浮舟 仁左衛門の表情 2003.3.11

11日の歌舞伎座、昼の部を見てきました。

「浮舟」のあらすじ
光源氏の次男、薫は実は源氏の正妻女三の君と柏木の間に出来た不義の子である。薫もその事を知ってからは仏門に入って俗事を忘れたいという気持ちが強い。そんな時知り合った八の宮に薫は心酔するが、八の宮は亡くなって大の君(おおいのきみ)と中の君という二人の娘が残される。

まだ独身の薫は姉の大の君に強く惹かれるが、大の君はとりあわず「妹を薫の妻に」と考える。薫は光源氏の孫にあたる、匂宮に中の君を取り持ち、匂宮は中の君を二番目の妻に迎える。

匂君は女好きでうわさがたえない人物なので、大の君はがっかりしてまもなく亡くなってしまう。薫は亡くなった大の君が忘れられない。中の君は腹違いの妹、浮舟が大の君に生き写しなので手元に呼び寄せ、薫に紹介する。

ニ条院の庭
ここは匂宮の住む、二条院。無邪気な浮舟と薫はお互いに好意を持ち、薫は浮舟に「妻に迎える」と約束し、それまで宇治で待っていてくれと言う。ひとりになった浮舟を見つけたのが、この屋の主、匂宮。ほろ酔い加減で妻の義妹の浮舟にちょっかいを出してみたら、意外に手ごわい抵抗にあい、すっかり浮舟が気に入ってしまう。

そこへ戻ってきた薫は匂宮が浮舟にご執心なのを悟り、自分は浮舟を妻に迎え、宇治で共に暮らすつもりだと宣言する。

宇治の山荘
浮舟が母親の中将と共に宇治へ移って半年、薫は帝の娘、女二の宮との縁談を押し付けられていて、宇治へはたまにしかやって来られない。それにひきかえ匂宮はたびたび恋文を送ってよこす。最初はただ嫌だった匂君にだんだん好意を持つようになって、浮舟の気持ちは揺れている。

そこへ雪の中を強引にやってきた匂君を、浮舟は部屋へ通そうとするが、おりから薫がやってきて匂君は退散。浮舟は薫の誠実な愛情を感じ「今夜妻にして欲しい」と頼むが、薫は「式を挙げるまで待とう」と説得し浮舟をなだめる。

再び二条院の庭
中の君は匂君との間に男の子を産んだばかりだが、夫の気持ちが自分から離れている事を嘆いて、この屋敷を出たいと思っている。
そこへ薫がやってきて帝からの縁談を断り、官位を捨てて浮舟と暮らす事にしたと告げる。

中の君は薫に、夫が浮舟のもとへ通っている事を打ち明け、事をはやく運ぶようにと忠告する。その場にやってきた匂宮、薫が挨拶もせず行ってしまったので、中の君との仲を嫉妬する。中の君は夫に薫の決意を告げ、浮舟をそっとしておいてくれるように頼むが、匂宮は「自分が女好きなのは、神が悪いのだ」と言って取り合わない。

再び宇治山荘
雨の夜にやって来た匂宮は、薫より匂宮が浮舟の世話をしてくれた方が何かと自分にとって都合が良いと思っている、浮舟の母親中将の手引きで寝所に入り込み、いやがる浮舟を口説き落として、とうとう思いをとげてしまう。

その翌々日、「晴れて式を挙げられる」と言う嬉しい知らせを持ってやって来た薫を出迎えたのは、浮舟を都に連れて行こうとしている匂宮だった。匂宮を拒めなかった浮舟を「どうして死をもって身を守らなかったのか!」と言って責める薫。浮舟は「匂宮と行く気は無い、愛しているのは薫だけだ」と涙ながらに言うが、薫にはどうしても浮舟を許す事ができない。

その夜遅く川岸で物思いにふけっている薫の耳に、侍女たちが浮舟を探す声が聞こえてくる。薫を愛しているが匂宮も忘れられない自分をどうする事も出来ない浮舟は、思い余って宇治川に入水したのだった。

