籠釣瓶 花道の女形 2002.9.28 |
歌舞伎座千穐楽の「籠釣瓶」(かごつるべ)を見てきました。 「籠釣瓶花街酔醒」(かごつるべさとのえいざめ)のあらすじ 今月は次郎左衛門を吉右衛門、八ツ橋を雀右衛門が演じました。実はこの7月に大阪松竹座で雀右衛門の「吉野山」の静御前、「鳥部山心中」のお染をみたのですが、その時の印象は「82歳の女形にとって花道は鬼門だな」と言う事でした。いつもひかえめでうつむきがちな雀右衛門の女形としての美点が花道では欠点としてでてしまい、本舞台ではほとんど忘れていられる年齢が花道ではいやおうなしに目にはいってしまうからです。ましてやお染は17歳の役。 ところで江戸時代には花道は今よりずっと暗かったのだそうです。江戸時代に作られた金丸座の花道には、もちろんスポットライトなどありません。 いさり火という舞台前面に約80センチおき位に置いてある筒状に丸めた白い紙の中からの明かりも、揚幕から花道の半ばまでは全くなく薄暗いと言った方がいいような感じです。現代の劇場の花道のように役者が煌々と照らしだされるという事はなかったわけです。 余談ながらいさり火がまるで本当のろうそくのようにチラチラゆれるので、どうなっているのかなと上から覗いてみたんです。中には豆電球が3つ点いていてそれが交互に点いたり消えたりしていました。なるほどこういう仕掛けになっているのねと納得! 閑話休題。「籠釣瓶」で雀右衛門が花道を通るのは「花魁道中」だけで、これがとても立派でした。八ツ橋の拵え(こしらえ)は裾に綿の入った着物と裲襠、まな板帯という肩幅より大きく体の前で蝶結びにした帯に、頭は下げ髪という手柄を3〜4枚掛けた巨大なポニーテールのようなスタイルです。普通花魁は伊達兵庫(だてひょうご)という鬘のことが多いので八ツ橋もそうかなと思っていたのですが違いました。 下駄は高さ30センチはあろうかという黒塗りの三枚歯の下駄。重さはあわせて約38キロ、立っているだけでも大変な重さでしょうが、この格好で雀右衛門の紋である「京屋結び」の浴衣を着た若い衆の肩に手をかけて、外八文字に下駄を回しながら練り歩くのです。豪華絢爛、まさに歌舞伎美の極致だと思います。 次郎左衛門が魅了される「八ツ橋の微笑み」も雀右衛門はつつましくて、歌右衛門のように歯を見せて笑うと言う事はしないので好感が持てます。それまでは「いやな女」として演じられていた八ツ橋の性根(しょうねー役の根本の性格)を変えたと言われる六代目歌右衛門。その花道での笑顔はとても有名ですが、鉄漿(おはぐろ)をつけた歯を見せて笑うのが美しいとは、私にはどうしても思えません。いろいろな写真を見ると歌右衛門は八ツ橋を演じる時、鉄漿をつけた時とつけなかった時があるようですけれど。 それはさておき鬼門の花道を堂々と通っていった雀右衛門の八ツ橋は、一度も実年齢を感じさせる事なく最後まで見事に美しい花魁であり続けました。縁切りの後で同輩の九重に「わちきはつくづくいやになりんした」と言うセリフも「こんな酷い事をしなければいけなかった自分がいやになった」という風に受け取れ、遊女に売られた八ツ橋が哀れに思えました。 最後に切られて死ぬ所の海老ぞりはさすがにちょっと苦しかったけれど。 |
この日の大向う |
千穐楽のこの日はいつもより掛け声が多かったです。一番多い時で10人位声が掛かりました。(大向うの会の方は4〜5人?) これは確かに名セリフには違いないのです。が治六に向かって「黙ってろ」と言った後、吉右衛門は何も言いませんが恥をかかされた屈辱に耐えて肚(はら)で芝居をしているわけです。CDで聞くとここで吉右衛門の実父白鸚は「黙ってろい、すっこんでろい」と繰り返し言ってますが、とても実直な感じがして私は好きです。そんな時不用意に声を掛けられたら、せっかくの芝居が中断してしまいます。特に深刻な場面では気をつける必要があると思います。「掛け声の種類」、場に即した掛け声の「まってました」をご覧下さい。 |
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