鳥辺山心中 鮮烈なお染半九郎 2005.1.20 W99 | ||||||||||||
9日に新橋演舞場夜の部を見てきました。
「鳥辺山心中」のあらすじ お染は勤めに出たその日に、上洛してきた将軍家光に従ってきた旗本・菊池半九郎に見初められ、それ以来半九郎は揚げ詰めに通ってきている。そんな仲むつまじい半九郎とお染のために正月用の晴れ着を、与兵衛は届けに来たのだった。お染は半九郎がそんなにまで思ってくれる幸せを、父親に話す。 与兵衛が帰っていった後へ、ほろ酔い加減の半九郎がお染を探しにくる。実は将軍が急に江戸へ帰ることになったので、もう会えなくなるというのだ。あまりにも突然の話に、お染は涙にくれる。 そこへ半九郎の同僚・坂田市之助となじみの遊女・お花や朋輩たちが姿を見せる。半九郎は市之助に、家の重宝である刀を二百両で売りたいが仲立ちをしてもらえないかと頼む。 わけを尋ねる市之助に、半九郎は「京の鶯を買いたい」と話す。お染を自由の身にして親元に帰してやりたいと思う半九郎の気持ちを聞いて、お染は嬉しく思うが、市之助はそれを諌めて、酒を飲み続ける。 この場へ市之助の弟・源三郎が、茶屋遊びを続ける兄に意見しにやってくる。お花は源三郎をなだめようとあれこれ言うが、かえって源三郎は激昂してしまう。そんな弟を残して市之助は皆を引き連れて部屋を出て行く。 おさまらない源三郎はその場に残った半九郎に怒りをぶつける。席を立とうとする源三郎は、止めるお染を突き飛ばし、半九郎を口汚くののしる。生来短気な半九郎は酒の酔いも手伝って「河原へ来い」と、源三郎に果し合いを挑んで四条河原へと走って行く。 斬りあいの末、半九郎は源三郎を殺してしまう。後からかけつけたお染に半九郎は「こうなったからは腹を切って死ぬか、市之助に弟の敵として討たれるしか道はない」と話す。 お染は夫と思う半九郎と別れては、辛い勤めは続けられようもなく、いっそ二人で死のうとかきくどく。茶屋へもどった二人はさっき父親が届けてくれたばかりの正月用の晴れ着に着替え、手に手をとりあい鳥辺山へと向かうのだった。 岡本綺堂作の新歌舞伎「鳥辺山心中」は1925年、二代目左團次の半九郎、二代目松蔦のお染、六代目寿美蔵の源三郎で初演されました。 去年の10月にパリでの襲名公演で上演されたこの作品は、今月の演目の中でも一番話題のお芝居でしたが、期待を裏切らない鮮烈さを感じさせました。 綺堂の科白を、海老蔵は最初から美しく聞かせ、かえって「濁りに沈めど濁りに染まぬ、清きおとめと恋をして・・・」のところを抑えた調子で言っていたのが印象に残り、これも一つのやり方だなと思いました。 若さあふれる海老蔵に半九郎はまさにはまり役で、お染にひざまくらして眠っているところなど、見とれてしまうほど美しい顔でした。けれども鼻梁を白く塗りすぎて、ハクビシンのようだったのはちょっと可笑しかったです。 お染が源三郎に突き飛ばされたはずみで倒れる半九郎が、完全に足の裏が天井に向くまで仰向けに転がったのには驚きました。果し合いをするために、花道を前につんのめるように駆け込んで行く半九郎の姿が今も目に焼きついています。 お染の菊之助は、しょんぼり座っている姿が可憐な10代の少女に見え、くどきも鮮やかで、海老蔵とコンビを組んで次々と大役に挑戦することで目に見えて力がついてきているようです。 心中を決意して、半九郎がその場で死のうとすると、お染がそれをとどめて晴れ着に着替えて当時墓地だった鳥辺山へ行こうと説得するところなどでは、お染のはっきりとした意志が感じられました。 月が照ったり、雲に隠れたりするのにつれて運命が変わっていく様で、青い月明かりに照らされた四条河原の場の若く一途な二人を象徴するような清澄な美しさは、他のお芝居ではみられない秀逸なものです。 後は松緑の「文屋」と菊五郎初役のと菊之助のお梶で「喜撰」。 最後に東京では復帰第一声となる團十郎の五郎蔵と、左團次の土右衛門で「御所五郎蔵」が上演されました。皐月は歌舞伎座と掛け持ちで大忙しの福助でした。 團十郎の病気のことなど微塵も思わせない美しい役者ぶりに、戻ってきてくれたことへの安堵と嬉しさをしみじみと噛みしめました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||
補助席も出る人気で、大向こうはからは4〜5人の声が掛かっていました。2階あたりから女の方の声も聞こえました。 「御所五郎蔵」で花道の引っ込みで五郎蔵の有名な科白「晦日に月の出る里も、闇があるから覚えていろ」そっくりに、オウムをする苦みばしった渋い役者・菊十郎に「菊十郎」と声が掛かりました。 |
壁紙&ライうン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」