「黒塚」 右近の岩手 2010.1.31 W266 | ||||||||||||
25日演舞場の昼の部を見てきました。
「黒塚」のあらすじ 日も暮れて人の影もない安達原には、鬼女が出て人を食うという噂がある。その時かなたに人家の光が見え、それを目指した祐慶たちはあばら家を見つける。そしてその家に一人住む老女・岩手にひと夜の宿を貸してくれるように頼み、老女は一行を中へいざなう。 世間話をするうち、傍らに糸車があるのに気が付いた祐慶の願いに応えて、岩手は糸を繰りながら糸繰り唄を唄う。岩手は元は都の出だったが、父が流罪となり奥州へ下り、一緒になった夫は他の女と都へ行ったきり行方がわからないと語る。 夫を恨み続け、生きる望みを失いたった一人でこの寂しい安達原に生きてきた岩手の身の上を聞いた祐慶は、仏の教えによって悟りの道へ入れば成仏できると説く。それを聞いた岩手は長年の恨みつらみが消えていくような心地がする。そして祐慶たちのために裏山に薪をとりに出かけるのだが、その際決して閨の中を覗いてはならないと言い残す。 ところが祐慶たちが夜の勤行をしている間に、強力の太郎吾がこっそりと老女の閨を覗いてしまう。なんとそこは血の海で、たくさんの人の骨がころがっていた。岩手こそは安達原の鬼女だったのだ。祐慶は騒ぐ弟子たちをいさめる。 山に薪を取りに出た岩手は、仏の教えに従えば来世は必ず成仏できるという祐慶の教えを聞いて、心も晴れ足取りも軽い。長年の苦しみから解放されるような喜びに岩手は童心にかえって月の光とたわむれるかのように踊る。 そこへ太郎吾があわててふためいて逃げてくる姿を見つけた岩手は、祐慶ほどの聖でも約束を破って閨の中を覗いたのだと怒り悲しみ、鬼女の本性を顕して消える。太郎吾は命からがら逃げ去る。 岩手が鬼女だったと知った祐慶たちは、岩手の行方を捜して古い塚にたどりつく。鬼女の姿となった岩手は一行を食ってしまおうと襲いかかるが、祐慶たちは一心に祈ってこれに対抗する。鬼女は法力のために次第に力を失い、あさましいわが身を恥じていずこへか姿を消すのだった。 木村富子作の舞踊劇、猿翁十種の内「黒塚」は昭和14年二世猿之助によって初演。当代猿之助の襲名の時、先代猿之助が踊るはずだった生涯の当たり役だったこの踊りを、心臓病に倒れ襲名の舞台に立つことができなかった先代に代わってまだ若かった当代が踊っている間、先代は病院のベットの上に正座して祈り続けたという逸話が残っています。 この澤瀉屋にとって大変重要な演目「黒塚」を今回、右近が踊りました。安達原に寂しく一人住む老女岩手のわびしいしかし恐ろしいものをうちに秘めた風情がとても良かったと思います。糸を繰りながら悲しい人生を物語るところにもわざとらしさがなく、品が感じられました。 阿闍梨祐慶を演じた門之助にも優雅な落ち着きがあり、適役。強力太郎吾は猿弥休演に伴い寿猿が演じましたが、この役が受け持つ滑稽さを現しているというよりもどの人間にもある愚かしさを表現。 中の巻に入りつかのま心の安らぎを得た岩手が月と戯れて踊る場面では、右近は踊りは上手いのですが、突き抜けたような透明感がなく、役者市川右近がわずかに見え隠れするのが惜しいと思いました。 下の巻に入ると鬼女となり長袴を美しく捌きつつ踊る右近、隈の中から覗く目に憎しみや凄みはなかったですが、花道の七三で祐慶と立ち廻りをする最中、仏倒れに(棒のようにまっすぐ前向きに)倒れるところなどは見事に極まって、大変迫力がありました。最後は華やかにしめくくり、とても変化があって楽しめる舞台でした。 昼の部の最初は「寿曽我対面」。右近が工藤祐経という本当に若手だけの配役の対面。「師匠猿之助の祐経を若い君子としてとらえるやり方にならって若々しく勤めたい」という右近のコメントどおりの若い工藤にはなかなか新鮮味がありました。 五郎の獅童は、剥き身の隈をとった顔が素晴らしく素敵で、声も以前よりは出るようにはなっていましたが、荒事はなかなか一筋縄ではいかないという印象でした。十郎の笑也は予想よりずっと良く、声も朗々と出ていて和事をきちんとこなしていました。猿弥の休演で朝日奈は猿四郎が代わって演じました。 昼の部の最後は海老蔵の「春興鏡獅子」。さすがに再演を重ねただけあって、弥生にしっとりとした優雅さが感じられました。扇の扱い、袱紗さばきどこをとっても余裕があり、安心して見ていられました。 後シテの獅子の精になってからも豪快さは以前とかわらず、毛も50回以上振って大拍手でしたが、以前見た時のような研ぎ澄ましたような鋭さは感じられませんでした。 |
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この日の大向う | ||||||||||||
序幕の「対面」ではどなたも全く声を掛けられず、今日はどうなるんだろうと心細く思いました。 しかし「黒塚」になると大向うの会の方が二人見えて一般の方も誘われるように、声をかけ始めました。「黒塚」の最初は静寂で森閑とした場面ですので、声は非常に限られたところだけにかかり、それがピリッとしたアクセントになっていました。 眼目の岩手の踊りにかかるところで「まってました」と声がかかりましたが、私はここでこの声がかかるのはあまり感心できないと思いました。老女は幻想的な雰囲気の中で月と戯れるかのように無心に踊るわけで、そこで現実の役者右近の顔がちらとでも出るのは夢がやぶれるような気がします。あくまで老女の孤独だけれど晴れ晴れとした境地を見せて欲しかったと思いました。 「鏡獅子」では最初のうちはきっぱりと掛かっていましたが、後半はなんとなく曖昧になってしまいました。 |
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1月演舞場昼の部演目メモ |
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●「寿曽我対面」―右近、獅童、笑也、笑三郎、春猿、寿猿、猿四郎 ●「黒塚」―右近、門之助、弘太郎、寿猿、猿三郎 ●「春興鏡獅子」―海老蔵、右之助、歌江、市蔵、家橘 |
壁紙:「まさん房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」