義賢最期 壮絶な仏倒れ 2003.8.20 | ||||||||||||||
19日に歌舞伎座で八月納涼歌舞伎の第一部をみてきました。
「義賢最期」のあらすじ 義賢は今では病をえて屋敷にひきこもっている。先妻の腰元であった葵御前は、義賢の子を宿していて先妻の子・待宵姫(まつよいひめ)もこれを案じている。 この館へある日、堅田の百姓・九郎助が娘小万と孫太郎吉を連れてやってくる。今は待宵姫と恋仲である奴・折平(おりへい)が実は7年前に失踪した小万の夫だというのだ。 そこへ都の多田蔵人行綱のところへ義賢の手紙を届けに行っていた折平が戻ってくる。義賢が結果をたずねると「行綱の屋敷は指示されたところにはなかった」という答え。 ところが手紙を入れた文箱の封が切られているのを見て、義賢はそばにあった松の枝で手水鉢のふちを欠き、自ら源氏に忠誠を誓う意思を示し、折平に身分を明かすよう迫る。すでに義賢は「折平こそ行綱その人である」と見破っていたのだ。お互い心を打ち明ける二人。 そこへ源氏の白旗の詮索に、平家の使者・高橋と長田がやってくる。二人は義朝の髑髏を出して踏みつけ、二心がないのなら義賢も髑髏を踏めと迫る。ついに義賢は耐えられなくなって、長田を討つが高橋を取り逃がす。 高橋が逃げたからには、平家が押し寄せてくるのは時間の問題。義賢は討ち死にの覚悟を決め、「頼朝と力をあわせて平家を討つ様に」と行綱に待宵姫を託して落ち延びさせる。 葵御前を九郎助とともに逃がした後、義賢は押し寄せる平家の軍勢と戦う。義賢の身を案じて立ち去りかねている小万に源氏の白旗を葵御前に届けるよう頼み、義賢は壮絶な死を遂げるのだった。 「源平布引滝」(げんぺいぬのびきのたき)は1749年に大阪竹本座で初演された並木千柳、三好松洛合作の時代浄瑠璃。この「義賢最期」はその二段目で、絶えていたのを昭和40年に孝夫(現仁左衛門)が復活、大評判をとった狂言です。 仁左衛門は過去に9回義賢を演じていて、そのすばらしさが折り紙つきなのは衆目の一致するところ。橋之助は平成7年に1度中座で演じており、今回が2回目です。 しかし結果は予想を上回る堂々たる義賢でした。これまで橋之助は見得で口を開くことがとても多くて、それが私はいつも気になっていました。口を開けた見得も、たまになら浮世絵のようで良いかと思うのですが。 ところが今回の義賢、見事にほとんどすべての見得で口をしっかりと結んでいました。そうすると古風なマスクが引き締まって見え、特に捌きになった後では、とても大きくすばらしかったです。 最初の出では、どうも五十日鬘の形が合わないような気がしてなりませんでした。あの五十日鬘はだれがかぶっても、なかなか格好よく見えない難しい鬘だとは思います。横顔は綺麗だと思いましたが、正面からみた顔にはもう一工夫あっても良いのではないでしょうか。 待宵姫を行綱と一緒に落としてから、花道の付け際に行って娘を見送るところでは、仁左衛門はハラハラと涙を流しそれが舞台にしたたり落ちるほどで、それを見てもらい泣きせずにはいられないくらい情のある義賢です。 しかし橋之助にはまだそこまでの余裕はないようでした。でも長袴であの激しい立ち回りをこなすのは本当に大変なことですので再演を重ねていけば、これを当たり役にすることも可能ではないかと希望がもてます。 じつはこの日とってもらった席が最前列だったので、襖を冂の字に組んでその上に義賢が立ち、そのまま横倒しになる襖倒れはやはり迫力がありました。 しかしなんといっても最後の場面の、仏倒れはすごかったと思います。普段よりは少し角度のなだらかな階段の上にたって、鳥のように袖を広げて胸をはるところで客席からはどよめきが起こり、そのまま階段に向けてうつぶせにまっすぐ頭を下にして大の字で倒れ込んだ勇壮さには圧倒されました。 今回は10メートルと離れていないところで見ていたこともあり、橋之助の全く迷いのない、勇気ある仏倒れには熱い役者魂を感じ、とても清々しい気分になりました。 孝太郎の小万も、この後の「実盛物語」では死体となって登場する、哀れな小万の生前の女武道ともいうべき姿を好演。ちょっと顔がさびしいかなと思いましたが、最後に義賢に末期の水を飲ませてやるところなど情が感じられてよかったと思います。 それと九郎助を演じた仲一郎(勘九郎門下で研修所第二期生)は名題下からの抜擢に応えて、なかなか存在感がある九郎助でした。背中に小さないすを括り付け、それに子供を後ろ向けに座らせて担ぎながらの大立ち回りというのも珍しいかったです。 |
||||||||||||||
この日の大向う | ||||||||||||||
第一部では会の方がお一人、あとは一般のかたが数人、声をかけていらっしゃいました。こういう時代物はツケ入りの見得がたくさんあるのでやっぱり掛け声が掛けやすいと思います。ところで九郎助の仲一郎に、「仲一郎!」と名前の掛け声が掛かっていました。 それから女の方も掛けていらっしゃいましたが、他のかたよりいつもわずかに遅れて掛けらたのが目立ちました。三津五郎さんの踊りにこの方が「まってました」と掛けられました。三津五郎さんには「十代目!」という声があちこちから掛かっていましたが、ファンの方は三津五郎さんのお好みをよくご存知なんだなと微笑ましかったです。 |
壁紙:「まなざしの工房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」