一本刀土俵入 情緒豊かな芝居 2004.9.9

2日、歌舞伎座昼の部を見てきました。

主な配役
駒形茂兵衛 勘九郎
お蔦 福助
船印彫師辰三郎 三津五郎
お君 宗生
根吉 七之助
儀十(ぎじゅう) 弥十郎

「一本刀土俵入」(いっぽんがたなどひょういり)のあらすじ
序幕
取手の宿
利根の渡し
ここは水戸街道の宿場町・取手。茶屋旅籠、我孫子屋の二階の窓にもたれて、あばずれた様子の酌婦お蔦が酔いをさましている。そこへ空腹でふらふらしながら取的(とりてき)の茂兵衛が通りかかる。

茂兵衛は破門された相撲の親方のところへ、もう一度弟子入りしようと駒形村から出てきたのだが、すでに無一文。からんできたやくざの弥八を頭突きをくらわせて追っ払ってやったのがきっかけとなり、茂兵衛はお蔦に問われるままに、身の上を語る。

実家も焼けてしまい、天涯孤独な身の上の茂兵衛は、立派な横綱になって故郷の母親の墓の前で土俵入りの姿が見せたいという夢をあきらめられず、飲まず食わずの旅をつづけてなんとか又入門をゆるしてもらおうと江戸へ向かっていると言うのだ。

母親想いの純情一途な茂兵衛の話に心をうたれたお蔦は、故郷越中八尾の母親を想って、小原節を口ずさむ。そして持っている金全部と櫛、簪まで茂兵衛に与えて立派な横綱になるようにと励ます。茂兵衛はこの親切を生涯わすれないと誓う。

お蔦のおかげで食べ物を手に入れることができた茂兵衛だが、一足違いで渡り船に乗り遅れてしまう。そこへ後を追ってきた弥八と仲間が襲ってくるが、茂兵衛は川の中へ投げ込んでやっつけてしまう。

大詰
布施の川
お蔦の家
十年後、渡世人となった茂兵衛は我孫子屋のお蔦のことを尋ねて布施の川べりにやってくるが、ヤクザ相手にイカサマ賭博をやった船印堀師(だしぼりし)辰三郎に間違われて、博労の親方・儀十の子分たちに打ちかかられる。実は辰三郎は、お蔦の夫だった。

今では飴売りをして娘のお君とほそぼそとだがまともに暮らしているお蔦。そこへ儀十と子分たちが辰三郎を探して乗り込んできたので、お蔦は何年も行方知れずだった夫辰三郎がまだ生きていて、追われる身だと知る。

夜更に辰三郎が戻ってきて、親子は再会を喜び合う。辰三郎は少しでも金を持って帰ろうとしてイカサマに手を出したことを悔やむ。

そんなところへお君の歌う「小原節」にひかれるように茂兵衛が訪ねてくる。そして十年前の恩返しにと金を渡すが、お蔦は茂兵衛を覚えていない。

追手がこの家を囲んでいることに気づいた茂兵衛はお蔦家族をかばって、博徒たちをたたきのめす。その姿を見て、お蔦は十年前のおなかをすかせた取的のことを思い出す。

お蔦親子は十年前のことを忘れずに恩返ししてくれた茂兵衛に感謝しつつお蔦の故郷へと旅立って行く。

長谷川伸作「一本刀土俵入」は昭和6年、六代目菊五郎の茂兵衛、五代目福助のお蔦で初演されました。今月の舞台は五代目福助の70年祭追善狂言ということで、それぞれの孫である勘九郎と福助が演じています。

長谷川伸は勘九郎の本名の名付け親でもあるそうで、勘九郎はインタビューでこの作品のことを「大好きな芝居です」と語り、茂兵衛を丁寧に演じていました。

しかし前半の取的(とりてき)の時は「山下清みたい」とまわりからも声が聞こえてきたほど、ちょっと誇張された感じがしました。ノロノロとした口調は単におなかがすいて力が出ないからで、やりすぎると「純朴な田舎の青年」をとおりこしてしまうようです。こういう役になると勘九郎はなぜかいつも口をかすかに開いているのが、そう見せる原因かもしれません。

しかしお蔦からお金と櫛簪をもらって感謝しつつ花道を引っ込んでいくところには情があふれていて、勘九郎の目に本物の涙が光っていました。勘九郎は「ありがたい」と言う気持ちを表現するのが本当に上手いなぁと思います。

