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春まだ遠い弘南鉄道
東北地方で電車が走る私鉄というのは珍しい存在です。それも日中30分ヘッドダイヤで運行し、朝は長い編成の快速電車も走るという都市私鉄風の味付けが施されているのも大きな特徴。本線格の弘南線と支線格の大鰐線、それに国鉄から引き継いだばかりの黒石線という3路線から成っています。
もっとも、この鉄道の最大の魅力は、全国各地から集められた古い電車。国鉄、西武、東急といった馴染み深い前歴を持つものから、富士身延、阪和、伊那といった戦前に国鉄に買収された私鉄を出自とするものまで、多種に渡っています。
3月といってもまだ雪深い津軽の地を、そんな車両たちの活躍を見るために訪れました。
下校時間
撮影:柏農高校駅(1985.3.20)
下校の高校生であふれるホームに、弘前行きの電車がやってきました。
車両は1980年代になってから東急からやってきた全金属車体の3600形。ついこの前まで目蒲線や池上線の「新しい電車」だった東急標準車体も、すっかり津軽の顔をしていました。
撮影:柏農高校−津軽尾上(1985.3.20)
雪のりんご畑
上と同じ元東急3600形でも、こちらは半鋼製車体なので、かなり古さを感じさせます。
終戦後、かき集めた戦災国電を復旧するに際し、痛みの激しい鋼体を廃棄して車体を新造したもの。約4半世紀を経て、元国電の活躍する弘南鉄道にやってきたのも、何かの縁かもしれません。
津軽平野を行く
撮影:石川−津軽大沢(1987.3.21)
緩やかな勾配を行く2両編成。先頭に立つのは、元旧形国電の中でも年式の古いモハ1120号で、大鰐線では同世代でもある元富士身延鉄道のクハ2251号と組んで使用されていました。
平川を渡る
撮影:石川−鯖石(1987.3.22)
大鰐線は、大鰐を出た後しばらく国鉄奥羽本線の対岸を走った後、平川を渡って再び奥羽本線に近づきます。その先は奥羽本線をオーバークロスして弘前市中心部に向かいます。
撮影:石川−鯖石(1987.3.22)
快速電車
畑仕事の脇を2両編成の電車が通り過ぎます。正面に何か札がついていますが、「快速」と書いた札を下げて走る快速電車です。
こちら側は元国電のクハ1613号ですが、編成を組むのは元西武鉄道のモハ
2233号。
国電の面影
撮影:石川−鯖石(1985.3.20)
モハ11形+クハ16形の2両編成。
既に大鰐線に転じて余生を過ごしている風情ですが、戦前の省電の良き時代の面影を残す張り上げ屋根車は、全国でもこれ1両だけの存在でした。経歴としては戦災廃車後に西武鉄道に引き取られ、原形を生かして復旧されただけに、標準化されてしまった国電より原型に近いというのも皮肉な結果です。
撮影:津軽大沢−石川(1985.3.20)
コンクリート橋を行く
こちらは見るからに古めかしい2両編成ですが、それも昭和初期に作られた鋼製電車。
左の電動車は富士身延鉄道の生まれ。国鉄買収後、飯田線などで使用されてから弘南鉄道入りしました。右の制御車は西武鉄道の生まれ。深い屋根とお椀型のベンチレーターは、川崎造船の初期鋼製車の大きな特徴です。
雪の大鰐駅
撮影:大鰐駅(1986.12.27)
昭和初期の香りの残る電車に、手動ドアを開けて乗り込む人々。
屋根に付けられた水切りや御椀形のベンチレーター、さらに前方のモハ2250形は木製ドア、木製窓枠を残しています。
撮影:石川−津軽大沢(1987.3.21)
りんごの木
冬のりんご畑の向こうを行く大鰐線電車。春が来るのはまだ先のようです。
弘南鉄道黒石線
撮影:前田屋敷駅(1985.3.20)
アズキ色とベージュの弘南鉄道カラーに塗られた国鉄型気動車は、かなり違和感がありました。
それもそのはず、前年11月に廃止された国鉄黒石線を弘南鉄道として引き継いでまだ間もない頃です。
東北地方には,国鉄の特定地方交通線を引き継いで開業した初めての第3セクター三陸鉄道に続いて,バス会社が引き継いた下北交通大畑線,そして「電鉄」会社が引き継いだこの路線と,珍しい事例が揃っていました。
岩木山と4両編成
撮影:津軽尾上−田舎館(1985.3.20)
岩木山を背景にコンクリートの高架橋を行く4両編成の電車。
基本は2両編成ですが、弘南線では通勤通学時間帯にはダブル編成になります。3両×2の6両編成もあるのですが、このときは見られませんでした。
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