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追想。“その頃”のアレは今
“その頃”の写真の風景が今どうなったかをお伝えします。
左側は
“その頃”の写真,右側がお寄せ頂いた現在の写真です。
ここでは、「風景」ではなく「物件」の変化をお見せします。
岩手県交通大東営業所の廃車体
“その頃”の大東営業所廃車体
撮影:当サイト作成者(1986.8.7)
2005年
撮影:53様(2005.8.22)
大東営業所の片隅においてあったRB10Pの廃車体。1999年には現存していたそうですが(下の写真)、残念ながら今は営業所跡地が住宅地になり、廃車体も撤去されてしまっています。
廃車体だけでなく、建物も樹木も姿を変えてしまっていますが、山の形だけは変わりません。多分山の形だけは数百年たっても変わらないんだろうと思うと、人間の作った機械などちっぽけなものに過ぎないんだと思わざるを得ません。
1999年
撮影:53様(1999.9)
岩手県交通安倍舘バス停
“その頃”の安倍舘バス停
撮影:当サイト作成者(1984.7.25)
2005年
撮影:MX−9735様(2005.6.26)
2003年
撮影:岩手県交通ファン様(2003.11.1)
岩手県交通になってからも「中央バス」の名称を残していた安倍舘バス停の今昔です。
現在の様子は、何の変哲もない上屋になってしまっていますが、実は2004年までは「中央バス」の名前が残されていました(左)。
2004年に襲来した数十年ぶりという大型台風のせいで、これまで数十年の間生き長らえてきた木造の待合小屋が壊れていまい、このような上屋に建て替えられたのだそうです。自然の力なので仕方なかったとは言え、残念な話です。
岩手県交通北上駅前のりば看板
“その頃”の北上駅前のりば看板
撮影:当サイト作成者(1986.8.24)
2005年
撮影:オペレッタ601号様(2005.5.3)
北上駅前にある「のりば案内看板」の“その頃”と現在です。
路線図を見てみると、右側の路線がかなり消されているほか、枝線もだいぶなくなっています。のりばごとの行き先案内も、一度貼り直されたようですが、それもまたかなり消されています。
「仙台」「池袋」など“その頃”にはなかったものが追加されているのが、せめてもの救いといえるでしょうか。
江刺市内の廃車体
“その頃”の江刺市内廃車体
撮影:当サイト作成者(1987.8.31)
2003年
撮影:一関市民様(2003.9.7)
江刺市内にあったボンネットバス廃車体。車両の説明は,車両ギャラリーをご覧ください。
今となっては,どの辺にあったか全く思い出せませんが,一関市民様がご存じでした。しかし残念ながら,数年前に撤去されてしまったそうです。現在ではただの廃材置き場のようです。
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