桜姫東文章 玉三郎の色香 2004.7.9〜10 W81

9日に歌舞伎座昼の部、10日夜の部を見てきました。

主な配役
桜姫・白菊丸 玉三郎
清玄・権助 段治郎
入間悪五郎 右近
局・長浦 笑三郎
僧・残月 歌六
松井源吾 猿四郎
奴・軍助 猿弥
粟津七郎 門之助
女房お十 春猿
吉田松若 笑也

「桜姫東文章」のあらすじ
発端 江ノ島稚児ヶ淵の場
長谷寺の所化・清玄と相承院の美しい稚児・白菊丸は道ならぬ恋におちた末、あの世でそい遂げようと駆け落ちして、ここ稚児ヶ淵へとやってくる。ふたりは仲を誓う証として香箱を身に着けていて、白菊丸は「清玄」と名を書いた蓋を、清玄は「白菊丸」と書いた身のほうを所持していた。

やがて白菊丸は香箱の蓋を左手ににぎりしめ、海中へと身を投げる。だが清玄は波の勢いに怖気づいて飛び込めない。すると海中から心火がもえあがり、白鷺が飛び立っていく。

序幕 
第一場 新清水の場
第二場 桜谷草庵の場
それから17年がたち、清玄は今では新清水長谷寺の住職となっている。

桜が満開の境内に、吉田家の息女・桜姫の一行が参詣にきている。桜姫はこの寺の清玄阿闍梨に帰依していて尼になろうと決意を固めている。なぜかといえば桜姫は前世の宿業か、生まれつき左手が開かず、それに加えて父と弟梅若が何者かに殺されお家の重宝都鳥の一巻を奪われたため菩提を弔いたいと願っているのだ。

そこで清玄が桜姫に十念を授けると、桜姫の左手が開き、中から香箱の蓋が現れる。それは十七年前に白菊丸が海へ飛び込んだときに持っていた品。清玄は桜姫こそ、白菊丸の生まれ変わりだと知る。

左手は開いたが、姫の出家の決意は固く、姫は用意のため草庵へと戻る。

その後へやってきたのは姫の許婚・入間悪五郎と吉田家乗っ取りを企む松井源吾。悪五郎は桜姫の左手が不自由と判って破談にしたが、今手が開いたと聞いて再び縁組したいとやってきたのだ。そこへ釣鐘の権助という男がやってきて、二千両くれるなら文を届けてやろうと申し出る。

この男、実は信夫の惣太(しのぶのそうた)という、二千両をもらうことを条件に桜姫の父と弟を殺し、「都鳥の一巻」を奪った悪党。

権助は草庵で剃髪の用意をしている桜姫のもとへ悪五郎の手紙を届ける。ところがひょんなことから権助の腕に釣鐘の彫り物があるのを見つけ、驚愕した桜姫は腰元たちをさがらせる。そして権助に自分の腕にほった釣鐘の刺青を見せる。

実は去年の二月、吉田家に忍び込んだ権助はその折に桜姫を犯し、そのとき姫は子供を身ごもりひっそりとその子を産み落としていたのだ。しかし桜姫はその男が忘れられず、男の腕に彫ってあった釣鐘をわが身に彫った。

恋しい男に再会した桜姫は出家する気持ちがうせ、権助に身をゆだねる。だがこの場を僧・残月に見つかり、権助は逃げるが桜姫は不義を働いたと知られてしまう。その場に例の香箱の蓋が落ちていたのをこれ幸いと、清玄を陥れてその地位を我が物にしようと企んでいる残月は「清玄こそ姫の不義の相手だ」と決め付ける。

無実の罪をきせられた清玄は、桜姫を白菊丸の生まれ変わりと信じているので、甘んじて不義の罪をかぶる。二人は稲瀬川で百杖の刑を受け非人に落とされることになる。ところが残月も桜姫の家来、長浦の局との不義が発覚して寺を追われる。

