松浦の太鼓 吉右衛門の松浦候 2007.12.27 W205

11日、国立劇場で12月歌舞伎公演を見てきました。

主な配役
松浦鎮信 吉右衛門
宝井其角 歌六
大高源吾 染五郎
妹・お縫 芝雀

「松浦の太鼓」のあらすじ
元禄十五年12月13日のこと、俳諧の師匠宝井基角は両国橋のふもとで煤竹売りとすれ違い、それがかっての弟子・子葉なのに気がつく。子葉は旧浅野家臣・大高源吾で、主君が存命のころは優れた詠み手だった。そそくさと立ち去ろうとする子葉を基角はひきとめてかたわらの床几にかけさせる。

基角は弟子のみすぼらしい様子を見て、助けたいと思うが、源吾は今の暮らしが楽で良いと言う。いかにも寒そうな薄物一枚の源吾に基角は松浦候から拝領した羽織を脱いで着せ掛ける。最初は固辞していた源吾だが、基角の好意をありがたく受け取る。

去っていく源吾に基角はおもわず、「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠み掛ける。すると源吾は暫く考えていたが、晴れ晴れと「あした待たるるその宝船」と句を付ける。

次の日、風流人として名高い大名・松浦鎮信(しずのぶ)の屋敷では基角も呼ばれて連句の会が行われていた。基角の世話でこの屋敷に奉公している源吾の妹・お縫が茶をもって姿を見せると、松浦候の機嫌が急に悪くなって、お縫に下がれと言う。基角が不思議に思ってそのわけを尋ねると、兄・源吾がその原因だった。

松浦候は赤穂の浪士たちがいつ隣家の吉良邸に討ちいるかと楽しみにしていたのに、一向にその気配がなくその不忠にいらだちを覚えていた。その上、煤竹売りとなってしまった源吾に基角が自分の与えた羽織をやったと聞いて腹をたてた松浦候は、基角に「お縫に暇をだすから連れて帰れ」と命じる。

帰りぎわに基角は昨日源吾が詠んだ句を披露する。「あした待たるるその宝船」という言葉に考え込む松浦候。その時表から太鼓の音が聞こえてくる。それが山鹿流陣太鼓だと気がついた松浦候は、ついに仇討が決行されたことに大喜びし、基角とお縫にわび、すわ助太刀と用意を始める。

馬にまたがり勇み立つ鎮信を家来が必死で止めているところへ、火事装束に身を固めた源吾が仇討の仔細を報告にやってくる。一部始終を聞いた一同は、浪士たちがこれから主君の墓前に敵の首をそなえ、揃って切腹する覚悟だと聞いて感動する。

源吾は基角と鎮信に妹のことを頼む。源吾の辞世の句は「山をぬく刀も折れて松の雪」、忠義の心を読んだもの。鎮信の「褒めてやれ」という声があたりに響き渡るのだった。

今月の国立劇場は忠臣蔵外伝というジャンルのお芝居を3つ集めた珍しい企画で、楽しめました。

秀山十種の内「松浦の太鼓」は1856年に初演された瀬川如皐・桜田治助合作「新台いろは書始」(しんぶたいいろはのかきぞめ)の11段目をもとに明治の初めに三世勝諺蔵が独立した芝居にしたもの。

松浦候の吉右衛門は自由自在な台詞まわしが小気味よく、「わかりそうなものじゃ」と時代にはった後「わからぬか」と世話にくだける具合など、本当に上手いものだなぁと感心しました。よくよく練れた台詞という感じを受けました。

以前吉右衛門が「松竹梅湯島掛額」の紅屋長兵衛を演じた時は、「チッチキチー」だとか流行のギャグをとばす吉右衛門に痛々しさすら感じたものですが、イエスマンに囲まれてわがままではあるけれど、赤穂浪士の討ち入りに興奮して馬からころげおちるような可愛いところもある、とぼけた味の松浦候は驚くほどぴったり。このような役をこれからも手がけていってほしいものだと思いました。

