曽我綉侠御所染 軽快な渡りぜりふ 2003.6.16 | ||||||||||||||
14日に歌舞伎座「夜の部」に行ってきました。
「曽我綉侠御所染」(そがもようたてしのごしょぞめ)のあらすじ 長福寺門前の場 その長福寺門前を須崎角弥(かくや)と妻・皐月が通りかかる。角弥は巴之丞に仕える武士であったが、腰元の皐月との恋を同僚の星影土右衛門(どえもん)に表ざたにされ、不義の罪で死罪になるところを巴之丞の母の温情によって追放の処分を受けたのだ。 しばらくすると寺の中から医師鈍玄と百合の方の家来・猿島弥九郎が言い争いながら出てくる。時鳥のために我が子・撫子姫が蔑ろにされた事を恨んだ百合の方が、鈍玄に命じて蝦蟇の一薬を調合させ、それを飲んだ時鳥は顔が醜くくずれる病に苦しんでいる。 鈍玄はその褒美の金を弥九郎に催促していたのだ。そこへ百合の方が現れて鈍玄に百両の金を与える。そして夜道は危ないので刀を貸そうと言い出し、刀を受け取ろうとする鈍玄を刺し殺す。 浅間家殺しの場 時鳥がその薬を飲むと見る間に病は治り、時鳥は神仏の加護と喜ぶ。しかしそこへ百合の方の腰元たちが切りかかる。巴之丞の寵愛を一身に受けている時鳥へ恨みを晴らすため、百合の方は自らの手で時鳥をなぶり殺しにし、杜若の美しく咲きみだれる池へ死体を沈める。 御所五郎蔵 土右衛門は、生活苦のため今では花魁になっている皐月を自分のものにすると宣言。五郎蔵も「できるものならやってみろ」と一触即発の状態になるが、そこへ甲屋の女房が止めに入り、双方をなだめる。 甲屋奥座敷 ところが花魁にはなっているものの、皐月は五郎蔵に操を立てて、客をとらないので200両もの金を用立ててくれるような相手がいない。困り果てた皐月の前に土右衛門が「その金を貸そう」と現れる。 その代わりに「五郎蔵に退き状を書け」と迫る土右衛門。一度は断る皐月だが「恩ある巴之丞のための金ができなければ五郎蔵も生きてはいまい」と言われ、とうとうその話を承知する。 そこへやってきた五郎蔵へ、皐月は退き状と手切れ金といって200両の金を渡そうとする。しかし土右衛門の門弟達が口々にののしるので、すっかり怒ってしまった五郎蔵は皐月を尺八で打ちのめそうとする。すると奥から逢州が出てきて五郎蔵を止める。 「旧主の想い者である逢州は主人も同然」と五郎蔵はその場は引き上げる事にするが「晦日に月の出る郭も、闇があるから覚えていろ」と言い捨てて金もとらずに立ち去る。 土右衛門はすぐにも皐月を身請けしようと花形屋へ皐月を伴おうとするが、皐月は「癪が起こったので後から行く」と断る。ところが土右衛門が承知しないので、見かねた逢州が「私がかわりに、皐月さんの内掛けを着、提灯も皐月のを使っていけば、土右衛門さんの面目も立つだろう」と提案。二人が出かけた後、しきりに烏が鳴くのが気になる皐月であった。 廓内夜更けの場 五郎蔵内切腹の場 あわてて逢州からというの手紙を見てみれば、皐月の心変わりは二百両の金を調達するため土右衛門に言われて仕方なくやったという真相を告げ、五郎蔵への申し訳に自害すると言う手紙だった。短気をくやんでみても後の祭り。 五郎蔵が自害しようと書置きを書いていると、そこへ皐月が廓を抜け出してきて「全て自分の責任なのでどうぞ殺して」と頼む。しかし五郎蔵は自分のした事が皐月に及ばないようにと、わざとつれなく外へ追い出す。 皐月はもはやこれまでと剃刀で胸を突き、戸を打ち破って中に入ってみると五郎蔵は腹を切って断末魔。苦しい息の下で逢州の首を前にして、二人は胡弓と尺八を手向けに奏しながら息絶えるのだった。 河竹黙阿弥作「曽我綉侠御所染」が通しで上演されるのは16年振り。