二幕目 
第一場 稲瀬川の場
第二場 同 川下の場

寺を追われた清玄と桜姫は稲瀬川のほとりで百杖の刑を受けた上、さらし者になっている。そこへやってきたのは桜姫が産み落とした赤ん坊を預かっていた百姓夫婦。預かり扶持をもらうことができなくなったので、赤ん坊を返しにきたのだ。

清玄はこの上は桜姫と夫婦になろうと言うが、清玄にすまないとは思うものの、権助を想う桜姫は承知しない。すると悪五郎が来て、赤ん坊を人質にして桜姫を連れ去ろうとする。桜姫の袖にすがって行かせまいとする清玄はもみあううちに、袖がちぎれ清玄は稲瀬川へ落ちてしまう。

川下では赤ん坊を連れ去った悪五郎と桜姫の家来・粟津七郎が争っている。二人が去り、赤ん坊がとり残されたところへ、川の中から清玄が桜姫の片袖を手に這い上がってくる。赤ん坊に気がついた清玄は、赤ん坊を連れていれば桜姫にあえるだろうと抱き上げる。

三幕目
三囲(みめぐり)堤の場
ここは隅田川河畔の三囲堤。非人たちが桜姫を探そうと散っていく。

そこへ桜姫の片袖につつんだ赤ん坊を抱いて清玄がやってくる。反対側から古蓑に身を包んだ桜姫がくるが二人は気がつかずにすれ違う。ところが赤ん坊が泣き出すので、桜姫は見知らぬその赤子に自分の乳をやろうかと迷うが、結局お互いをたしかめることなく分かれていく。

四幕目
第一場 三囲土手の場
第二場 岩淵庵室の場
三囲の土手では粟津七郎が、悪五郎を紛失した吉田家の重宝・都鳥の一巻を所持しているのではないかと問い詰めている。争ううち、悪五郎が悪事の証拠となる書状を取り落とす。そこへ敵味方入り乱れて暗闇のなかで探りあいとなる。

清玄を落としいれたものの、自らも不義の罪で寺を追われた残月と長浦は岩淵の地蔵堂の庵室に移り住んでいた。ここへ葛飾のお十が亡くなったわが子の回向を頼みにやってくる。

すると屏風の陰からやみ衰えた清玄が姿をあらわす。桜姫の赤ん坊を連れて残月の世話になっていたのだ。清玄は桜姫を忘れられず、香箱の入った袋を懐から取り出して抱きしめる。おなかをすかせて泣く赤ん坊を不憫に思ったお十はわが子の功徳のためにと赤子を預かっていく。

残月と長浦は清玄の持っている袋にてっきり金が入っているものと思い込んで、清玄を殺してこれを奪おうと、青蜥蜴を煎じて無理やり清玄に飲ませようとする。争っているうちに毒が清玄の顔にかかると、たちまち清玄の顔が紫色に変わる。残月が清玄の首をしめて殺し袋を奪い中をあらためると、入っていたのは金ではなく香箱だった。

残月はちょうどそこへやってきた権助に死体を埋めるように頼む。そこへ判人の勘六に連れられて、女郎に売られた桜姫がこの家にやってくる。思いがけない出会いに残月が、姫から長浦が拝領した小袖を、胴抜き姿の姫に着せかけちょっかいを出そうとすると、権助が「間男め、見つけたぞ」と飛び出し、夫婦の証拠として自分と姫の腕に彫った釣鐘の刺青を見せる。

権助はいいのがれできない残月と長浦夫婦を身包み剥いで家から追い出す。そして桜姫を下々の暮らしに慣れさせようと考え、勘六のところへ出かけていく。

そうして桜姫が一人になったところへ雷が落ち、死んだはずの清玄が息を吹き返し、白菊丸と香箱のことを話して思いを遂げさせてくれと姫にすがりつく。姫は夫がいるのであきらめてくれるように言うと、清玄は出刃包丁を手に襲い掛かってくる。

