加賀見山再岩藤 平成中村座  2003.10.12

8日に平成中村座昼の部、「加賀見山再岩藤」をみてきました。

主な配役
岩藤の亡霊
奥方梅の方
望月弾正
鳥井又助
勘九郎

中老尾上
お柳の方

福助
多賀大領
安田帯刀
弥十郎
又助妹・おつゆ
谷澤数馬
七之助
花房求女 扇雀

加賀見山再岩藤」(かがみやまごにちのいわふじ)のあらすじ
序幕
馬捨場八丁畷三昧(はっちょうなわてさんまい)の場
これより一年前、多賀家では局の岩藤がお家乗っ取りをたくらみ、中老尾上が無実の罪を着せられ岩藤に草履で打たれるという屈辱を味わわされて自害したが、尾上の召使、お初の働きによって岩藤は成敗された。その功によってお初は二代目尾上にとりたてられた。

岩藤の遺体はここ八丁畷の馬捨場に投げ捨てられ野鳥の餌食になった。しかし怨念は残り、雨の日には青い炎となって燃え上がると村人がうわさしている。

人がとだえたころ、二代目尾上となったお初が先代の墓参りの帰りに、一人昔の端女姿で岩藤の菩提を弔いにやってくる。、弥陀像をだして拝もうとすると急に意識をうしない、その間に岩藤の亡霊がよみがえる。

われに返った尾上に岩藤の亡霊は「お家のっとりの大望は必ず成就させる」と恨みつらみをぶちまける。尾上が持っていた「朝日の弥陀の尊像」を向けると亡霊は退散する。しかし尾上はこのどさくさで大事な尊像を落としてしまう。

花の山の場
蘇った岩藤の亡霊は日傘を片手に満開の桜の中を、蝶と戯れフワフワと飛んでいく。

二幕目
新清水奥庭の場
多賀家の当主、大領はお家のっとりを企む望月大膳にあやつやれ、 愛妾お柳の方にうつつを抜かし、酒におぼれる毎日。岩藤の霊はこの騒動の隙につけこもうと蘇ったのだ。岩藤の亡霊は毎夜大領の妹、花園姫の夢に現れて姫を苦しめている。

今日はここ新清水の奥庭での花見。忠臣の花房求女は姫の具合がよくなるようにと多賀家家宝の「金鶏の香炉」を仏前に捧げるためにきているが、楊貴妃の例を出してお柳の方を遠ざけるように殿様に諫言する。しかし聞き入れられず、かえってその間に「金鶏の香炉」を何者かに盗まれてしまう。

怒った大領は求女を成敗しようとするが、そこへ奥方梅の方が現れてとりなす。その結果求女は刀と裃を取り上げられて追放になる。

実は香炉の紛失は弾正一派の仕業。後から姿を見せた弾正は求女から取り上げた刀を自分の館に届けるように命じる。弾正が一人になると岩藤の亡霊が現れて、弾正に寄り添い悪事をけしかける。

多賀家下館堀外の場
求女の下僕、又助は追放された主人を引き取って世話をしていたが、何とか主人の難儀を救おうとして、忠臣安田帯刀に相談しに堀外へやってくる。そこで敵弾正の家来、蟹江一角に出会う。

ところが一角は「実は悪事の張本人弾正を倒そうとひそかに機会をうかがっているのだ」と話し、「お柳の方を浅野川の船の中で殺してほしい」と持ちかける。

そうすれば求女の帰参がかなうと聞いて、泳ぎが達者で正直者の又助はこれを引き受ける。「目印は菊唐草の紋所」と求女から取り上げた刀を渡す一角。

又助が去ると一角は、「梅の方の舟の提灯を『菊唐草の紋』にとりかえるように」と弟に命じる。

浅野川川中船中の場
大領の館から追い返された傷心の梅の方は、帰りの舟の中で水中から突然現れた又助に刺される。又助は再び水中へと消える。

浅野川堤の場
又助は岸に泳ぎ着き立ち去ろうとするが、そのとき安田帯刀とすれ違う。帯刀はその直後、梅の方殺害の事を家来から知らされるが、その場に落ちていた刀の鞘が求女のものと気づき思案にくれる。

三幕目
多賀家奥殿草履打ちの場
大領の妹花園姫は毎晩夢にあわられる岩藤の亡霊に悩まされている。「朝日の弥陀の像」があれば追い払う事が出来るのだが、先日の八丁畷で尾上はそれを落としてしまったのだ。

そこへ弾正が上使としてやってくる。そして尾上に「朝日の弥陀の像を失ったのはわざとだろう」と責める。あまりのことに度を失う尾上。すると弾正がいたところへ忽然と岩藤が姿を見せる。

