身替座禅 富十郎の愛嬌 2003.9.17

13日、歌舞伎座夜の部に行ってきました。

主な配役
山陰右京 富十郎
奥方玉の井 吉右衛門
太郎冠者 歌昇
腰元千枝 玉太郎
腰元小枝 亀治郎

「身替座禅」のあらすじ
都に住む山陰右京は以前旅の途中で白拍子の花子(はなご)となじみになった。最近花子から「都へ出てきたので会いたい」と手紙が来て、なんとかヤキモチ焼きの奥方の目をかすめて会いにいけないものかと思案をめぐらしている。

一計を案じた右京は奥方に「最近夢見が悪いのでお寺参りの旅にでたいと思う」というが、どのくらい掛かるのかと聞かれて「一年か二年」と答えるので許してもらえない。しかし腰元たちのとりなしで「家の持仏堂で座禅をするならいいでしょう」と奥方もおれる。

「一晩中持仏堂にこもって座禅をする」と宣言した右京は奥方に「座禅をしているところを絶対に見舞ってはいけないよ」と約束させる。

そうしておいて家来の太郎冠者を呼び出し、「今晩花子のところへ忍んでいくので、自分の身替りに座禅をするように」と申し付ける。ばれた時の奥方の怒りを恐れる太郎冠者は身替りを断ろうとするが、右京に「言う事をきかないのなら成敗するぞ」とおどされ、しかたなく承知する。

右京が花子のもとへウキウキと出かけた後、奥方が座禅をしている夫の様子をみにやってくる。座禅衾を頭からすっぽりかぶった様子をみて、腰元たちにお茶とお菓子を用意させてむりやり座禅衾をひきはがす。

ところが中からあらわれたのは太郎冠者。奥方は太郎冠者を問い詰め、右京が花子のところへ行った事を白状させる。「素直に頼めば一日くらい行く事をゆるしてやったのに、よくもわらわを騙したな」と怒りに燃えた奥方は太郎冠者の代わりに自分が座禅衾をかぶって、夫の帰りを待つ。

明け方近く右京がほろ酔い機嫌で帰ってくると、言いつけたとおり太郎冠者が座禅をしている様子に一安心。そこで右京は花子との逢瀬の一部始終を話して聞かせる。

楽しい一夜をすごして夜明けも近くなったのでうちへ帰ろうとする右京に、花子が「そんなにいそいで帰ろうとするなんて、さぞかしすてきな奥様なんでしょうね」とすねるので「うちの奥方は色は真っ黒、こけ猿が雨にぬれたみたいにショボショボしているよ」と答えたと歌祭文で面白おかしく語ってみせる。

語り終えて太郎冠者の座禅衾を苦しかろうと取ってみると、なんと現れたのは鬼のような形相の奥方。謝りながら逃げ出そうとする右京を奥方は捕まえて散々にうちすえるのだった。

六代目菊五郎によって初演された新古演劇十種の内「身替座禅」は狂言の「花子」(はなご)からとられた大変に人気のある演目で、海外公演でもしばしば演じられるそうです。

今までに勘九郎、菊五郎、仁左衛門の山陰右京を見てきましたが、富十郎が一番右京に似合っていたように思います。まず出てきたところがいかにも小心者で恐妻家という感じです。声もひそひそ話らしく、押さえ気味。

仏詣にはどのくらいの日数が掛かるのかと聞かれて「一年か二年」と答え、奥方とはっと顔を見合すところや、「行てくるぞよ」といって太郎冠者が座禅衾で上手く隠れているかどうか、念入りに確かめる時の愛嬌は富十郎ならではのものです。

右京という役は他の役者がやるといかにもドンファンという感じで、あとで玉の井のことをクソミソに言うのがいやみに聞こえますが、富十郎の右京は小心翼翼としているので「あれだけ奥方を怖がっているなら無理もないなぁ」と思わせてしまいます。

奥方の玉の井は立役の役者が勤めますが、今回奥方を演じている吉右衛門は夫よりゆうに頭一つ背が高くまさに蚤の夫婦といったところ。綺麗な顔に作ってあるのにもかかわらず大変迫力があります。

浮気の仕方噺のところで花子のところは長唄が、右京のところは常磐津が担当。掛け合いでリレー式に物語りが進行するのも面白く聞けます。右京が一人二役でその場でくるっと一回りして花子になったり反対に一回りして自分に戻ったり、皆大汗かくところですが富十郎は余裕をもって演じていました。

ただ花子のところから帰ってくるところはなんだか悲しげで、すでに奥方にばれてしまった時の事を予期しているよう。ここのところは夢見心地で帰ってくる勘九郎の右京が素敵だったなと思いました。

この他には、吉右衛門の「俊寛」と、福助が梅ヶ枝を演じた「無間の鐘」。「俊寛」では富十郎が敵役の瀬尾を演じましたがきっぱりとした調子で小気味の良い瀬尾でした。吉右衛門の俊寛が遠ざかっていく船を見送りながら、船のとも綱を縛ってあったローソクのような岩にすがりついてきまった姿が大きくて印象的。

「無間の鐘」のほうは筋はわかって見ていても、この場だけ見たのではやはり「梅ヶ枝が手水鉢をたたくと銀色のエノキダケのような水がはねて、差し金についたたくさんの小判が降ってくる話」とだけしか印象に残らなくて、前の「源太勘当」から続いて見ればもっと良いんだろうなぁと思ってしまいました。

この日の大向う

「俊寛」にはたくさん掛け声が掛かっていました。やはり義太夫狂言には声が掛けやすいのだと思います。寿会の田中さんも来ていらして「身替座禅」までかけていらっしゃいました。

「無間の鐘」の前にお帰りになったんですが、なぜかその後はとても掛け声がまばらになってしまって、どうしたんだろうと思うくらいでした。大向うの会の方は3人みえていたようです。

「俊寛」で田中さんが天王寺屋、加賀屋、播磨屋それぞれに、〜代目と一度づつ掛けられました。瀬尾が船に一度引き上げようと渡り板に足を掛けたところと、千鳥のくどきで当身をされて痛む胸をひもでぎゅっと締めるところ、それからたしか最後の場面で俊寛が松の枝をボキッと折って前に出て岩から落ちそうになるところだったと思います。

また「播磨屋」ではなくて「まやっ」と掛けられた時が多かったようでしたが、遠かったので定かではありません。

俊寛の大詰めで松の木の枝がおれるところでは10人以上の声がいっせいにかかりました。この後でどなたか「大播磨屋」と掛けられましたが、かけるなら「大播磨」ではないかと思いながら聞いていました。

今月のように追善公演の場合、先代をしのんで「大播磨」が掛かることもあったのではないでしょうか。他の日には「おじいさんそっくり」と声が掛かったそうです。(ぐっちさんから伺いました)

師匠は「最後の場面、俊寛が呆然と岩の上で船を見送るところではブツッと切れるような掛け声でなく、余韻のある掛け声を掛けるほうが良いと思う」とおっしゃっていました。

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