もみ合ううちに、清玄はあやまって先ほど権助が掘った穴へ落ち、そのはずみに出刃がのどにささって絶命する。そこへ帰ってきた権助は姫を小塚原の女郎部屋へ連れて行こうとする。すると清玄の死体が起き上がり人魂が燃え、姫を引き寄せようとし、権助の顔には清玄そっくりの紫色のあざが浮かびあがる。

五幕目
第一場 山の宿町の場
第二場 権助住居の場
ここは浅草、山の宿町。お十の亭主有明の仙太郎、実は元吉田家家来粟津七郎は、女房が預かってきた赤ん坊を、御家再興の足でまといと考えて、捨てに来る。

そこへ現れた権助は、組合衆から「捨て子には三両の里扶持がつく」と聞くと、さらに二分の金を要求して赤ん坊を引き取ることにする。

ここへ悪五郎がやってきて権助に「都鳥の一巻」をわたすように言うが、権助は二千両の金と引き換えでなければわたせないと突っぱねる。そこで斬り合いになり、権助は悪五郎を殺してそばにあった井戸に投げ込む。

桜姫を女郎に売った金のおかげで今では権助は大家の身分。店子の仙太郎を強請りその女房お十を乳母にやとう。

そこへ女郎づとめに出ていた桜姫が戻されてくる。姫はその彫り物から「風鈴お姫」とよばれ人気が出たが、その枕元へ毎晩幽霊がでるので鞍替えに出されてしまうというのだ。

そこへ家主の寄り合いがあると迎えのものがやってきたので、権助は姫に刀を残して出かけていく。

すると清玄の幽霊が現れ、桜姫は「赤ん坊が自分の子であり、権助は清玄の実の弟だ」ということを知らされる。

酒に酔って帰宅した権助は、自らの悪事が露見する書状を取り落としたのに気がつかぬまま、自分が元は信夫の惣太という侍で桜姫の父や弟を殺し、都鳥の一巻を奪ったことを口走ってしまう。

今や夫権助こそ親兄弟の仇と知った桜姫は、不憫と思いつつも仇権助の血がながれているわが子を刺し殺し、権助を討ち取る。

大詰め
浅草雷門の場
葛篭を背負った奴・軍助と七郎お十夫婦が捕り手に囲まれている。葛篭の中から都鳥の一巻を所持した桜姫が姿を現す。これで吉田家の再興がかなうと知った桜姫は、夫とわが子を殺してしまった言い訳に自害しようとする。

するとそこへ松若や稲野谷半兵衛がやってきて、権助の悪事が露見した上は自害に及ばないと止める。あだ討ちをはたし、これでお家の再興もかなうと一同は喜びあうのだった。

四世鶴屋南北作「桜姫東文章」は桜姫が五世岩井半四郎、清玄・釣鐘権助が七世團十郎によって1817年に初演されました。この時の配役には、入間悪五郎・残月に大谷鬼次の名前も見えます。

この作品は「一心二河白道」の清玄桜姫の世界に「隅田川」の吉田家お家騒動を綯交ぜにし、そのころ品川の遊女屋に京の日野中納言の息女と称する遊女がいて評判になった話題を取り入れたという、文化期を代表する傑作狂言です。(平凡社歌舞伎辞典より)

50年に新橋演舞場で玉三郎が白菊丸と桜姫二役を演じて大評判を取りそれから何度か再演されましたが、この前玉三郎が桜姫を演じたのは昭和60年、19年前のことです。

ファンから再演を希望する声が大変多かったにもかかわらず今まで上演されなかったのにはいろいろ理由があるのでしょうが、実際見てみると、桜姫はまさに玉三郎のためにあるような役で、皆がぜひ見たいと待ち望んでいたのがよく判ります。