そして尾上が姫の全快を祈願して作った「草履をうちつけた額」にはさんだ願文を「お家転覆を調伏するもの」と言い出す。願文をあけてみるとそれは岩藤によってすりかえられた真っ赤な偽物。岩藤は一年前のあの時と同様、尾上を草履でしたたかに打ち据える。

そこへ帯刀の家来が「朝日の弥陀の像が見つかった」と持参する。早速像を岩藤の亡霊に向けると既に姿は消え、そこには弾正が立っているばかりだった。

四幕目
鳥居又助切腹の場
ここは大島町にある又助の住まい。釣りのえさを売って生計をたてながら、風毒にやられて足腰のたたなくなった主人求女を世話しながら暮らしている。医者の話ではこの病気は百両もする高価な人参をのませなくては直るまいという事。

又助の妹おつゆは求女を世話するうちに深い仲となっているが、百両の金をつくるため廓に身を売る決心をする。求女は自分が良くなった暁にはかならず妻に迎えると約束して、又助はふたりに三々九度のさかずきごとをさせる。

おつゆが出て行った後に帯刀がたずねてくる。帯刀が差し出した求女の刀の鞘を見て、又助は「お家乗っ取りの大悪人をしとめた」と誇らしげに話す。

帯刀は懐から一つの位牌を取り出し、又助の殺したのが梅の方だったと教える。思いもかけないなりゆきに愕然とする又助。

帯刀から責められ、求女からも「妹ともども勘当する」といわれ、又助がとる道は一つしかなかった。

そこへ目の不自由な弟、志賀市が音曲のさらい会で師匠に誉められ、又助に聞かせてやるようにと琴を運んでもらって帰宅する。

何も知らない志賀市がひく琴の音を聞きながら、又助は刀を腹に突き立てる。

戻ってきた帯刀と求女に、又助は「お柳の方と思って梅の方を殺した」と物語る。求女もそれを聞いて切腹しようとするが、そこへおつゆが百両を持って帰ってくる。帯刀が求女の帰参がかなうように力を尽くし、おつゆと志賀市の行く末の面倒もみると約束すると、又助は安心して息絶える。


大詰
多賀家下館奥庭の場
悪事の露見した弾正と、弾正の子を宿すお柳の方は大領を殺そうとする。大領に打ちかかったお柳の方は、求女に討たれる。弾正も大立ち回りの末討ち取られ「金鶏の香炉」も無事取り戻される。

そこへ尾上もやってきて「朝日の弥陀の像」が戻り花園姫も全快、岩藤の霊も退散したと告げる。

しかし決してきえない岩藤の悪霊は不気味な笑い声を響かせるのだった。

 

1860年、河竹黙阿弥作。容楊黛(ようようたい)作「加賀見山旧錦絵」(かがみやまこきょうのにしきえ)の書き換え狂言です。初演は四世小団次で、岩藤と又助の二役をえんじています。

この作品の大きな特徴は、これが書かれた当時流行っていた伝奇ロマン風の「草双紙」の影響を大きく受けている事だと筋書きに説明されています。当時は歌舞伎と草双紙はお互いに影響しあって、仕掛け物や奇抜な演出が非常に発達したのだとか。

平成中村座の公演は、第三回の大阪公演を除いて全部見てきましたが、ますます充実してきたように感じます。今回は歌舞伎400年という事もあって、浅草寺の境内に中村座を設置。ついでに昔いろいろな見世物やお店が出ていた奥山という町並みも再現するなど、江戸の昔を再現したいという勘九郎の希望をかなえる画期的な試みがなされました。

しかし芝居小屋と奥山は少し離れているので、期待した交流が見られなくて残念でした。

さて中村座。まず場内に入ると念仏が流れていました。既に幕は開いていて馬の骸骨があちらこちらに散らばり、花道にも一体置かれています。明かりは黄昏のところか、うすぐらいオレンジ色の明かりだけ。開幕時間になると、なんの前触れもなく中央通路に役者がでてきてしばらくは客席の中で芝居が進みます。

尾上の福助が花道を出てきて、岩藤の怨念のために気を失うと、真っ暗な舞台のあちこちに炎があがり燐のように青く浮き上がった馬の骸骨がたちあがり、骨がポンポンと飛びかって客席にまで落ちて悲鳴があがったりします。その中に肋骨と腰骨、足の骨、腕の骨、最後に頭蓋骨と岩藤の骸骨が集まってきて煙とともに岩藤の亡霊が登場。半分白骨化したおそろしい格好です。