お縫の芝雀が好演。基角の歌六は松浦候を相手のやり取りでとても間がよくて感心しました。源吾の染五郎は仇討の一部始終を物語る後半が良かったと思います。

最初の宇野信夫作「堀部彌兵衛」は、彌兵衛の吉右衛門にその妻たね・吉之丞、娘さち・隼人、半田半右衛門の桂三、丈念・由次郎、安兵衛の歌昇で演じられました。

―息子を亡くしたばかりの堀部彌兵衛夫婦がある日高田の馬場の決闘に遭遇し、助太刀に駆けつけた中山安兵衛に襷にするしごきを貸すこととなり、その人柄に惚れ込む。しばらくたって彌兵衛は菩提寺で偶然和尚の親戚として寄宿している安兵衛に再会。ぜひ養子になってほしいと頼むが、なかなか承知してもらえない。

苗字はそのままでも良いからという彌兵衛夫婦の熱意に負けて、安兵衛は将来は今はまだ3歳のさちの婿にという約束で養子になる。

それから十五年後。前年彌兵衛の主君・浅野匠守が江戸城で吉良に対して刃傷におよんだために、殿様は切腹、お家はとりつぶされ家臣一同は浪々の身となっている。

浪士たちが明日とうとう仇討を決行するという日。彌兵衛は貧に窮した隣人が炭を盗んだことを快く許す。そして今まで兄妹のようにすごしてきた安兵衛とさちの婚礼を行う。安兵衛は今日からは堀部の姓を名乗ることを宣言し、彌兵衛夫婦は感涙にむせぶ。

婚礼の喜びもつかのま、約束の集合場所へと向かう彌兵衛と安兵衛をたねとさちは見送るのだった。―

初めのころは、吉右衛門の台詞に「ア〜ウ〜」が多かったのは、彌兵衛が老人だということを考慮しても聞きづらく思えました。が話が進んでくるに従って、だんだんそれがなくなってきて彌兵衛宅の場の隣家の浪人・半右衛門の苦境に同情し暖かく励まして子供の凧に「忠」と書いてやる件では、グイグイと話に引き込んでいったのはさすが吉右衛門だと思いました。

彌兵衛が寺で思いがけなく安兵衛を発見してから、養子になってもらうように口説き落とすまで10日という時がたっているのを、最初蕾だった上手の桜が美しく満開に咲いている景色で表していたのがとても印象的でした。

話の途中ですぐに居眠りを始める和尚の由次郎がいかにもこののどかな雰囲気に似合っていました。さちを演じた隼人は楚々としていましたが、襟を無理やり後ろに抜きすぎていたようなのがちょっと気になりました。

次が「忠臣いろは実記」の中の黙阿弥作「清水一角」。この話もめったに上演されない芝居と言うことですが、話全体に目覚しい展開がない中、討ち入りに気がついた一角が袴を着けながら同じく吉良方の侍・丈左衛門と立ち廻りを演じるところだけが珍しい趣向かと思われました。一角が姉の勧めで女物の衣装をかぶっていく姿が、「仮名手本忠臣蔵」の討ち入りの場へと繋がっているように思えました。

この日の大向こう

最初が新歌舞伎だったせいか、声もまばらな感じでした。会の方はいらっしゃらなくて、一般の方だけでしたが、皆さん主に中央から下手にかけて座っていらしたようです。女の方も時々声が聞こえていました。「清水一角」は黙阿弥のものでツケが入る分、声は掛けやすく、大勢の方の声が聞こえていましたが、今一ここぞというところに掛からない傾向がありました。

「松浦の太鼓」はよくかかるお芝居ですが、これも柝の頭などにどっとくるかと思えばなんとなくバラバラという感じで、掛ける方は結構いらっしゃるけれどもいまひとつ盛り上がらないといった感じの一日でした。

国立劇場12月公演演目メモ
「堀部彌兵衛」 吉右衛門、歌六、吉之丞、由次郎、隼人
「清水一角」 染五郎、芝雀、種太郎、歌六
「松浦の太鼓」 吉右衛門、芝雀、染五郎、歌六

目次 トップページ 掲示板

壁紙:「まさん房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」