前回昭和62年の時も孝夫時代の仁左衛門と玉三郎で同じ組み合わせの二役を演じています。(このときは大詰めはカット) 玉三郎は昭和42年に父十四代目勘弥の百合の方と五郎蔵で、時鳥を演じて大好評を博したということです。(皐月は雀右衛門)それにもかかわらずそれ以来二度しか通しで上演されなかったわけは、やはり二役目として百合の方を演じられる役者がいなかったということに尽きるのではないかと思います。 白髪まじりの百合の方が憎悪を剥き出しにして時鳥をなぶり殺しにするわけで、この役は先代萩の八汐などと共に立役が加役として演じることになっています。 上演記録によると、百合の方を演じた役者は昭和22年以来たった4人。24年に三代目左團次(もう一役は巴之丞)、42年に勘弥(五郎蔵)、59年に十七代目羽左衛門(土右衛門)、最後に62年孝夫(五郎蔵)です。 この中でも五郎蔵との二役だったのは勘弥と孝夫だけ。お主のために奔走し、気風はいいがすぐかっとなって取り返しのつかない事をしでかす男伊達の五郎蔵と、自分の子供のために冷酷な殺人を自らの手で平然と行う百合の方は全く違うキャラクターだけに一人の役者がやると面白みが倍増します。 仁左衛門の百合の方は、登場した時は足元もおぼつかない老女のようですが、時鳥に飲ませた毒薬を調合した医師を殺す躊躇のない冷酷さ、自ら時鳥をなぶり殺しにする時のすさまじい笑顔など見る者の目を釘ずけにして、なるほど他の役者ではこうはいかないだろうとおもわせます。 時鳥の玉三郎、なぶり殺しにされるその姿は、舞踊「鷺娘」を連想させるような美しさ。 しかし今回の上演で一番印象的だったのはいつもは退屈に感じる「五条坂仲之町の場」。本花道を出てきた土右衛門の一行と今回設置された仮花道の五郎蔵とその子分達の七五調の割り台詞や渡り台詞が、非常にテンポよく受け渡され、胸のすくような出来栄えでした。 この演目のために仮花道が設置されるのはめったになく、普通五郎蔵一行は上手から出てきますが、それと比べて圧倒的に引き立ちます。 左團次も人妻である皐月を執念深く追い続ける土右衛門を好演。このお芝居は特に通しだとそれぞれの役に奥行きが出て役者としてもやりやすいのではと思いました。 五郎蔵になってからの仁左衛門、命がけで一緒になった妻が信じられない単細胞の男ですが、その熱血漢ぶりを数々の美しい見得で見せてくれます。五郎蔵の衣装も墨絵の着物、茄子紺に白の梅の模様、紺に変わり格子模様、その下の赤い襦袢姿、最後の水浅黄(?)の着物など次々と替わって、皐月の花魁の衣装にも負けないほど華やかなものなのです。 大詰めの「五郎蔵内切腹の場」は胸を刺した皐月が胡弓を、切腹した五郎蔵が尺八を吹きながら死んでいきますが、玉三郎は本当に胡弓を弾いていましたが、仁左衛門は実際には吹いていなかったようです。この趣向、初演の小團次が作者の黙阿弥に「何か自分を困らせる趣向を考えてくれ」と頼んで出来たものだとか。 死ぬ前に皐月と五郎蔵は誤解を解き、愛情を確かめ合って死んでいったと言う事が良く理解できました。見ごたえのある充実した舞台だったと思います。 | ||||||||||||||
この日の大向う | ||||||||||||||
10人以上掛け声を掛ける方がいらっしゃいましたし、大向うの会の方も5人ほどいらっしゃったそうです。やはりこの間と同じで、沢山声が掛かるとタイミングがかなり早い方がいらして、どうもすっきりしません。 特に変わった掛け声は聞こえませんでしたが、五郎蔵が逢州を殺すところで「ご両人!」と掛けた方がいて、どうしても違和感を覚えてしまいました。 |
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