お土砂 爆笑コメディ 2003.11.11

7日、歌舞伎座昼の部を見てきました。

主な配役
紅屋長兵衛 菊五郎
八百屋お七 菊之助
吉三郎 時蔵

お七母・おたけ

田之助
下女・お杉 竹三郎
釜屋武兵衛 松助
長沼六郎 由次郎

松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)のあらすじ
序幕 吉祥院お土砂の場
ここは本郷駒込の吉祥院(きっしょういん)。本堂にある左甚五郎作の天女が彫られた欄間でも名高い寺である。

折から木曽の軍勢が攻めてきたので、若い娘たちがこの寺に逃げ込んできている。そこへ皆から紅長(べんちょう)というあだ名で親しまれている人気者の紅屋長兵衛や八百屋お七とその母おたけ、下女のお杉もやってくる。

お七は前々からこの寺の小姓、吉三郎に思いを寄せていたが、この機会に「吉三郎と夫婦にしてほしい」と母おたけに頼み込む。だがおたけは、「吉三郎はやがては出家する身であり、実は店が立ち行かなくなって釜屋武兵衛から200両のお金を借りたが、返せないのでお七を武兵衛に嫁がせなければならない」と言い聞かせる。

そこへ吉三郎の若党の十内がやってきて、「吉三郎の帰参が叶い、許婚と結婚して家督を継ぐことになった」と話す。実は吉三郎は元は侍で「天国(あまくに)」という名刀を紛失したため家を勘当され、刀の行方をさがしている身の上なのだ。

嘆くお七を皆でなだめすかして奥へつれて入ると、おたけは娘のためにと十内に、吉三郎とお七の間を取り持ってくれるように頼むが、身分違いだと断られる。

そこへ軍勢の攻め寄せる太鼓の音。釜屋武兵衛と源範頼の家臣、長沼六郎らがやってくる。お七が欄間の彫り物の天女に似た美しい娘だということを聞きつけた源範頼が、愛妾にしようと家来を差し向けてきたのだ。

住職たちが「お七はいない」とごまかすので、ひとまず六郎たちはひきあげるが、いつまたやってくるかわからない。

この話を聞いた紅長、お七に欄間の天女になりすまして、身を隠すように勧める。そして自分は亡者に化けることにする。再びやってきた六郎たちは本物とは気が付かずに、欄間のお七に見とれる。そしてお七を探すために奥へ入っていく。

騒ぎを聞きつけて欄間のそばにやってきた吉三郎。お七は欄間から降りて吉三郎に思いを打ち明ける。この様子を陰で見ていた紅長は、お七に病気の振りをしろと知恵をつける。急に苦しみだしたお七を介抱するうちに、二人の仲は急接近。

一方、「お七や母親は死んだ」と聞かせれても納得しない六郎たちは、本堂に運ばれてきた早桶をひっくり返す。すると中から現れた紅長の死体が殴りかかってくる。怒った武兵衛が見つけたのは、病人にかければたちまち直ったり、死後硬直した死人や頑なな心の持ち主にかけると柔らかくなるという「お土砂」。

紅長は武兵衛から「お土砂」を奪って、次々に現れた人々に「お土砂」を掛けまくるので、吉祥院はてんやわんやの大騒ぎに。

この隙にお七は吉三郎に心をのこしながら、お杉と共に家へと帰っていく。

大詰 四ツ木戸火の見櫓の場
それから暫く経った雪の降る夜のこと、お七のうちへ釜屋武兵衛が天国の刀を持ってやって来る。お杉は天国の刀を盗み出して吉三郎へ届けるよう、お七に勧める。

駒込の木戸までやってきたお七とお杉。だが掟によって木戸は閉ざされていて、木戸番にたのんでも開けてはくれない。お杉は「火の見櫓の太鼓を打ち鳴らせば、木戸という木戸が開く」ということを思い出すが、むやみに太鼓を打てば死罪になるという。

吉三郎に会いたい一心のお七は、お杉がうちへ引き返した隙に、火の見櫓に登って太鼓を打つ。そこへお杉が天国の刀を抱えて戻ってくるので、お七は刀を手に吉三郎の待つ吉祥院へと走り去っていく。

 

「松竹梅湯島掛額」は、1809年江戸森田座で初演された福森久助作「其往昔恋江戸染」(そのむかしこいのえどぞめ)の「吉祥院の場」と、1856年江戸市村座で初演された河竹黙阿弥作「松竹梅雪曙」の「火の見櫓の場」を繋ぎ合わせた作品。