北條秀司が昭和二十八年に書いた源氏物語の「宇治十帖」をもとにした新歌舞伎。初演は浮舟を歌右衛門、匂宮を勘三郎、薫大将を八世幸四郎で、評判をとったそうです。

前回歌舞伎で演じられたのは昭和58年、今から二十年前のことで、匂宮を勘三郎、浮舟を玉三郎、薫を孝夫(現仁左衛門)と言う配役でした。

今回まず二条院の庭の場で花道から出てきた玉三郎が、無邪気な10代の少女に見えたのには感心しました。仁左衛門と一緒だと背のことを気にしなくても良いせいもあるのでしょうが、のびのびとして嬉しそうです。最後まで演技がしっくりとかみ合って、このコンビがゴールデンコンビを言われるわけが納得でしました。

仁左衛門の薫、最初の内はやはり若い感じをだすためか、声が高くて与三郎の時のようでした。 一番印象に残ったのは、薫が「匂宮に愛していた浮舟との恋を踏みにじられた」と知った時の表情です。

今まで仁左衛門のいろいろな芝居を見てきましたが、一度も見た事の無い顔、初めて見た表情でした。 顔色がみるみる灰色になっていって、感情がその灰色の顔の中に吸い込まれてしまったようでした。

怒り、失望、後悔、悲しみと言った様々な思いが、身体の中に瞬く間に蓄えられるのを見たような気がします。私は仁左衛門のこういうところが役者としての何よりも素晴らしい美点だと思っているのです。

歌舞伎役者というものは多かれ少なかれ表情がパターン化されています。こういう場合はこういう顔をするだろうなと思うとその通りの表情を見せる事が普通です。ですが仁左衛門の場合、時おり予想出をはるかに超えた、素晴らしい表情を見せてくれる事があり、それを発見するのがまた楽しみでもあるわけです。

玉三郎も屈託の無い元気で無邪気な女の子から、嫉妬に苦しみ、どうにもならない自分の心に思い悩む女性への変化が見事で、よかったと思いました。

勘九郎の匂宮ですが、持ち味にはあっていると思うものの、面白い台詞を言いながらいつも自分から笑ってしまうのが、気になりました。匂宮が強引に迫るところは良かったです。

しかしこの北條源氏は、原作とは大分違っているようです。「なぜ死をもって身を守らなかったのか」などと言う薫の台詞は平安時代の貴族の感覚からは遠いものと思われ、そこにこの脚本が書かれた昭和二十年代の道徳観というものを感じました。

衣装のことですが、匂宮は官能を表す山吹色や朱色。薫は冷静を表す青と紫が主でしたが、浮舟に会いにいった薫が薄紫の下に朱色を重ねていたのが記憶に残りました。

色気のある未亡人と原作とは全くキャラクターが違う、浮舟の母親を演じた秀太郎は、いつもながらお芝居にコクを出していました。

その他には染五郎の「操り三番叟」、幸四郎の「勧進帳」。
染五郎は昼の部の全てに出演していましたが、どれもなかなか良かったと思います。「三番叟」は巧みな踊りで面白く、人形使いの高麗蔵との息もよく合っていました。染五郎は「女殺油地獄」の与平のようなものか、元気がよくておどけたものが一番良さを発揮できるのではと思います。

幸四郎はこの公演で「勧進帳」の弁慶が700回になるそうで、大変な熱演でしたが、上唇をほとんど動かさないためにはっきり聞こえない台詞には、どうも感情移入し難しいと思います。富樫の富十郎がハッキリクッキリなだけについ比べてしまいます。

この日の大向う

珍しく5〜6人の大向うさんが声を掛けていて賑やかでした。寿会の田中さんもいらしていたようです。中にとても大きな声の方がいて、目立ちました。その方は幸四郎さんに何度も「九代目」と掛けていらっしゃいましたが、700回のご祝儀ということでしょう。

あとは弁慶の飛び六方の前に「まってました」と掛かった他は、屋号だけしか掛からなかったようでした。
それから一人気になったのは、「こうらいや〜」と終わりを長く伸ばす方。最後が尻上がりでなかったのでまだ良かったですが、気合が入っていない掛け声に聞こえてしまいました。

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