昼の部が「修善寺物語」に始まって、「桜姫東文章の2幕目まで」「三社祭」。夜の部が「桜姫東文章大詰めまで」「四の切」というユニークなスタイルでの上演は、玉三郎の考えによるものとか。おそらくこれだけ時間的に余裕のある上演でなければ、玉三郎の理想とする桜姫は現出しえなかったのでしょう。

上品でおしとやかに見えた桜姫が恋焦がれた男に再会すると、見る間にとろけるような色香を発散させ始めるのは、見事としかいいようのない変わりようで、玉三郎の円熟した女形としての美しさ、力量、存在感が存分に生かされていると感じました。

小塚原へ女郎に売られ、風鈴お姫となって戻されてきた桜姫の、お姫様言葉とお女郎さん言葉のちゃんぽんも完全に自分のものとして語られていましたし、最後に夫の権助と赤ん坊を自らの手で殺して親兄弟の仇を討つところも自然で、まさにこの破天荒なお姫様になりきって生き生きと魅力的に演じていました。

清玄・権助を演じた段治郎も一月ごとに主役としての雰囲気が着実に身についてきているようで、特に後半の権助を立派に演じていました。権助として最初に登場したときは着流しの姿があまり格好良くないと思いましたが、桜姫と再会しての濡場はなかなか絵になっていました。

岩淵庵室の場がなんといっても面白かったと思います。やみ衰えた清玄で登場した段治郎の「これも誰ゆえ桜姫」あたりの時代な台詞廻しが、ビデオで見た昔の孝夫にそっくりでした。ここでは残月の歌六がアクのある良い味をだしていました。ただし長浦の笑三郎との掛け合いはちょっともたついていたように思います。

大詰めでは役者さん全員が履物を脱ぎ舞台に座って、玉三郎が座頭として「この後、川連法眼館の場をごゆるりとご覧ください」というような口上を述べたのは珍しい事でした。

ところで昼の部の修善寺物語から三社祭まで全てに同じ形の雲がでてきたのが目を引きました。三社祭に出てくる善玉と悪玉がはめ込まれたあの雲です。今回の「桜姫東文章」の変則的な上演になんとか、つながりをもたせようとする工夫かなと思いました。

「修善寺物語」の夜叉王の歌六はラストで芥川龍之介の地獄変を思い出させるような凄みがありました。

「四の切」は右近が狐忠信を渾身の力で演じていました。途中で本物の忠信が窓から姿を見せるやり方で、早替わりの魅力を充分に見せます。ところで狐言葉というのは、ただ「か〜〜んむ天皇」と言う具合に伸ばすだけでなくて、普通とは違うくぎり方をするものなのかと初めて思いました。

宙乗りも一度上まで上がって又下がり、再び天井近くまで上がってそのまま水平に前後に揺れながら三階の揚幕に引っ込むといったスタイルで、大丈夫かなと心配になったほど高い宙乗りでした。猿之助の場合はたしか上がったり下がったりしながら段々高く上って行ったように思いますが、今回の演出は右近本人の考えなのでしょうか。静御前の笑也は、笑い方が現代劇のようだったのがちょっと気になりました。

今回の猿之助を欠いた七月公演、はじめはどうなることかと心配しましたが、玉三郎はもちろんのこと、若い役者さんがそれぞれ期待にこたえて見ごたえのある立派な舞台を見せてくれたと思います。

宙乗りの方法について、上記のように感じたのですが、平成4年の猿之助の四の切の録画をみたところ、今回と同じ方法で宙乗りをしているということがわかりました。

この日の大向こう

9日は大向こうの会の方が3人、10日も3人ほど見えていましたし、一般の方もかなり声を掛けられていました。10日には女の方の声も聞こえましたが、突出することなく全体の中にとけこんでいたように思います。

いつもは「段治郎!右近!」と名前で声が掛かるお二人には、立派に主役を勤めていることに敬意を表して「澤瀉屋」と盛んに声が掛かっていました。

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