27日、国立劇場昼の部へ行ってきました。
主な配役 |
唐木政右衛門
十兵衛 |
鴈治郎 |
お米 |
秀太郎 |
お谷
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魁春 |
股五郎 |
信二郎 |
平作 |
我當 |
志津馬 |
亀鶴 |
宇佐美五右衛門 |
彦三郎 |
誉田大内記 |
翫雀 |
「伊賀越道中双六」(いがごえどうちゅうすごろく)のあらすじ
序幕
鎌倉和田行家屋敷の場
上田家の家老・和田行家(ゆきえ)の嫡男、和田志津馬(しずま)は吉原松葉屋の花魁・瀬川に入れあげ、これを身請けするために、和田家滅亡を企む沢井股五郎にそそのかされて家宝の名刀正宗を質入するという不祥事を起こすが、知らせをうけた行家はいそいで刀を取り戻す。
その和田家へ股五郎がやってきて、志津馬の不始末を行家に告げ口する。ところが刀がもどっていることを知ると、態度を変えて、これには仕組んだ黒幕がいるのだといって、一通の手紙を見せる。行家が手紙を読む隙に、股五郎は行家に後ろから切りつけて殺害する。
二幕目
大和郡山唐木政右衛門屋敷の場
同 誉田(こんだ)家城中の場
唐木政右衛門(からきまさえもん)は大和郡山の誉田家の家来で真陰流の剣の達人。行家の娘・お谷とは親の許しを得ないで一緒になったためにお谷は行家から勘当されている。
行家殺害の知らせを受けた政右衛門は、行家のあだ討ちの免許をもらうために、駆け落ちまでして一緒になった身重のお谷を離別し、お谷の妹でまだ七歳のお後(おのち)を妻にする。これを聞いて、勘当中のお谷を娘分として政右衛門と結婚させ、誉田家に推挙した宇佐美五右衛門は政右衛門に果し状を突きつけにやってくる。
しかしことの真相を知った五右衛門は、明日行われる御前試合に政右衛門がわざと負けるつもりでおり、自分がその責任をとって切腹することになるかもしれないと聞いても、快くこれを承知する。(饅頭娘)
誉田家城中で行われた政右衛門と桜田林左衛門との御前試合で、政右衛門は計画どおり負ける。しかし明敏な誉田大内紀はこの結果に不振を抱き、自ら政右衛門と立ち会う。
政右衛門は奉書を手にとって真陰流の奥義を大内紀に次々と教え示す。大内紀は全てを飲み込んで、政右衛門があだ討ちの旅にでることを許す。(奉書試合)
三幕目
駿州沼津棒鼻の場
同 平作住居の場
同 千本松原の場
一方呉服屋・十兵衛は恩ある人から、和田行家を殺害した沢井股五郎を九州相良に逃がす手伝いを頼まれ引き受ける。
実は十兵衛は孤児で、出生については臍の緒書きに書いてあることしかわからなかった。しかし二十八歳になって独身の今では呉服屋としてひとかどの地位を築きつつある。
三河国吉田まで逃げた股五郎の後を追って、十兵衛は沼津の宿にさしかかる。そこで用を思い出して手代を使いに出した十兵衛は、年寄りの雲助・平作に荷物を持たせてくれと頼まれ、気の毒に思い客となる。
ところが平作の足取りはよろよろと危なげで、とうとう木の根に躓いて足の爪をはがしてしまう。そこで十兵衛が沢井家から預かった印籠の妙薬をつけてやると、たちまち傷は癒える。
平作はそこへ来合わせた平作の娘・お米にその薬のことを話す。お米は十兵衛に泊まって行くようにすすめ、お米に一目ぼれした十兵衛は、すすめられるままに平作の家に泊めてもらうことにする。雛にはまれな美人であるお米を、嫁にもらえないかと申し出る十兵衛だが、「許婚があるから」とあっさり断られる。
その夜、皆が寝静まるとこっそりと十兵衛の荷物を探るものがある。十兵衛が捕らえて明かりをつけてみると、なんとそれはお米だった。お米が涙ながらに話すには、「手傷を負って旅先で苦労している夫をなんとか救いたかった」というので、もしやと思い問いただすと、お米は元吉原松葉屋の花魁・瀬川だった。
してみると夫というのは和田志津馬にちがいないと悟った十兵衛は、さらに思いがけない事実を知る。実は平作は十兵衛の親、お米は妹だったのだ。
しかし現在では十兵衛は股五郎方、平作とお米は志津馬方と心ならずも敵味方に分かれてしまっていて、親子の名乗りをすることも出来ない上に、貧しい暮らしをしている親を助けるために金を渡すことも出来ない。そこで十兵衛は石塔料と偽って三十両を臍の緒書きと一緒に平作に預け、印籠の妙薬はわざと置き忘れて夜中に出発する。
臍の緒書きを見て十兵衛こそ昔生き別れたわが子であり、印籠の紋からそれが股五郎のものだと知った平作は、近道を通って十兵衛を追いかける。
