北緯40度の風景

盛岡バスセンター界隈

盛岡バスセンターは国鉄(JR)盛岡駅から2kmほど離れたところにありますが、その周辺には商業施設や官公庁、そして城跡公園などがあるかつての中心街でした。
そして、バスの待機場所なども、この周辺に複数存在していました。
最終的に盛岡バスセンターも取り壊されるなど、その面影は消えてしまいましたが、周辺に存在したバスの車庫や待機場所などを、ここで振り返ってみることにします。

界隈の位置関係
盛岡バスセンター界隈

盛岡バスセンター周辺のバス待機場所等の分布を地図にしてみました。
南大通には、岩手中央バス(→岩手県交通)の河南営業所がありましたが、これの前身は松尾町にあったようです(地図の③)。地図・空中写真閲覧サービスで見てみると、現在の盛岡年金事務所、盛岡畜産会館、県建設会館などのある場所に、かなり広いバス車庫および建物が見えます。この場所は1962年時点では更地、1965〜69年には車庫の存在が見て取れます。
一方、河南営業所(地図の④)は、倉庫のようなものがあった場所ですが、1969年時点では更地になり、1975年時点ではバス営業所になっています。
つまり、③松尾町の営業所は1963年頃〜1970年頃に使用、1970年頃に移転して河南営業所になったと想像できます。
なお、岩手県交通の路線で「茶畑行」というものがあり、その経路上の「松尾前」「八幡宮前」などのバス停は、その近くにあります。松尾町に営業所があった名残の路線ではないかと想像できます。

①盛岡バスセンター

“その頃”1984年
盛岡バスセンター

撮影:盛岡バスセンター(1984.11.2)

2016年
盛岡バスセンター

撮影:盛岡バスセンター(2016.7.9)

“その頃”の盛岡バスセンターが最もちゃんと写っていた写真がこれでした。目的はバスの写真だったのだと思いますが、ズームしきれずの失敗写真が、奇しくも盛岡バスセンターを懐かしむ1ショットになりました。
2016年に撮影した同じ角度の写真では、ほぼ同じ位置にバスを止めることができました。盛岡バスセンター自体は、30年経ってもほとんど変わっていません。広告とか袖看板を除けば。

2018年
盛岡バスセンター

撮影:盛岡バスセンター(2018.10.3)

盛岡バスセンターの建物は取り壊され、跡地は2018年時点では更地です。
岩手県交通のバスが2台ほど待機していました。
いつものように、神明町から中の橋方面に向けて、バスが右折してゆく光景は変わりません。

1980年
盛岡バスセンター

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1980頃)

2016年
盛岡バスセンター

撮影:盛岡バスセンター(2016.7.9)

バスセンター東側の神明町通りを行く岩手県交通のバス。滝沢や松園からの市内線は、盛岡バスセンター(神明町)が終点で、盛岡バスセンター(中三前)が起点となるため、この通りを数多く走ります。
1980年の写真では、2階のレストランも健在。わんこそばの看板も出ています。通りの先には「エンドーチェーン」がゴールデンセールをやっています。
30年以上を経た写真で、岩手県交通のカラーは同じ国際興業カラーですが、この間にこの色は10数年途絶えた期間があります。そういえば、ヒノヤタクシーも今ではこのツートンカラーではなくなったようです。

1977年
盛岡バスセンター

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1977.3.14)

2018年
盛岡バスセンター

撮影:盛岡バスセンター(2018.10.3)

上の写真からカメラを北に向けたところです。
盛岡バスセンターの降車用の神明町バス停があり、山岸方面から来た盛岡駅行もここを走ってきます。
1977年の写真では左側の「珈琲桃園」などの木造建築が並びますが、2018年には立体駐車場をはじめ、高層建築が並ぶ都会的風景に変わりました。

②バスセンター東側の待機場所

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1979年
盛岡バスセンター

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1979.11.19)

盛岡バスセンターの東側には、バスの待機場所があります。この写真は、そのうち北側にある場所。ここは主に岩手県北バスの待機スペースでした。
バスの東側にはモルタルの2階建ての建物があり、岩手県交通盛岡本社が入っていました。エルフとバンは県交通の社用車です。

“その頃”1986年
盛岡バスセンター

撮影:盛岡バスセンター(1986.7.29)

2016年
盛岡バスセンター

撮影:盛岡バスセンター(2016.7.9)

