暫 瑞々しい勢い 2004.5.19

13日、歌舞伎座昼の部を見てきました。

主な配役
鎌倉権五郎景政 海老蔵
清原武衡 富十郎
成田五郎 左團次
鹿島入道震斎 三津五郎
照葉 時蔵
加茂次郎義綱 芝翫
桂の前 芝雀

「暫」(しばらく)のあらすじ
ここは鎌倉鶴が丘八幡宮の社頭。このところ勢力をのばしてきた中納言清原武衡(きよはらのたけひら)が、今日関白宣下の式を執り行おうとしている。

そこへやってきた加茂次郎義綱とその婚約者桂の前の一行。清衡は桂の前に以前からご執心だが、桂の前がいう事を聞かないので業を煮やし、家来の成田五郎を呼び出して、全員成敗してしまえと言いつける。

今しも、一行が殺されそうなその時、「しばらく」と言う大声が聞こえ、一人の若者が姿を現す。鎌倉権五郎景政と名乗るこの若者、鹿島入道や照葉が次々と行っては追い返そうとするが、とてもかなう相手ではない。

そのうち景政は武衡の側へやってきて、武衡の悪行の数々を数え上げ、今日奉納した名剣・雷丸も実は偽物で、義綱が紛失した「探題の印」もお前たちが持っているだろうと詰め寄る。

すると武衡の家来と見えた照葉が駆け寄って、「探題の印」を差し出し、本物の雷丸を持った小金丸を呼びよせる。実は照葉は景政の従姉妹で、清衡の配下になったと見せかけて「探題の印」の行方を探っていたのだ。

両方の品を義綱に渡して、一行を立ち去らせた景政は、取り囲んだ武衡の手下たちの首を、大太刀をふるって一度に刎ねる。

悔しがる清衡を尻目に、太刀を担いだ景政はゆうゆうと引き上げる。

歌舞伎十八番の「暫」は、1697年江戸中村座で演じられた「参会名護屋」の中で、初代團十郎が演じたのがはじめだということです。その後江戸三座では11月の顔見世には、吉例として必ず「暫」を出すのが慣例でした。

話の設定はその都度変わっても、清原武衡の役は「ウケ」、成田五郎以下の赤ッ面は「腹出し」、鹿島入道は「ナマズ」、照葉は「女ナマズ」、切られそうになる義綱一行は「太刀下」、そして主人公の鎌倉権五郎景政は「暫」と呼ばれて、それは変わらなかったのだとか、今日上演される台本は九代目團十郎が上演したものを基にしたものです。

新海老蔵は面長で、鎌倉権五郎景政の筋隈が実によく映えます。背丈も適度にあり、歌舞伎十八番の継承者として完璧な容姿だといえるでしょう。まさに錦絵から抜け出てきたような、美しい荒事師ぶりです。

やんちゃというのがぴったりの口ぶりで、ちょっと癖はあるものの、朗々たる声はこの日も好調でした。以前に声を壊したことがあるので、心配しましたが苦い経験をしたことで海老蔵はたくましくなったなぁと感じます。

照葉の時蔵が景政にお引き取りねがうように交渉に行くと、「誰かと思ったら、萬屋の時姉さん」と言われたり、現実とお芝居が交差する場面もあり、そういうところも楽しめる芝居です。腹出しの團蔵、松助、十蔵、亀蔵の面々は背丈も揃っていて、声もなかなか立派で存在感がありました。

三津五郎のナマズ、時蔵の女ナマズ、芝翫の義綱、富十郎の武衡と襲名にふさわしく、まわりもしっかりと固め、華やかです。

「ヤットコトッチャ、ウントコナ」と言いながら花道を引き上げていく海老蔵の姿には、青竹をスパッと切ったような瑞々しい勢いがあり、満員の観客を充分に満足させたと思います。

團十郎の「暫」は、他の誰にもまねできない素晴らしい芸だとかねがね思っていましたが、海老蔵の「暫」は又ちょっと違ったタッチの魅力を持っていると思います。過去には團十郎が不在の長い年月もあったと聞きますが、現在こうやって團十郎、海老蔵二人の「暫」を見ることの出来るという幸せを、しみじみと味わいました。

それにつけても團十郎が十分に休養をとった上、元通りの元気な姿を又見せてくれることを心底願わずにいられません。

團十郎の休演にともなって伊勢音頭の福岡貢は梅玉が勤めましたが、これが代役とは思えない見事な出来栄え。平成4年に梅玉を襲名した時、父歌右衛門の万野で貢を演じたそうですが、その時にしっかりと身についていたのだろうと思われます。

「ぴんとこな」の貢、最初出てくるところの柔らかさもぴったりだし、万野の策略にはめられたことが判って、堪忍袋の緒が切れそうになるところも、いつもおだやかな印象のある梅玉からは想像もできないパワーが感じられました。「万呼べ、万呼べ、万野呼べ!」のところもこめかみに青筋が浮き出ているのが見えるようで、その怒りが十分に納得できました。

奥庭の演出は、筋書きの團十郎のインタビューによると「貢は先代権十郎さんに教わり、血だるまになって上手の丸窓から切って出ていました。これは上方の型なので、今回は海老蔵襲名の月でもあり、花道から出る江戸の型で演じます」ということで、花道から「これから殺そうと言う二人」を引きずりながら登場。

それからはその二人だけしか殺さず、上方式に比べてあっさりとしています。離そうと思っても離れない刀を、ひじを打ち付けて、手から落とすという演出もありませんでした。。

「伊勢音頭」と言えばあの丸窓を突き破って出てくる型が、なんといっても印象的なので、この花道から出る江戸型はいささか地味に思えました。

血まみれの花道の出が見えれば、衝撃的なのですが、その瞬間が見えない席が多い歌舞伎座では、どこからでも見える丸窓の型のほうが圧倒的に見映えがすると思います。

万野を演じた芝翫は、このしたたかで意地悪な人物に驚くほどあっていて、ちょっと口をゆがめるようにして話すさまや、花道を引っ込むとき櫛を落とさないように取ってから、走っていく様子など、上手い役者だなぁと感心しました。

もう6度目というお鹿を演じた田之助は立ち居がちょっと不自由ながら、ただ可笑しいだけではないお鹿の意地が良く出ていると思いました。結局貢に首をちょん切られて殺されるのですが、ストンと首だけになったところもそれらしかったです。

この芝居に海老蔵は料理人・喜助を演じていますが、こちらはハンサムではあるけれど時々時代劇のようになってしまうのが、ちょっとおかしく感じました。

「紅葉狩」はこの頃季節とは関係なく上演されるようですが、今回は菊五郎の更科姫がほっそりと美しく見え、安定した踊りで楽しめました。扇を放るのも危なげなく、いろいろなパターンでやっていたのが珍しかったです。鬼になった時に、他の女形が演じるのとは段違いに力強いのが菊五郎の強みだと思います。

梅玉の維茂はいかにもぴったりでした。ところで山神を演じた菊之助は、女形が充実してきたのを反映してか、立役でも闊達で素晴らしい踊りを見せてくれました。

このほかには序幕に「四季三葉草」がありました。

この日の大向こう

4〜5人の方が声をかけていらっしゃいました。会の方はお二人で、田中さんも見えていました。

團十郎さんが休演なさったせいか、先日に比べて掛け声も少し寂しい感じがしました。

この日はちょっと声がばらけることが多くて、セリフとセリフの間なのにもかかわらず、とてもゆっくりと「天王寺屋」と掛けた方がいらして、そのために富十郎さんが少しもたれるといったこともありました。こういうのは役者さんにとって迷惑だろうなぁと思いながら聞いていました。

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