曽我物語−中村之場 喜劇と悲劇 2004.9.18 W88 | ||||||||||
7日、江戸東京博物館で開催されている歌舞伎フォーラムを見てきました。
「曽我物語−中村之場」のあらすじ 三郎の妻、満江(まんこう)は身重で、二人の幼い息子があったが、後に生まれた子は叔父・伊東祐清に養子にやり、二人の息子を連れて曽我祐信と再婚する。 成人した息子たちは兄は十郎祐成、弟は五郎時致と名乗る。五郎は行実阿閣梨のもとへ修行に出されたが、勝手に寺を抜け出して北条時政を頼って元服。これに腹を立てた満江は五郎を勘当する。― 建久4年5月のこの日は亡き河津三郎の月命日で雨が降っていた。十郎と五郎の兄弟は翌日富士の裾野の狩場で父の敵、工藤を討とう決めていたが、十郎がいくら頼んでも母は勘当した五郎を許そうとはしない。 そこへ養子に行った末の弟、禅師坊実江(ぜんじぼうじつえ)が親兄弟を訪ねて越後からはるばるやってくる。禅師坊は鳥目で夜になると目が見えず、癪をおこしたために軒をかりた家の住人が兄十郎とは気がつかない。 十郎はあだ討ちを明日にひかえた今、禅師坊が足手まといになることをおそれ、また生きていれば母の力にもなると思い、満江は旅に出ており、十郎五郎は死んだと言って、弟を越後へ帰そうとする。 禅師坊も聞き分けて帰ろうとするが、癪がひどくて歩けないので、しばらく玄関のそばの小部屋で休むことにする。 それから十郎は必死で五郎の勘当を解いてくれるよう母を説得するが、満江はがんとして耳を貸さない。もうあとはこれしか手段がないと、十郎は五郎に切腹するように言う。 まさに切腹しようとする時、母が「心底見えた」と勘当を許す。だがその時、禅師坊は我が身が足手まといにならないよう、また自分が死ねば満江が五郎を許してくれるかと考えて、自ら腹を掻き切っていた。 その時、待ち焦がれた一番鳥が鳴き、禅師坊の目が見えるようになったので親子、兄弟の最後の対面がかない、十郎五郎はあだ討ちを果たしに出発するのだった。
第十六回歌舞伎フォーラム公演が今年も、両国の江戸東京博物館ホールで行われました。去年は都からの助成金がカットになるかもしれないと、江戸東京博物館歌舞伎の存続が危ぶまれたこともありましたが、沢山のファンから嘆願の署名が集まり、存続が可能になったことは喜ばしいことです。 第一部は「立廻りと見得」ということで、又之助の司会で3人の観客が舞台にあがって殺陣や、衣装と鬘をつけて「白浪五人男」の勢揃いの場の見得を体験しました。 ところで歌舞伎では殺陣師と書かないで「立師」と書くのだとか。そのわけは「いわゆる立廻りだけでなく一般的な振り付けも担当するから」と、菊十郎のインタビューに出ていました。 第二部が「曽我物語―中村之場」でした。近松門左衛門原作のこの芝居は昭和30年代以降上演が絶えていたが、平成十二年に歌舞伎フォーラムで復活し、今回が3度めだそうです。 歌女之丞の満江、初めての白髪ということでしたが、いかにもきっぱりとした武家の女で、息子たちそれぞれに対する複雑な感情がよく表れていたと思います。又之助の十郎は、本当は五郎の人ではと思う声でしたが、長男としての落ち着きがあってよかったです。 五郎の竜之助はちょっと声が割れていたかんじでしたが、荒事の五郎を精一杯演じていました。禅師坊の国矢は姿といい、声といい、体が弱くて薄幸な禅師坊にぴったりだと思いました。 五郎がなかなか母が勘当を解いてくれないのに業を煮やして、隣の部屋から障子をバリッと破って両手を突き出すのはいかにも子供っぽい五郎の感じが出ていました。 母を説得するためにと、十郎が五郎に言い聞かせて切腹の真似をさせるところでは、屏風の陰に隠れた満江が十郎が首を打ち落と沿うとする掛け声の度に、首だけ覗かせ、それを3回繰り返すのがいかにも、小芝居的演出で面白かったです。その時の歌女之丞の、情に負けてつい止めそうになってしまうのを恥かしがっているような顔が、なんとも言えませんでした。 ところがその騒ぎの間に玄関の扉を隔てた外では、哀れな禅師坊がひっそりと自害しているというところに、喜劇と悲劇が同時進行しているという演出の巧みさを感じました。 たった4人しか登場人物がいないこじんまりした芝居ですが、なかなか他では見られない面白いお芝居だと思いました。 第三部は国矢の「操り三番叟」。後見は竜之助で、操り人形のような愉快な動きが楽しかったです。国矢は顔をもっと積極的に描いても良いのではと、去年の助六の時もちょっと感じましたが、今回も又感じました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||
歌舞伎フォーラムの写真家で、うちの掲示板のご常連でもある、立体さんが声をかけていらっしゃいました。立体さんは掛け声暦十年ということですが、お声も堂に入っていて、掛けられる間も良く、禅師坊の花道の出、七三で「今日もくれたか」という科白の後に「きの・くにや〜」と掛けられた声などは、場の寂しげな感じににぴったりはまっていました。 他にはかける方がいらっしゃらなかったので、私も掛けましたが「もっと大きな声で掛けなさいよ」と立体さんに叱咤激励されました。中村之場は初めて見るお芝居でしたので、過ぎてしまってから、「今掛ければ良かったな」と思うことがしばしばでしたが、立体さんは役者さんのテンション、声の張りに合わせて掛けられるそうで、やっぱり経験を積まなくては出来ないことだと思いました。 |
壁紙&ライうン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」