バスの後ろ側の2階建ての建物には岩手県バス協会などが入居していました。
2016年の写真を見ると、それらの建物は姿を消しています。背後のマンションが変わらないので、同じ場所だと分かります。
岩手県北バスと並んで、岩手県交通のバスも待機していますが、元々は岩手県北バスのスペースだったのではないかと最近気づきました。というのは、この場所に待機していた岩手県交通の車両は、花巻営業所と大迫営業所の車両であり、元花巻バスだった営業所の車両なのでした。花巻バスは県北バスの資本グループに属しており、この同じ場所で憩うことになったと推測します。

2003年
盛岡バスセンター

撮影:ねこも様(盛岡バスセンター 2003)

2016年
盛岡バスセンター

撮影:盛岡バスセンター(2016.7.9)

その南側には、岩手県交通の雫石営業所のバスが待機する場所があります。以前は屋根つきの大きな車庫があり、「盛岡バスセンター」という大きな箱文字が特徴でした。
雫石営業所と言えば、ちょっと古くなった観光タイプのバスが集まる場所でしたが、それは変わっていません。ただし、屋根つきの車庫はなくなってしまいました。

③松尾町にあった営業所

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松尾町にあった営業所

岩手中央バスの営業所だったと思われる盛岡市松尾町の拡大図です。地図・空中写真閲覧サービスの1965年時点での空中写真をもとに作成しました。
敷地周辺にはいくつかの建物と思われるものがあり、グレーの建物は屋根が平らなコンクリート、茶色はトタンの三角屋根だと思われます。このうち、バス営業所に関係あると思われる建物の場所には、現在ICSの建物が建っています。(注1)

④河南営業所

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1979年
河南営業所

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1979頃)

南大通二丁目にあった岩手県交通の河南営業所です。岩手中央バスの営業所として、1970年頃に開設され、1987年に閉鎖されました。
河南営業所は、南側の敷地が広く、たくさんの車両が並んでいました。写真は、その南側から北を見たところです。土蔵が建っている部分が、北側の1段高いスペースです。
現在至近のバス停は「南大通二丁目」となっています。

1983年
河南営業所

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1983.8.21)

“その頃”1984年
河南営業所

撮影:河南営業所(1984.4.2)


“その頃”の写真は、上の1979年の写真からちょっと右側に立ったところ。
その1年前1983年の写真は、北側の1段高いところに並んだバスを、西側を向いて眺めたところ。背景に見える建設中の高層建物は、トーカンマンション。“その頃”の写真では既に完成している茶色い建物です。

1980年
河南営業所

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1980)

2018年
河南営業所跡地

撮影:南大通り(2018.10.3)

この写真は南側を向いた角度で、バスがずらりと並んでいます。岩手中央バスカラーに、国際興業カラー2種が混じり、そこに岩手県交通カラーの新車が加わった時代です。
2018年時点では、レストランやセレモニーセンターなどの駐車場になっていました。敷地の段差が生かされていて、こちら側は2階部分、向こう側の1段低いところは1階部分の駐車場になります。
敷地の向こう、左端に見えるビルは、1980年にもあったビルです。

⑤南大通車庫

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1983年
南大通り車庫

撮影:板橋不二男様(南大通り車庫 1983.8.21)

2018年
南大通り

撮影:南大通り(2018.10.3)

河南営業所からほど近いところに、南大通車庫がありました。盛岡と仙台を結んでいた「東日本急行」の大きな看板が掲げられていたのが特徴です。
この時すでに東日本急行の路線は廃止され、岩手県交通の釜石、大船渡、湯本の車両が待機していました。今から思うと、これはつまり旧岩手県南バスの営業所の車両です。
バスセンター東側(②)に花巻バス、河南営業所(④)に中央バス、南大通車庫(⑤)に県南バス。この当時、旧3社の区別は実は残っていたということです。
1987年にこの車庫は更地の車庫になり、2018年時点ではお医者さんになっていました。

(注1)
都南村民様から、敷地内の建屋が馬検場であるとご指摘を頂き、地図に反映させました。また、同じく都南村民様からご提供の「中央バス路線図」(1950年代後半のもの)に、バス起終点の「馬町」停留所の記載がありました。馬町は現在の清水町周辺であり、松尾町ではありませんが、そこにバスの車庫があった可能性もあります。
また、鈴木文彦(2004)「岩手のバスいまむかし」の巻末年表に、河南営業所が1951年に新設されたと記載があります。この河南営業所がどの場所なのかは分かりません。
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80s岩手県のバス“その頃”