続・三人吉三 掛け声修行 2004.2.19

17日、今月二回目の歌舞伎座夜の部に行ってきました。

三人吉三のあらすじ
両国西川岸の場はこちら

大川端庚申塚の場
割下水伝吉内の場
お竹蔵の場
巣鴨吉祥院の場
本郷火の見櫓の場 はこちらをご覧下さい。

 

玉三郎が11日に見たときより、より生き生きとしていたのが印象に残りました。後半は声も自然でずいぶんこの役になじんできたなと思いました。

結末は陰惨な話ですが、ところどころにはさまれたユーモアのあるセリフに客席は敏感に反応して、笑い声が頻繁に起り活気にみちていて、歌舞伎は本来こうあるべきだなぁと感じました。

玉三郎のお嬢吉三の名乗りを、もう一度聞いてみましたら、初演時に一番近い台本といわれているものを少しアレンジしたもののようでした。

今尾哲也 校注『三人吉三廓初買』(新潮日本古典集成,昭和59年)によれば,ここは 「問はれて名乗るもをこがましいが、親の老舗と勧められ、去年の春から坊主だの、ヤレ悪婆のと姿を変へ、憎まれ役もしてみたれど、利かぬ辛子と悪党のすごみのねぇのは馬鹿げたもの」となっていて,粂三郎(のちの八世半四郎)の芸歴を利かせたものだそうです.(「本棚のかたすみで」の管理人、ひでかずさんに教えていただきました)

これを玉三郎は「問われて名乗るもおこがましいが、去年の秋から七役だの、ヤレ悪婆だのと姿を変え、憎まれ役もしてみたけれど、きかぬ辛子と悪党の凄みのねぇのは馬鹿げたものさ」と変えていたようです。

ところで2001年にコクーン歌舞伎でやった「三人吉三」のビデオを見てみましたら、福助のお嬢吉三がここでオリジナルどおりにセリフを言っていたのを発見。コクーン歌舞伎というと新しい試みばかりやっているのかと思っていましたが、古い科白を復活することもやっているのだと感心しました。

この科白は内容から考えても、ある程度キャリアのある役者でないと言えないようです。

吉祥院の場ではお坊とお嬢二人の場面も、そのあとの三人の場面もイキもぴったりとあって、終末へともっていったのは見事でした。團十郎の和尚吉三、血をはくようなセリフには、情がありしかも存分に聞かせていました。

ところで仁左衛門が左足の指に大きくテーピングをしていたのは、もしかしてはげしい立ち廻りで痛めてしまったのか、ともかく役者さん全員が無事で千穐楽を迎えられるように祈っています。

この日の大向こう

この日は私の所属している歌舞伎研究会の定例の観劇会で、師匠&30人の仲間と一緒に三階で観劇しました。掛け声は最初から良い感じに掛かっていて、上手に2〜3人の大向うの会の方がいらしたようです。

「今回は掛け声を掛けよう」と決心して、観劇に臨んだのですが、私たちのグループは一番下手の最前列から3列めに陣取っていましたので、花道七三が役者さんの頭くらいしか見えず、ちょっと不安でした。

大川端の場でお嬢吉三の長ぜりふ「月も朧に白魚の・・・」の前、本釣がコーンとなった後、「まってました」と掛けました。歌舞伎座で掛けたのは久しぶりだったので、かなりドキドキしましたが、一回掛けてしまうと不思議に落ち着きました。師匠は続けて「たっぷりと」と掛けられました。

下手でどなたか長台詞の途中「御厄払いましょう、厄落とし」のところで「大和屋」と掛けたのがセリフにかぶっていましたが、ここでは掛けるべきではないなぁと思いました。

その後、お坊吉三が登場して、籠のたれが上がった時にはたくさん声が掛かるのでやめて、お坊が「待てといったら、待ちなせえな」というセリフの「待てといったら」の後の間で「松嶋屋!」と短く掛けました。

この時離れたところに座っていた師匠も、私とぴったり同じタイミングで掛けられました。

三人が血杯をかわしたあと、駕篭かきがからんで三人で極まったところで「三千両」。しかしこの時つくかなと思っていた場内の明かりがつかなかったので、ちょっとあわてました。

吉祥院の場では、和尚吉三が十三郎とおとせの首を両手に抱えて走り出てくるところの花道七三の見得、ここは私の最高に好きな場面なので「成田屋!」。

しかしその前に和尚吉三がお嬢とお坊を前にしての愁嘆場も、とても感動的だったので掛けたほうが良かったかなと思いましが、明らかにたくさん掛かるだろうと予想されたので、掛けそびれてしまったのが悔やまれます。

本郷火の見櫓の場では、本花道を出てきたお坊吉三が後ろを振り向き、かぶっていたムシロから顔を出す時「松嶋屋!」と掛けましたが、後から仁左衛門と玉三郎の二人が同時にきまるとき、「大和屋」への掛け声のほうがずっと少なかったと聞き、「ご両人」と掛けたほうが良かったかなとちょっと反省。

最後の絵面の見得では私は掛けず、師匠は大拍手の中で「三千両!」と大きくゆったりと掛けられました。そのほか師匠は伝吉が花道を引っ込む時の見得で「高島屋」と掛けられていました。

私は基本的に自分の好きな場面に掛けますが、師匠はやはり芝居の盛り上がった時に必ず掛けていらっしゃいました。それと師匠は端っこの席に座っておられ、掛けるときは立って扉のところへ行って掛けておられたそうです。他の方にご迷惑にならないようにと考えられてのことです。

私のまわりは皆歌舞伎研究会の仲間でしたので、許していただきました。会の長老で、長唄がお上手なI氏も時々声をかけられていました。

その他踊りで私が掛けたところは、時蔵さんの「仮初の傾城」が紙で顔を隠して押し出されてきて、紙をとって初めて顔をみせるところで「萬屋」。

後は「お祭り」で三津五郎さんがぐるっと大きくまわって正面に向き直るところで「まってました」。これは早めに掛けてしまう方もいらっしゃいましたが、私は止まるまでまって掛けました。それから獅子舞の背中に乗ってきまるところで、「大和屋」と掛かった声に続いて「十代目」と掛けました。

私が掛けたのはこれで全部です。三津五郎ご贔屓の師匠は「お祭り」で「十代目!」と3回位掛けておられました。

後で私の掛け声に関する感想を歌舞研のみなさんに伺ってみたところ、「気合が良い(気合が入っているということでしょうか)」「あんまり女性の声には思えない」ということでした。

仲間内のことですから、評価が甘いということもあるでしょうが、とりあえず「お邪魔にならない声」を心がけている私としては、まずはほっと胸をなでおろしたという次第です。師匠からは「自信をもって掛けなさい」という励ましのお言葉をいただきました。

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