「霊験亀山鉾」 爽快な敵役  2002.10.4

国立劇場で「霊験亀山鉾」(れいげんかめやまほこ)の初日を見てきました。

「霊験亀山鉾」のあらすじ(石井家ゆかりの人名はで、水右衛門にゆかりの人名はで表記してあります)
発端
藤田水右衛門は仕官をかけた石井右内との立会いに破れ、その腹いせに右内を闇討ちして殺し、一匹の白蛇が守護する「鵜の丸の一巻」という神陰流の秘書を奪う。

序 幕
 

甲州石和宿棒鼻の場より       
播州明石網町機屋の場まで

右内の弟兵介は石和宿で掛塚官兵衛の立会のもと敵討ちをしようとするが、官兵衛はかねてから親しい水右衛門の父・卜庵に頼まれて兵介の飲む水杯に毒を混ぜたため、兵介は返りうちにあって落命する。

播州明石には、機を織って一家を支えているおまつが父作介と足腰がたたない難病の源次郎と赤ん坊の半次郎という二人の子供と一緒に住んでいた。おまつの夫・石井源之丞おまつとのことで、実家を勘当され石井右内の家に養子になった。とはいうものの源之丞の兄・六之進夫婦おまつ親子に親切でいつも心にかけていてくれた。

右内ばかりか兵介までが水右衛門に殺されたため、源之丞は家の重宝・千寿院力王と仁王三郎という刀を携え、忠義な下部の文蔵とともに仇討の旅にでる。
  
二幕目 
駿州弥勒町丹波屋の場より      
同 中島村焼場の場まで
ここは駿州の揚屋、丹波屋。掛塚官兵衛はめあての芸者・おつまが一向に姿を見せないのでいらだっている。そこへおつまが香具屋の弥兵衛と一緒に帰ってくる。実はこの弥兵衛源之丞の世をしのぶ姿で、おつま文蔵の妹。しかもおつま源之丞の子を宿していた。

源之丞水右衛門の行方を探していたものの顔を知らないため、顔を見知っている下部の金六おつま水右衛門にそっくりな役者の姿絵が描いてある団扇を渡す。

ところでこの店の女将おりきは、主筋にあたる水右衛門をこの家の一間にかくまっていた。そこへ水右衛門そっくりな八郎兵衛という古手屋がおつまを呼べとやってくる。ちょうど水右衛門に父卜庵からの手紙と金を届けにきた中間は、八郎兵衛水右衛門ととりちがえ金と手紙を渡す。

にわかに金持ちになった八郎兵衛おつまを身請けすると言いだす。はじめはいやがるおつまだが、八郎兵衛が団扇の絵にそっくりなのに気づき、心ならずも源之丞に愛想尽かしして、八郎兵衛と一緒になると言いだす。だがそれもつかのま奥の一間からちらと顔をのぞかせた水右衛門と顔をあわせたおつまは人違いに気が付き、八郎兵衛から逃げようとする。

ちょうどそこへ寺から使いがきて仕方なく八郎兵衛は立ち去る。拾った水右衛門への手紙に、今晩安部河原で落ち合う手筈と書いてあるのを見て、おつま弥兵衛=源之丞を説得して後を追わせる。しかしこれは敵の罠で、おびきだされた源之丞金六水右衛門と仲間が掘った落とし穴におち、惨殺されてしまう。後から追いついた文蔵は瀕死の源之丞から大小の刀と小柄を託される。

焼き場のある中嶋村にはいましも狼が出没して、皆が逃げ惑っていた。丹波屋のりき水右衛門を早桶にひそませて逃がそうとするが、この騒ぎで源之丞の遺体が入った早桶ととりちがえられてしまい、水右衛門の入った早桶は焼き場へ運ばれる。源之丞を弔うためにおつまが形見の刀を風呂敷につつんでやってきてみると、焼き場の番人・隠亡はなんと八郎兵衛だった。

水右衛門に縁のある八郎兵衛は、おつまにだまされたと恨みをいだき、出刃包丁でおつまを殺そうとする。おつまは必死で抵抗し八郎兵衛を火屋へ追い込み、かけつけたおりきと争ったすえ井戸に落とす。だが燃えている早桶の縄が切れて水右衛門が姿を現し、おつまをなぶり殺しにしてほくそ笑みながら、返り討ちにした石井家ゆかりの人々を指を折ってかぞえる。

三幕目 
播州明石機屋の場
おまつの家では三年前生まれてまもなく亡くなった次男の半次郎の法事の百万遍がとりおこなわれていた。今年10歳になる長男源次郎はけなげで利発な少年だが、あいかわらず難病は治らない。医術の心得のある僧・浄心は「源次郎の病気は人間の肝臓の生血で治せる」と話す。