八月の「鼠小僧」以来ひさしぶりに歌舞伎座で見た大笑いできるお芝居でした。

江戸時代の娘お三輪が奈良時代にワープする「妹背山」ならぬ、こちらは江戸時代に鎌倉勢が攻めてくるという設定。一応八百屋お七の話ではあるものの、筋なんかどうでも良いっていう感じの、徹底して観客を笑わせようというお芝居です。

紅長の科白をそっくり真似する「鸚鵡」をまず子役の男寅がやり、これは大受けだったのですが、その後たしか由次郎と松助が二人つづけて同じ事をやって、最後の人はさすがにきまり悪そうでした。

俳優祭じゃないかと思うくらい、今時のコマーシャルがたくさん挿入され、人間ピラミッドを作って縄跳びをする「燃焼系」や紅長が腕や肩をもみながら歌う「プチプチプチプチプチシルバ」という肩こり薬の広告、おひつのご飯を食べながら「マイウ〜!」などギャグ連発。

この現代の話題をお芝居に取り込むというのは、助六の通人などにも見られます。

坂東秀調が花道から背広で現れ、その後から歌舞伎座の案内係の女性が自分の靴を手にもったまま、「困ります、お客様」と言いながら本舞台に行くと、菊五郎も「今芝居の最中だから困るなぁ」といいながら、二人にお土砂をかけると、二人ともグニャグニャになったり。

菊五郎の紅長、「真夏の夜の夢」の妖精パックのように茶目っけたっぷり。お土砂を掛けて次々に皆をグニャグニャニする時の楽しそうなことといったら!そういえば「らくだ」では屑屋の久六という恐ろしくとぼけた役がよく似合っていたという事を思い出しました。

菊之助のお七は「生き人形」という言葉が頭に浮かんでくるような美しさ。欄間の天女になりすますという設定にもあまり無理が感じられません。後半の人形振りも面白く、本舞台から花道七三に転がり出てきて倒れ人間に戻るところでは、雪も一陣の風と共に菊之助にまとわりついて来て、その有様には思わず見とれてしまったほどでした。

ところで人形振りのとき、文楽の女の人形には足がないのでどうなっているのかしらと思ってみてみたら、足先が着物の中に止めてあって見えないように工夫されていました。

火の見櫓の場に降る雪は、天井に一文字に吊られたネットの中に入っていて、ドッと降らせるときはそのネットを巻き上げては落とすという動きが繰り返されていたのが、珍しかったです。

下女お杉を演じた竹三郎、このお芝居ではなかなか重要な役どころですが、良かったです。

他の演目は富十郎一世一代、「船弁慶」と仁左衛門の「梶原平三誉石切」。

仁左衛門の梶原は「刀の目利き」などでの極まり極まりが実に美しく、最後までだれることなく一気にお芝居を運んでいったのは、さすがだと思いました。

「船弁慶」は義経を鴈治郎、弁慶を吉右衛門、舟長を仁左衛門、舟子を左團次と東蔵と、豪華な配役で富十郎入魂の舞台は大変華やかでした。

この日の大向こう

「石切梶原」では数人の方が声を掛けていらっしゃいました。大向こうの会の方は2〜3人みえていたようです。壽会の田中さんも見えていました。

糸にのっての極まりがたくさんあって、それに掛けるのは一般の方にはちょっと難しそうです。このお芝居を熟知していらっしゃる方でないと掛けられないなと思いました。

今回このお芝居の最後近く、梶原が手水鉢を刀で断ち割ってから、「剣も剣、切り手も切り手」の科白の後で「役者も役者」という掛け声は果たしていかがなものかと注目していました。

そうしたところ、「切り手も切り手」の後、三味線の方だと思いますが「ハーハ、ハ、ハ」と大きくはった声を掛けられ、「役者も役者」と入れられるような「間」は全くありませんでした。

以前巡業でやはり仁左衛門さんがこの役をやったとき、この掛け声を聞いたのですが、掛けた方が遠慮がちに掛けられたので、ちょっと中途半端な感じになってしまったことがありました。察するところ、その中途半端さが歓迎されず、この間が埋められることになったのではないかと思います。

「舟弁慶」では、最初下手にいらした大向うさんも幕外の引っ込みの演技に合わせて、花道の良く見える東へ移動なさり、たっぷりと掛けていらしたようです。

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