江戸育お祭佐吉 江戸っ子の気風 2008.3.17 | ||||||||||||||||||
15日、歌舞伎座夜の部を観てきました。
「江戸育お祭佐七」のあらすじ 後から祭の世話人や鳶のお祭佐七をはじめ鳶の若い衆が姿を現し、踊りの屋台も到着。そして「道行旅路の花婿」がはじまると、そのすきに小糸と佐七はいちゃつき始める。小糸は佐七に会いたいばかりに踊りを見たいと言ったのだった。 伴平はこの様子を見て小糸を奥の座敷へとひっぱっていく。入れ違いに大店の若旦那富次郎が恋人のお仲とつれだってくるが、それにお仲の兄・おででこの伝次がいんねんをつけて金をねだる。あげくのはてもらった金がすくないと騒ぐのを、佐七の仲間・すだれの芳松がこらしめる。 そこへやってきた伴平たちに、佐七は「芸者は身を売る商売ではない」と言い放つ。名前を問われて佐七は、去年の祭に加賀藩の伴廻りと大喧嘩をしてから「お祭佐七」と呼ばれていると名乗る。伴平は実は加賀藩の侍で、それを聞いたからには容赦できないと切りかかるが、佐七は伴平を簡単にやっつけて意気揚々と小糸とともに我家へ帰る。 大喜利 小糸は佐七に「自分は5歳で養母にもらわれたが、実は侍の落としだねだ」とうちあける。佐七は「父親が加賀藩の梅田八太夫につきとばされて死に、母親もこれを気に病んで死んだので、加賀藩は親の敵だ」と話す。 ここへ小糸の養母おてつに泣きつかれた鳶の頭・勘右衛門が仲裁にやってくる。おてつが今後は小糸がいやがる客はとらせないと言っているので返してやらないかと勘右衛門にさとされ、おてつも涙ながらにあやまって頼むので、しかたなしに佐七は小糸をうちに帰すことにする。だが小糸はいつものおてつとあまり態度が違うので、あやしむ。別れがたいふたりだが、後刻佐七が小糸の家に会いに行く約束をして、小糸は後を振り返りつつ帰っていく。 入れ替わりにかえってきた三吉は、小糸が貧乏暮らしに嫌気がさして心変わりしたのではないかと言うので佐七は不機嫌になる。 裏河岸小糸内の場 そこへ帰ってきた小糸に伴平は、「実は自分の叔父で加賀藩の侍・梅田八太夫は昔手廻りの女に生ませた女の子に一目会いたいと願っているのだが、おてつの話からそれが小糸だと判明した」と驚くべき話をする。その証拠にとおてつが差し出した臍の緒書にはたしかにそう書かれていたので、自分は佐七とは仇同士なのだと知った小糸は泣き伏す。 こうわかったうえは佐七と添い遂げることはできないと思い悩んだ末、小糸は佐七に別れの手紙を書く。そこへ佐七が小糸に会いにくる。小糸は自分が梅田八太夫の娘だという臍の緒書が出てきたことを話す。驚く佐七は、小糸が自分と別れたいので、そんな話をでっちあげたのだといきりたつ。 そこへ出てきたおてつや伴平に口々にののしられ、佐七はくやしさをかみしめながら立ち去る。だがこの話は佐七の身の上話を立ち聞きしたおてつの作り話だった。してやったりと喜ぶ伴平たちだが、小糸が裏口から逃げ出したと聞いてあわてふためく。 柳原土手仕返しの場 佐七は小糸の手紙を辻行灯の火にかざして読み、さっき聞いた話が自分と別れるための嘘ではなく、それを悲しんだ小糸が自害しようとしていたことを知る。 小糸の本当の気持ちを知った佐七は嘆き、すぐにも自首しようかと思うが、小糸を追って来た伴平と切りあいになり、ついに佐七は小糸の仇を討つのだった。 三世河竹新七作「江戸育お祭佐七」は明治31年初演。三世菊五郎が演じて大当たりした四世鶴屋南北作「心謎解色糸」(こころのなぞとけたいろいと)を五世菊五郎が書き換えさせた作品で、当代が演じるのは初めてです。 幕が開くと祭りのうきうきとした賑やかな気分が舞台に満ちていて見ているだけで楽しくなります。劇中劇「道行旅路の花婿」が演じられるのにあわせて、佐七と小糸が横恋慕している伴平をよそに、いちゃついてみせるという趣向はとても面白く、そこにはかすかに近代的な匂いが感じられました。 菊五郎の佐七はすっきりとして色気があり、江戸っ子らしい粋を充分に感じさせ、小糸を殺害する場面でも手拭を喧嘩被りにし、包丁を振りかざす数々の見得が素晴らしく綺麗で堪能させました。かっとして小糸を殺そうというところも理解できなくはなかったです。 