この我孫子屋の場では小山三のお松の存在感が際立っていました。洗い髪にしているところが、いかにも崩れた感じがして雰囲気がありました。このお松という名はあとで船頭たちの話の中にも登場する、一種のキーパーソンです。

福助のお蔦は茂兵衛を見送りながら叫ぶ「いよ〜っ、駒形!」はちょっと最初から高すぎたように思いますが、この役は全体に声の調子が低く耳になじみやすくて、とくにお蔦の内では丁度良い高さで良かったと思います。

お蔦が唄う「越中小原節」は昔の松緑・梅幸のビデオを見ると専門家が陰で歌っています。福助は自分で歌っているのは良いのですが、どんな唄なのかよく聞き取れないのが残念です。

布施の川べりでは船大工の芦燕と幸右衛門の会話が面白く、味がありました。船に巣食う虫を殺すためという、煙のにおいも雰囲気を出していて、ここの下座が船頭唄だったのも、よかったと思います。

三津五郎の辰五郎は陰があって、いかにもお蔦が長いこと待っていそうな男に見えました。昔の17代目羽左衛門の辰三郎はもっとみじめな逃亡者でしたが、三津五郎には格好の良い方があっている様な気がします。ちなみに15代目羽左衛門はすっきりとした男前の辰三郎を、六代目菊五郎の茂兵衛につきあって演じたそうです。

茂兵衛と博徒の親分、波一里儀十の一騎打ちが相撲の勝負というのもなんだか愉快で、この芝居を後味の良いものにしています。

お蔦の内の場の大道具が昔は入り口が下手にあったようですが、今月は奥にあって、茂兵衛が扉をたたくところは見えません。そのかわりに奥にあるまどから顔を覗かせるのですが、昔の道具の方が自然に思えます。この場合はそういうわけで舞台を半まわしにしています。

大詰で満開の美しい夜桜が散る中、お蔦親子を見送る茂兵衛の「十年前に巾着ぐるみ恵んでくれた姉さんに、せめて見てもらう駒形のしがねえ姿の横綱の土俵入りでござんす」という言葉には、真心が感じられました。橋之助の次男、宗生がお君を演じましたが、科白がとてもしっかりとしていました。

他の演目は新歌舞伎十八番の内「高時」、九代目團十郎が演じた活暦物。橋之助の高時が横向きに柱にもたれて登場する姿は美しくて印象に残りましたし、天狗たちが蹲踞のまま高く飛び上がる立ち廻りがなんといってもユニークで面白いです。

三津五郎の「茶壷」は楽しい踊りで、三津五郎は先日これを狂言の千之丞と一緒に演じたそうで、それが自信になったと自身のホームページに書いています。

泥棒の熊鷹太郎を演じる三津五郎の肩衣の模様は、イヤホンガイドでは「雀」だと言っていたそうですが、鷽替え(うそかえ)の人形の模様で、翫雀の百姓の方は鳴子の模様で田舎者だということをあらわしているのだとか。三津五郎の軽妙な踊りは時間がたつのを忘れさせてくれました。

最後に「菊薫縁羽衣」(きくかおるゆかりのはごろも)。橋之助の三男、宜夫(よしお)の初舞台ということで、芝翫の息子や娘婿、孫が(勘太郎を除いて)勢ぞろいし、「一人っ子で父親を早くなくした自分にとっては、孫たちが次々と初舞台を踏むのがなによりも嬉しいことです」との芝翫の口上でした。

衣装も橋之助一家は亀の模様、福助一家は竜に飛雲など家族ごとに分かれていて微笑ましく、まだ3歳になっていない宜生のちょっとしたしぐさにも、観客は大爆笑でした。クリーム色の地に玩具や七宝のおめでたい柄の祝幕が華やかに門出を飾っていました。


この日の大向こう

初日のこの日、沢山の声が掛かっていました。会の方も7人見えていたそうです。脇の片岡松之助に「緑屋」と声がかかったのが印象に残りました。「茶壷」では「やまとや〜」というちょっと気になる尻上がりの声が聞こえましたが、大勢の声にかき消されてしまっていました。

4日に見た「菊薫縁羽衣」では「豆成駒」という声が盛んにかかっていました。

トップページ 目次 掲示板

壁紙&ライうン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」