ちぢみの仕入れに来た才兵衛は、いつものように源次郎にたくさんのみやげを買ってきてくれ、治療に金がかかるだろうと反物を十匁増しで買おうとするが、おまつはこれを不審に思い、この三年間に才兵衛が置いて行った余分の金を返そうとする。

だが才兵衛はこれはみなおまつの貞節を知った源の丞の母・貞林の心遣いだと言う。作介とおまつは驚き、感謝する。その後へ源之丞の兄・六之進の妻・が訪ねてきて、自ら縫った蝶千鳥の着物を源次郎へと置いて行く。

主家で姫君に長刀を教えるほど気丈な貞林尼は、石井兵介の妻・白綾の姉婿の大岸頼母と連絡をとりあっている。その貞林尼のもとへ文蔵源之丞討ち死の悲報をもたらす。一人生きて帰った申し訳なさに切腹しようとする文蔵に、貞林尼は見事な撫子の花を切って「同じ切るならあの撫子のために切れ」となぞを掛ける。

源次郎は足腰が立たないながら作介を相手に剣の稽古に余念がない。そこへ文蔵がやってくるが、喜ぶおまつに源之丞が死んだことをなかなか言い出せない。だが「源次郎の病気に男の肝臓の生血が効く」と聞いて、文蔵貞林のかけたなぞの意味を悟り、納戸へ入っていく。

源之丞の帰りをいそいそと待つおまつを、貞林尼が初めて訪ねてきて、おまつを石井家の嫁と認め改めて源之丞と祝言させようと言う。しかし喜ぶおまつの前に差し出されたのは源之丞の位牌だった。悲しみのあまり死のうとするおまつ貞林は「死ぬ命を永らえて貞節のたてようが他にある」と諭す。

すると奥から青ざめた文蔵が現れ、不忠のおわびに腹を切ったので、どうぞ源次郎に自分の生血を飲ませてくれと頼む。そして「勘当されたおまつの兄・袖介を呼び戻し、源次郎の助太刀をさせるように」という源之丞の言葉を伝える。そして源次郎の足が見事に治ったのを見て、文蔵は喜びながら死んでいく。(原作ではこうなっていますが、この時の上演では文蔵ではなく貞林が自害したと思います)  

四幕目 
江州馬渕縄手の場
馬渕の土手では水右衛門の父・卜庵が人を使って赤土を掘り返している。水右衛門の許婚・
も一緒だが、卜庵お才の簪に水右衛門の紋が入っているのに気がつく。卜庵は蛇がきらうという禹余糧(うよりょう)という土を探して、所持する「鵜の丸の一巻」にまとわりつく白蛇を追い払いたいのだと話す。

すると後ろの非人小屋から病み上がりの男が仕込杖をつきながら顔をだし、卜庵に金をねだる。その男が尋ねられるままに播州明石の生まれだと名乗るのを聞いて、卜庵は自ら江州の町医者・藤田卜庵と明かして去っていく。

その足の悪い乞食こそ、行方のしれないおまつの兄袖介袖介はさきほどの老人が敵水右衛門の父親ではないかと怪しむ。袖介はこれから金毘羅まいりだという通りがかりのに明石の六之進への手紙をことづける。しかしその手紙は卜庵に読まれ身元を知られてしまう。

卜庵袖介に「石井右内を討ったのはせがれではなく、自分だ」と言うが、袖介はそれは息子をかばう親心に違いないと思う。卜庵は「鵜の丸の一巻」は自分が持っていると言い張って袖介に切られようとし、袖介は「鵜の丸の一巻」だけを奪いかえして助けようとするが、卜庵は自らを切りつけ、袖介はしかたなくとどめをさす。袖介は自分の血で卜庵を殺した顛末を書き記して藤田の紋の提灯にさし、その場に残してさる。

偶然この場を通りかかった水右衛門は、この書きつけを読んで一巻は自分が所持しているのにと不審に思うが、卜庵の遺体を発見し息子として親の死を嘆く。父親が殺されたことから、水右衛門石井家の者たちはお互いに敵同士になり、許婚お才は夫と思いさだめた水右衛門に縁を切られ簪で喉をつく。

大 詰 
勢州亀山祭敵討の場
ここは亀山城下。曽我八幡の祭礼のこの日、鉾が取り囲む中、水右衛門大岸頼母親子の計らいで、駕籠に乗っている若殿に「鵜の丸の一巻」を献上して仕官しようとしている。そこへ袖介がかけつけ、その一巻は偽物で自分の持ってきたものが本物だと訴える。