しかし殺してしまった後にあまり殺伐とした気分がないというか、恋人を殺したにしてはあっけらかんとしすぎていて、客席から笑いも起こったりで少々首をひねってしまいました。 ちょっと前まであんなにほれきっていた女をたったあれだけの理由で、殺してしまうだろうかというのがなんといってもこの芝居で一番難しいところでしょう。序幕の鮮やかさ、小糸佐七の水もしたたるような粋な姿といった魅力があるにもかかわらず、このお芝居があまり上演されない理由がわかるような気がしました。 けれども「江戸育お祭佐七」という題から想像するのとはあまりにかけ離れた結末に、祭りの後というか、狂騒のあとに残った虚しさが一層印象的なお芝居でした。 時蔵の小糸は自分が佐七の敵の娘だと聞かされ、思い悩むところが繊細で美しく素敵でした。意地悪な養母の家橘もぴったりでしたが、鳶頭の前でもうちょっと本音が透けてみえても良かったように思いました。仁左衛門の鳶頭は強欲な小糸の養母の言い分をあっさり信じてしまう人の良さが感じられました。 倉田伴平の團蔵は敵役といえばこの人という配役で、薩長の侍を写したという伴平にエグミがありました。佐七の子分・巴の三吉の錦之助は佐七の心に疑いの芽をはぐくむ発言をする人物ですが、持ち味とは若干違うように思いました。 夜の部の最初は芝翫の「鈴が森」。鈴が森の非人たちのたたずまいにとても雰囲気がありました。先にやってくる飛脚の段四郎はおどけたこの役にぴったり。 駕籠からおりた権八の芝翫は、背を低くみせてしまう東からげのせいで顔が長いのが目立つなぁと思ったのはほんの一瞬で、非人たちをバッタバッタと切っていく姿に虚無感が出ていて出色でした。長兵衛に「益ねぇ殺生いたしてござる」とパンパンとゆっくり手をはたきながら自嘲的に言うところなど、背筋がぞくっとしました。 人を切ることなどなんとも思っていない権八で、今までみた権八とは全くちがった権八像。足が飛んだり、顔がそげだりする愉快な演出にダンマリのゆったりとした動きにもかかわらず残酷このうえなく、土佐の絵金の描いたすさまじくも怪しく美しい「鈴が森」を思い出しました。 富十郎の演じた長兵衛も、口もとを袖でおおい提灯をかかげ、権八が刀の刃こぼれを見る場面など、これぞ歌舞伎!ともいうべき濃密な異空間を堪能させてくれました。非人たちには、左團次、彦三郎というベテランも参加して周りを固めていました。 中幕は藤十郎喜寿祝いの「京鹿子娘道成寺」。ちょっと離れたところから見る藤十郎は本当に年齢を感じさせません。踊っていくうちに段々と女の怨念が浮かびあがってきてまさに踊り狂うという表現がぴったりでした。 所化の舞づくしは藤十郎の孫、虎之介がものおじせずしっかりと勤めて拍手を浴びていました。最後に團十郎の勇壮な押し戻しが出て、鱗四天との立ち廻りも豪華絢爛。四天のしゃちほこのような逆立ちも見事に決まり錦絵のような幕切れでした。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||||||
週末のこの日、大向こうさんたちに一般の方たちも加わってはなやかに掛かっていました。「鈴が森」では袖で口元を隠し提灯を掲げた長兵衛と刀の刃こぼれを見る権八の錦絵のようなツーショットに鋭く「御両人」と声がかかっていましたが、この場面には合っていると思いました。 「鈴が森」では権八が「待て待て待〜て」と言うところまでほとんど声がかからず、皆さん満を持していたようにここでどっと声がかかりました。 「道成寺」になると聞き覚えのある語尾が長くのびる威勢の良い声が聞こえ、もしやと思ったらやはり大阪の初音会の会長さんで、大向こうさんも東西で行き来していらっしゃるのだなぁと思いました。大向こうさんは;5人位いらしていたそうです。 |
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歌舞伎座3月夜の部演目メモ | ||||||||||||||||||
●「鈴が森」 芝翫、富十郎、左團次、彦三郎、段四郎 |
壁紙:「まさん房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」