRバス東北」になりました。
撮影:遠野(1986)
249
貸切に使用する場合の方向幕として「貸切」というのも存在していました。
撮影:岩手町(1986)
250
「臨時」という方向幕。どういうときに使うのか気になる所ですが、高速バスなどの続行便に使用する際に見たことがあります。