袖介持参の一巻が卜庵奪われた写しだと知り、水右衛門は親の敵・袖介を討とうとする。しかし頼母はまず水右衛門の所持する本物の一巻を若殿に献上させる。

ところが駕籠から現れたのは蝶千鳥の衣服にりりしく身を固めた源次郎で、石井の家に伝わる重宝を取り戻せたことを感謝する。頼母に呼ばれておまつもこの場に現れ、袖介も助太刀を許されて、三人は敵水右衛門を討ちとる。

江戸時代の人気役者、五代目松本幸四郎(鼻高幸四郎)の為に書かれたと言う水右衛門。それで仁左衛門は先代萩の仁木弾正と同じように、左のこめかみに大きなほくろをつけていました。このお芝居を見て一番印象に残ったのは、仁左衛門の見得をする時の顔です。悪の権化、水右衛門になりきったそのすさまじい顔は今も目に焼きついています。

現代では敵役というのは、役者にも見物にもあまり人気がないのではないかと思う事があります。例えば先月橋之助が「播州皿屋敷」で敵役の鉄山を演じましたが、私が見た日の客席の反応は鉄山があまりにサディステックな役だったせいか冷ややかなもので、花道の引っ込みでも掛け声も拍手もなく、橋之助が気の毒でした。

と言うわけで今回の仁左衛門の敵役への挑戦、見物にはたして受け入れられるかしらとちょっぴり心配していたんです。が劇場もほぼ満員、返り討ちの残酷場面でも盛大な拍手でその心配は無用でした。考えて見れば「桜姫東文章」の釣鐘権助や「四谷怪談」の伊右衛門、「伽羅先代萩」の仁木弾正などをあたり役としている訳ですからね。

敵役を得意としたという五代目幸四郎の魅力に多分?まさるとも劣らない仁左衛門の水右衛門。微塵も迷いのない思い切った悪の表現が爽快でした。ただちょっと残念だったのは、今回の脚本では水右衛門が色悪ぶりを発揮するという「法台院」の場がカットされてしまった事。仁左衛門の色悪、見てみたかった!

今回の上演に当たって脚本を整理して分かりやすくしたのだそうですが、にもかかわらずそれぞれの役者が2〜3役演じたりするので筋が分かりにくくて、話としてはあまり魅力的な話とはいえません。「おつま八郎兵衛」と綯交ぜ(ないまぜ)になっていると言う事ですが「八郎兵衛って一体何なの?」と思うほどこの人物は唐突に出てくるんです。この八郎兵衛と水右衛門の父親卜庵は仁左衛門が早替わりで演じています。

歌舞伎には他の芝居のパロディがちょこちょこ挿入されることがあるので、知識が豊富な人ほど楽しめるという面があります。既に存在していて皆が良く知っているいろいろな話、その登場人物の名前とか相互の関係、粗筋などをひっくるめたものの事を「世界」といいますが、歌舞伎ではそういう世界を借りて骨格とし、全く違う話を作ってきたのです。「綯交ぜ」というのは二つ以上の世界を繋ぎ合わせて一つの狂言を作る方法で、作者鶴屋南北はこれを得意としていたそうです。

けれど南北がこれを書いた当時は皆が知っていた話も、今ではその出所を知っている人がほとんどいないので、その面白さが十分には理解されないんですね。結局この狂言、頭でああだこうだと考えても無駄で、見たとおりそのまま受け取って役者の芸や持ち味を楽しめばいいんじゃないかと思います。

持ち味と言えば秀太郎がとても良い味を出していました。声はほとんど男性の声で、今の若い女形がどちらかというとキャーキャーした声なのに比べると異質ですが、ちょっと粘っこいような持ち味がお芝居にコクをだしてくれるんですね。それと段四郎の大岸頼母、存在感のある彼だからこそ最後の場で仁左衛門と釣り合いがとれるんだなと思いました。段四郎はちょっとしか出ませんが重要な存在だと思いました。

一番面白かったのは「中島村焼き場の場」。本水を使った立ち回りや、燃える火の中の樽形の棺おけが一瞬のうちに四方八方に割れて水右衛門が現れるところなど、目が離せませんでした。この直後おつまを殺す時の水右衛門の見得、これがこの狂言最大の見ものだと私は思います。

この日の大向う

初日ということでこの日は沢山の声が掛かりました。大向うの会の方はあまり多くなく、一般の方が多かったと思います。屋号がほとんどで変わった掛け声は聞かれませんでした。二階上手から歌舞伎座でも聞いた事のある「気の抜けた声」が掛かってゲンナリしましたが、何しろ昨日は数が多かったのであんまり気になりませんでした。ほとんど掛ける人がいない時、あの声にはちょっと耐え難いものがあります。

最後に「本日はこれ切り」と言う切り口上がありました。私昨日は前から二列目でしたが思わず「松嶋屋!」とどさくさにまぎれて怒鳴っておりました。^_^;


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