千本松原でようやく追いついた平作は、暗闇の中、十兵衛の脇差を自らの腹につきたて、「死に行くものになら教えられるだろう」と股五郎の行き先を聞く。十兵衛はお米が近くで聞いているのを知りつつ、「股五郎の落ちつく先は九州相良」と教えて雨の振る中を去っていく。
大詰め
伊賀上野城下口の場
同 馬場先の場
ここは伊賀上野の街道筋、茶屋「かぎや」のある辻。股五郎の一行がここを通ることを知って政右衛門、志津馬、行家の郎党・武助、奴の孫八らが待ち構えている。
女駕籠に隠れて桜田林左衛門らに護られてやってきた股五郎を、政右衛門の助けを借りながら、馬場先まで追い詰めた志津馬はついに本懐をとげる。
近松半二、近松加助合作の人形浄瑠璃「伊賀越道中双六」は、1634年に実際にあった天下三大仇討の一つ荒木又右衛門の「伊賀上野の仇討」を題材にしたもので、1783年9月に大阪中座で歌舞伎に移されて初演されました。同じ題材をあつかった先行作「伊賀越乗掛合羽」(いがごえのりかけがっぱ)の世界をかりているそうです。
よく「沼津」だけが上演されますが、今回は饅頭娘、奉書試合などがつき、半通しで上演されました。
今回「沼津」とならんで重要な「岡崎」は上演されませんでした。「岡崎」には政右衛門が、わが子を人質にとられないようにと殺してしまう場面がありますが、この悲惨な筋のために「岡崎」はめったに上演されないのかなと思います。
「伊賀越」の二人の主役のうち、脇筋である「沼津」の十兵衛は、敵の味方ではあるものの情ある優しい人物なのに比べ、敵討ちをする側の助太刀・政右衛門は、現代人には理解しがたい極端に情け容赦のない人物に見えてしまい、そのためか政右衛門が主役として登場する場にあまり魅力が感じられませんでした。
お谷の代わりに嫁にとった七歳のお後が「食べたい」という饅頭を、政右衛門が二つに割って「これが夫婦の固めのしるし」というところが、「饅頭娘の段」でとても面白い趣向です。けれどもこの場の鴈治郎の政右衛門が、お谷を「新参の女中」と、ひどく邪険にあつかうので、それが方便だとわかってみていても、ますます政右衛門が不愉快な人物に見えてしまいます。
股五郎を演じた信二郎は珍しい敵役でしたが、なかなか骨の太いところを見せました。お谷の魁春は寂しげなところはぴったりでしたが、岡崎がでればもっとお谷のしどころがあったろうにと思います。
鴈治郎はやはり侍の政右衛門よりも二役目の呉服屋十兵衛のほうがずっと良くて、上方言葉が生き生きとしていました。我當の平作も上方言葉が自然なので、ふたりで客席を回るところは、とても良い雰囲気でした。(ここは珍しいことに声をマイクで拾っていました。)
平作住処の場では、江戸の世話物とは又違った、漫才のような上方の世話物の楽しさを充分に味わわせてくれました。秀太郎のお米はちょっと年増という感じがしましたが、印籠を盗もうかと悩むところなどに深い味わいがありました。
お米が門の外で懐手をするところですが、文楽ではこの右手を懐手に左手をたらし、顔をふって出るのは遊女や芸者の姿だそうです。(ご一緒したサイトのご常連・饅頭娘さんに伺いました)お米がこの仕草一つで遊女瀬川に戻ったわけです。
ところでこの芝居の面白いところの一つに、居所替りがあります。沼津で平作と十兵衛がぐるっと客席を一周する間においてある道具が下手に引きずりこまれ、遠見があおり返しと言って、ちょうど真ん中から上がページをめくるように降りてきて違う景色になります。
この景色にいつも富士山が描かれているのも、「沼津」をのんびりとした気分の良い芝居にしているように思います。
その後の「平作住処の場」から「千本松原」に替わる時は、平作の家の濡れ縁がシャッと言う音とともに一挙に格納され、後ろの遠見が真ん中から割れて家が中に引きこまれ、遠見は今度は左右にあおり返され、最後に一本残っていた門の杭が、一瞬で「千本松原」と書いた道標に変わるのが愉快で、どよめきがおこりました。
「伊賀越道中双六」を半通しで見て、「沼津」はこの芝居の中で唯一明るく華やかで、面白みもあり、やはり屈指の名場面だと思います。
昭和45年に国立劇場で初めて「伊賀越」が上演された時は、政右衛門の筋だけを取り上げ、「沼津」のかわりに「新関」「岡崎」を上演じたのだそうですが、暗い話ではあるけれどいつか又「岡崎」の煙草切りも見たいものです。
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