大石最後の一日 新歌舞伎 2003.4.18 | ||||||||||||
18日、歌舞伎座夜の部を見てきました。
「大石最後の一日」のあらすじ 内蔵助は17人の浪士とともに芝高輪の細川越中守の中屋敷でなに不自由のない生活を送っている。今日は仇討ちから一ヵ月半たった2月4日、浪士たちは幕府のお沙汰が下るのをを今か今かと待っている。蔵之助はこのところ機嫌が悪い。というのも世間に仇討ちがもてはやされて浪士たちが舞い上がってしまっているからなのだ。 中でも磯貝十郎左衛門の何かを隠しているような様子が大石には気にかかっている。そこへ浪士たちを尊敬しているこの屋敷の総領息子、内記利章が訪ねてくる。 「何か一生の宝になるような言葉を聞かせてほしい」と願う内記に、大石は「人はただ初一念を忘れるな」と話す。内記は満足し名残惜しげに立ち去っていくが、その言葉は大石が浪士の面々に望むことでもあった。 半刻後、詰め所で堀内伝右衛門が大石を呼び止め、そこにいる伝右衛門の知り合いの若者に、今日一日浪士たちの世話係をさせてくれないかと頼む。茶を運んできたその若者を見て、大石はその若者がじつは女だと気が付く。 その娘はおみのといって、磯貝十郎左衛門が仇討ちの計画を世間の目から隠すために婚約した娘だった。おみのは「磯貝が本当は自分の事をどう思っていたのが知りたい」と願い、堀内伝右衛門を頼ってきたのだ。 見合いの席で磯貝とおみのが琴と尺八を一緒に演奏したと聞いた大石には思い当たるふしがあったが、磯貝との面会はことわる。その時急に周りの様子が慌しくなり、大石は浪士一同に切腹のお沙汰が下ったことを悟る。 大石はおみのの「「偽りを誠に返したい」という言葉に動かされ、いそいで磯貝を呼びにやって、おみのと面会させる。最初のうち磯貝は知らない人だと突っぱねるが、大石に「懐にいつも入れている琴の爪を見せろ」と言われると、返事に詰まる。 それを聞いたおみのは磯貝の本心を悟り、それ以上聞かないでくれと大石に頼む。磯貝は「十郎左は婿に相違ござらぬ」という言葉を残して去っていく。 幕府の使者は浪士一同に切腹のお沙汰が下ったことを伝えるが、同時に吉良家がお咎めを受け当主義周がお預けの身になったと教える。それを聞いた一同は喜びにむせび泣く。 切腹に赴く白装束の浪士たちが詰め所の前を通りかかると、そこにはおみのが自害して虫の息で倒れている。「偽りを誠に返した」おみのは磯貝に別れを告げて死んでいく。 大石は浪士たちを先に行かせ、最後に伝右衛門に挨拶し、「これで初一念が届きました」と晴れ晴れとした顔で切腹の場におもむくのだった。 真山青果作。「元禄忠臣蔵」の最後に当たる部分ですが、なんと書かれたのは一番最初だったそうです。これが当たったので連作が生まれることになったとか。二代目左團次のためにかかれた芝居です。 この作品は、劇中にも登場する細川家家臣堀内伝右衛門が預かりの赤穂浪士の動静を記録した、「覚書」に基づいて書かれたものだという事です。 ところで「新歌舞伎なんか詰まらない」と言う声を聞く事があります。私もその昔、最初にみた新歌舞伎が「井伊大老」でしたか、「面白くないなぁ。なんでこんなのやるんだろう?」と言う感想を正直いって抱きました。歌舞伎座のだだっぴろい舞台が、さらに広く見えるようなお芝居だったとでもいいましょうか。それ以来どうも新歌舞伎には感心した事がありませんでした。 ところがこの真山青果作「大石最後の一日」は違いました。非常によく出来た戯曲で、まず無駄なせりふというものがないんです。変化にとぼしい舞台装置にもかからわず、息詰まるドラマが進行していき、客席も息をのんで成り行きをみつめるといった感じでした。 「元禄忠臣蔵」では、大石の苦しい心境と似た綱豊卿の心境があぶりだされていく「御浜御殿」が一番の秀作だと言う説もありますが、私にはこの「大石最後の一日」のほうが面白かったです。その理由のひとつは、浪士たちの死が目前に迫っていると言う緊張感が芝居をひきしめているからではないかと思います。 一見平穏に見えても死と隣り合わせで暮らしている浪士の面々のいらだちや、仇討ちが世間の人々にもてはやされて、もしかしたら切腹しなくて済むかもしれないという儚い期待、そういう浪士たちを心配する大石、そして婚約した相手に去られ、「自分は本当はただの隠れ蓑に使われたのではないか」という疑念にさいなまれている、おみの。 この「大石最後の一日」にはそういう人々の心理が鮮やかに描かれています。一番感動的だったのは、磯貝が大石に「懐にもっている琴の爪を見せろ」と言われて、絶句する場面。 おみのを想いながらも死なねばならない磯貝の苦衷や、婚約者の真心を知ったおみのの気持ち、雑念なく浪士たちに最後をむかえさせたい大石の気持ちが舞台からどっとあふれ出てきて、思わず涙。 最後に花道を引っ込む吉右衛門の「これで初一念が届きました」と晴れやかに言うセリフが印象的でした。大石という人間の大きさを吉右衛門は上手く出していたと思います。 ところで大石の鬘が捕われの身を象徴するような、のびた月代を後ろへ撫で付けたといった感じの変った鬘でした。ですが最後に白装束になった時には、月代をきれいに剃った鬘に替えていました。 いかにも実録風だなとおもったのは、切腹する浪士の数を寺坂吉右衛門を除いた「46人」と言っていた事で、大石の吉右衛門は一度あやうく「47人」と言ってしまいそうになりました。 他には「二人夕霧」と黙阿弥の散切物「人間万事金世中」(にんげんばんじかねのよのなか)。これはイギリスの作家リットンの「マネー」という戯曲を基にした日本初の翻案劇。散切り頭の明治時代の人物が七五調のセリフをいうのが、なんだか奇妙な感じでした。 恵府林之助(エヴリン)おくら(クララ)おしな(ジョージナ)など登場人物の名前も原作からとっているそうです。この芝居も分類としては新歌舞伎になるそうで、今月の夜の部は新歌舞伎が二つ並んだわけです。 |
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この日の大向う | ||||||||||||
最初から4〜5人の声が掛かっていました。寿会の田中さんも最初から最後までいらして、声を掛けていらっしゃいました。 私、この日は一階5列目中央に座っていたんですが、すぐそばの女の方が「大石最後の一日」で途中から声を掛け始められました。低く抑えた声で掛けるタイミングも悪くないんですけれども、このときは沢山声が掛かっていましたので、なぜこの場所から、複数の役者さんへ頻繁に声を掛けられるのか、私には理解できませんでした。 例えば全然声を掛からない日に、吉右衛門さんのファンで「どうしても良いところで掛けたくなった!」というのなら、その気持ちはとても良く判ります。ですがあちらにもこちらにもお掛けになりたいのなら、やはり三階からお掛けになったほうが良いのに・・と思ってしまいました。 でもこの方、なぜか「二人夕霧」以降は全く掛けるのをやめてしまわれました。今度は三階から思うように声を掛けてみてくださいね。 |
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