パッと明るくなって花の山を岩藤の亡霊が上手から下手に宙乗りするところは、なんと遠見の子役。勘九郎自身はスッポンから出てきて、スモークで足元が隠されている花道を美しい姿で楽しげにゆったりと歩いて引っ込みました。明るくなると同時に二階の手すりのところのパネルがパタンと開いて運動会につかう紙の花のような飾りが出現。

この花の山の場と次の場は細長い鏡のパネルがすきまをあけて舞台の左右に立てられ、この間見たスーパー歌舞伎を連想させました。

福助は中老尾上と妾のお柳の方の二役を演じたのですが、お柳の方が殺された後すぐに尾上になって登場するのには、一瞬わけがわからず戸惑ってしまいました。

弥十郎も帯刀の方は合っていましたが、多賀大領のほうはあまりあっていなくて、こちらも今どちらを演じているのか判らなくなるような時がありました。勘九郎が何役も替わるのは結構ですが、他の役者まで替わるのはいかにも人手が足りないという感じです。

今回の「加賀見山再岩藤」は意欲的な演出がいたるところに見られ、又助が梅の方をあやまって殺してしまう「川中の場」もそのひとつでした。本水が浅くはってあるところに一メートル強くらいの模型の舟が浮かんでいて、その中に梅の方や腰元のお人形が何体かこちらをむいておかれています。

すると手前の水面下から勘九郎の又助が顔を出し、舟の中の梅の方を刺し殺すわけで、ちょっと考えると大きさが違いすぎるのではと思うのですが、あまり違和感はありませんでした。これは「夏祭」で捕り方の人形を出したのに似ています。

それと大胆だったのは「草履打ちの場」で、鏡に紅葉を描いたとても大きな屏風ふうなパネルが正面に置かれています。その前で勘九郎の望月弾正が一瞬の暗闇の間に吹き替えを使いながら、岩藤の亡霊にかわります。

鏡かと思っていた屏風は後ろから光の加減で透けて見え、屏風の後ろに登場した岩藤は幻想的で、その後屏風の真ん中の隙間から前に出てきます。このパネルは特殊なものなのでしょうが、なかなか上手く利用されていました。

最後の立ち回りの時には、勘九郎が後ろ向きに水槽に倒れこんだり、捕り方がいっせいに水に飛び込んだりと、思いっきり水しぶきを上げながらの大活躍。このときも水しぶきが大分前の客席までとんだようで、中村座でもお客さんをお芝居の中に巻き込むということがいつも試みられているように思いました。

度肝を抜かれたのは大詰めで岩藤の亡霊がでてくるところ。「びっくりするようなことをやる」と前から勘九郎自身も言っていたので観客すべての期待が集まります。

予想通り舞台正面の壁が開いて外の景色が見えたと思ったら、勘九郎の岩藤が映画のカメラマンの乗るような自在に空中で位置が変えられるクレーンのようなものに乗って、裏方さんたちに押し出されながら登場。

これには皆びっくり、あぜん。そのまま客席の頭上を宙乗り状態でさまよう勘九郎。ちょっと法界坊の「日本一低い宙乗り」を思い出させます。お客さんは大喜びで大喝采。勘九郎の面目躍如といった感じでした。この破天荒な仕掛けでも勘九郎の岩藤は亡霊でありつづけたのは偉いと思います。

しかし注目を一身に集めて勘九郎はよかったでしょうが、他の役者さんには一寸気の毒なラストでした。

このドンちゃん騒ぎのなかで又助住家の場だけは、しっとりとして大歌舞伎の格調を保っていました。志賀市を演じた清水大希が実際に琴を立派に演奏してみせたのにはつくづく感心。

おつゆの七之助も娘らしいかわいらしさや憂いがあってよかったと思います。おつゆの出もやはり中央通路の上手からで、コクーンの時もそうでしたが、いつどこから役者が現れるかわからないというのは、緊張感があってなかなか楽しいものです。

この日の大向う

二階の上手から渋いお声の大向うさんが声をかけていらっしゃいました。やはり会の方で、かなり年配のメガネをかけた方でした。お声も渋い良いお声でしたが、強弱も使い分け、ゆったりとした間で掛けていらしたのが快かったです。

この方が最初から明らかに素人離れした声できっぱりとお掛けになったためか、一般の方はあまり掛けられず、3〜4人が時々掛けていらした程度です。

中にお一人、上手右のほうから少々気の抜けたような掛け声を掛けられていましたが、どうせ掛けられるなら気合の入った掛け声をかけられたら良いのにと思いました。

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