岩手県交通のカラーバラエティ

4.岩手県交通


岩手県交通は、1976年に岩手中央バス、花巻バス、岩手県南バスの3社が合併して成立しました。
その時点で存在した旧3社のカラーを引き継いだほか、岩手県交通のオリジナルカラーも設定し、そのカラーバリエーションは豊富です。
ここでは、岩手県交通成立後に塗られたカラーデザインを紹介します。(1987年導入まで)

岩手県交通



4-1 岩手県交通カラー
1976(昭和51)〜2001(平成13)年
岩手県交通

日野RB10(1967年式)岩22か800

岩手県交通成立後の1976年から採用されたデザインで(注1)、シルバーとホワイトを地色に、ブルーのラインが入るすっきりしたデザインです。1984年までは、路線バス、高速バス、貸切バス問わず、この色が選択されました。
ベースとなったのは、岩手県南バスの貸切カラーのようです。

4-2 岩手県交通・譲受車カラー(元国際興業)
1976(昭和51)〜1978(昭和53)年(1984年まで使用)
岩手県交通

いすゞBU10(1965年式)

岩手中央バス時代から引き続き、国際興業からの譲受車は、そのままのカラーで使用されました。盛岡地区に配置される車両だけがこのカラーで使用されています。
1984年までに該当車両が廃車になり、姿を消しました。
(注2)

4-3 岩手県交通・譲受車カラー(元神奈川中央交通)
1981(昭和56)年(1986年まで使用)
岩手県交通

いすゞBU10D(1971年式)

1981年に神奈川中央交通からの譲受車について、元カラーの下半分のみを塗り替えて就役させた車両が存在しました。既に岩手県交通になっていたにもかかわらず、残存していた岩手中央バスカラーに合わせたものです。雨樋部分の赤い細線が、神奈川中央交通の面影を残します。
オリジナルの岩手中央バスカラーは1985年までに塗り替えにより姿を消しましたが、この車両は1986年まで残りました。

神奈川中央交通時代のカラーデザインはこちらです。帯の色を変え、車体裾の波形デザインを消したことで、岩手中央バスカラーを再現したようです。

神奈川中央交通
4-4 岩手県交通・空港バスカラー(TDAレインボーカラー)
1983(昭和58)〜1991(平3)年(1995年頃まで使用)
岩手県交通

いすゞBU20KP(1973年式)岩22か1783

盛岡駅と花巻空港を結ぶ空港直行バスに使用される車両は、航空会社の東亜国内航空(TDA)との契約輸送のため、TDAの航空機と同じレインボーカラーに塗られていました。
1988年にTDAがJAS(日本エアシステム)に商号変更していますが、JASのロゴに変更するのではなく、ロゴを消しただけで使用継続した模様です。
(注4)

東亜国際航空のエアバスA300型旅客機の絵葉書です。
TDAがこのカラーを導入したのがこの機種を採用した1981年からだそうです。
航空機の場合、垂直尾翼のところで上にあがるデザインになりますが、バスの場合は、これをボディ後部でうまく消化しています。
なお、空港バスへのこのカラーの展開は、北海道などでも見られました。

東亜国際航空
4-5 岩手県交通・貸切・高速カラー
1983(昭和58)〜1985(昭和60)年(1987年まで使用)
岩手県交通

いすゞK-CSA650(1983年式)

1983年に貸切バスに初めてのスケルトンタイプのハイデッカーを導入した際、特別カラーとして採用された新カラーで、1985年の新車からは、貸切バス、高速バスはすべてこのカラーに塗られました。
しかし、1986年に国際興業グループ入りしたことで、車齢の新しい車両からグループカラーへの変更が開始され、間もなくこのカラーは姿を消しました。

4-5 岩手県交通・貸切・高速カラー(国際興業貸切カラー)
1986(昭和61)〜
岩手県交通

いすゞP-LV219S(1986年式)

1986年に国際興業グループ入りしたことで、貸切バスと高速バスは、国際興業貸切カラーが採用されました。新車の導入や在来車の塗り替えを進めたことなどで、このカラーへの統一は早く進みました。
側面のローマ字社名の入れ方は、他のグループ会社と同じです。ただし、この部分は、何回かの変更を重ねて現在に至ります。
また、貸切登録ということか、廃止代替バスに使う路線タイプの車両も、後にこのカラーに塗られましたが、ローマ字社名は省略されているケースもあります。

(注1)
県交通カラーは、1976年8月に登録された中古車「岩22か800」が1号車で、引き続き同月登録の新車「岩22か811」以降がこの色になっていることから、岩手県交通成立から間もない時期に採用されたことが分かる。
ただし、1976年中のこの色の採用は、新車、中古車問わず、旧岩手県南バスエリアのみとなっている。盛岡地区(旧岩手中央バスエリア)での採用は、中古車が1977年2月、新車が1977年5月であり、県都盛岡市でこの色がお目見えしたのは1977年である。
これらの年月のデータは、岩手県交通が1978年に作成した車両一覧表(提供:板橋不二男様)による。
(注2)
岩手県交通成立後の1976年内の盛岡地区の導入車両は、すべて国際興業からの譲受車で、国際興業カラーのまま就役している。1977年には、同社からの譲受車でも県交通カラーに塗り替えられた車両があるが、1978年には再びほとんどが塗り替えずに就役している。また、1978年の就役車両は社名表示も合併時と同様のシール張りになっているなどの特徴がある。
(注4)
空港バスカラーの導入年と消滅年は定かでない。
導入年については、1983年に花巻空港がジェット化されているので、1983年と推察した。
採用期間の終わりについては、1994年発行の「BJハンドブックス」でこのカラーになっている岩手22き428・498が1991年の転入車であるため、1991年までと推察できる。
消滅年については、鉄道ジャーナル(1996年2月号)バスコーナーに岩手22き498の写真があり、1999年発行の「バスラマ」には掲載がないことから、1995〜1999年の間と考えられる。
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