熊谷陣屋 吉右衛門の熊谷 2007.9.4 W195

4日と25日に、歌舞伎座昼の部を見てきました。

主な配役
熊谷次郎直実 吉右衛門
相模 福助
義経 芝翫
藤の方 芝雀
弥陀六 富十郎

「熊谷陣屋」のあらすじはこちらです。

まず吉右衛門の熊谷は目の下と眉毛から斜め上に芝翫筋をくっきりと紅く描いていたのが目立ちました。いかにも古風な雰囲気でしたが、團十郎型ならもっと薄い茶色で目立たないように描くのではないかと思いました。

敦盛の身替りとして息子・小次郎を殺してしまった熊谷が、一番会いたくない妻の相模が来ているのに気がついてぎくっとするところなど、手にとるように熊谷の心理がわかって面白く思いました。輪郭のはっきりした線の太い熊谷。技巧的とも思える台詞まわしでしたが、見ているものを即座にドラマに引き込むのはさすが吉右衛門です。

一箇所だけ納得がいかなかったのは、「無官の太夫敦盛の首討ったり」と相模にいうところが誇らしげに聞こえてしまったこと。討ったのは実は自分の息子なわけですから、それはないだろうと思いました。

福助初役の相模は最初の出は奥方らしい落ち着きが出ていて良かったですが、クドキになると悲鳴のような声が多く感情的になりすぎてついていけませんでした。大詰めで義経、熊谷、相模、藤の方、弥陀六による渡り台詞で、一人だけションボリとした調子になっていたのにも疑問を感じました。

吉右衛門は前半の熊谷の物語が一番迫力も見ごたえもあり、見得も大きて力強く立派でしたが、後半の首実験でさらに盛り上がりが感じられなかったのはちょっと残念でした。花道の引っ込みは11日は台詞の途中で邪魔が入り気の毒なことになりましたが、25日は気合が入った芸をたっぷりと堪能させてくれました。

芝雀の藤の方には品があり、きりっとしたところが良かったです。富十郎の弥陀六は凛々と響く声は元武将らしく力強かったですが、台詞の間にいまひとつ気持ちが伝わってこなかったように感じました。富十郎の弥陀六の襦袢はよくある平家の武将の名前が書き散らしてあるものではなく、梵字だったのは珍しかったです。義経に「弥平兵衛宗清待て」と呼びとめられた時「弥平さん、弥平さん」と自分ではないように装う演出もなしでした。芝翫の義経は存在感があり、歌昇の堤軍次は下手すると妙にべたついてしまうこの役をきちっと演じていました。

昼の部の最初は司馬遼太郎作「竜馬がゆく」立志篇。今年が竜馬没後140年にあたるるのを記念して舞台化されたそうです。

―時は幕末、横須賀近くの海辺。日本に開国を要求し再来したペリーの黒船を長州の兵たちが監視している。そんなところへ他藩の間者がまぎれこんだと騒ぎが起こる。後へ通りかかった長州藩の桂小五郎は若い武士と出あい「いっしょに黒船をともにのっとらないか」と誘われる。

あやしんだ桂小五郎はこの武士と切りあうが、小五郎の刀は折れ、若者は刀の刃がこぼれたと嘆いて勝負をなげだす。若者は自分は土佐藩の間者だとうちあけ、相手が名高い斉藤道場の桂小五郎だと知ると千葉貞吉道場の坂本竜馬と名乗る。

竜馬は藩主に洋式の軍隊の重要性を言上したが、とりあげられなかったと悔しがる。さらに土佐藩には長宗我部以来続いている郷士たちと、後からやってきた山之内の家来・上士たちとの間に身分の差があり、郷士は家臣にも数えられずさげすまれているのだと語る。小五郎と竜馬は友の契りを結び、ともに国を変えようと誓う。

それから数年後のこと。土佐の永福寺の近くで郷士の中平忠一郎が実家からの帰り道、酔った上士たちにからまれる。上士たちは忠一郎が雨の日に郷士が履くのを禁じられている下駄を履いているのをとがめる。土下座してあやまる忠一郎に上士たちはふんだりけったりの乱暴を働き、ついに刀を抜いた忠一郎を無残にも切り殺す。

そこへかけつけた忠一郎の兄・池田寅之進は、無礼討ちだとうそぶく上士たちを切って仇を討つ。次の日、池田の家には大勢の郷士たちが集まり、上士と戦をしようと気勢をあげている。そこへやってきた竜馬は寅之進を脱藩させて江戸へ逃がしこの事態を収拾しようとする。

だが上士たちが寅之進をひきわたすように要求してきて争いが避けられない様相になると、寅之進は自害する。無念の思いをこらえて介錯した竜馬は、理不尽な土佐藩と決別し、寅之進のためにも世の中をひっくりかえしてやると誓うのだった。

江戸へ出た竜馬は気の合う千葉道場の千葉重太郎とともに、無能な幕閣の中枢・勝海舟を抹殺しようと海舟の屋敷へ赴く。海舟は竜馬たちが暗殺にきたことを見抜くが、広い世界と日本の現状を諄々と話てきかせる。血気にはやる重太郎が刀を抜くがピストルをちらつかせる海舟には手が出せない。

海舟がアメリカでは身分は平等で下駄屋の息子でも国が治められるのだと話してきかせると、感動した竜馬はぜひ海舟の弟子にしてくれと頼み込む。そしてどうしたら列強とたちむかえるかと尋ねる竜馬に海舟は、開国して交易を盛んにし、利益をあげて軍艦を作ることだと言い、藩を越え国として事に当たるべきだと語る。

これを聞いた竜馬はさらに進んだ考えを示し、一つの国となるためには幕府を壊し天皇のもとに万民平等の世の中を作るべきだと言う。さすがの海舟もこの発想には驚くが、竜馬の器の大きさを認める。海舟の弟子となった竜馬は幕府の軍艦操作所で咸臨丸を眺めながら、理想の世界を実現するために力を尽くすことを誓う。

染五郎が天衣無縫な竜馬を好演。歌昇の桂小五郎とのめぐり合う場は現実味が欠けていたように思えましたが、百姓女・すぎの歌江がそれを補っていました。第二幕の雨の日に禁じられている高下駄を履いたと上士に因縁をつけられたことがもとで死ぬ郷士の兄弟の話は強く印象に残りました。若い郷士の種太郎が初々しく、敵役の薪車が思い切りよく憎らしげに演じていました。

勝海舟の歌六は、べらんめえが似あっていていかにも肝が据わっている人物。その勝にこれからの日本の進む道を語る竜馬を染五郎は気持ちよく演じていましたが、強く出すとひんぱんに裏がえるかすれ声がどうにも気になり、それさえ改善されたら良いのにと残念に思いました。

次が玉三郎と福助の舞踊「二人汐汲」。

―松風と村雨の姉妹は須磨に流された在原行平に愛されたが、行平が許されて京へ帰るとき捨てられ、二人は嘆きながらはかなく死んだ。その二人の亡霊が在りし日の思い出を、行平が形見に残した烏帽子と狩衣をまとって華やかに踊り、いつしかまた消えていく。―

二人の美しい女形がせりあがってくると、客席のあちこちからため息が聞こえました。二人を比べると、着慣れた着物のように柔らかくてしなやかな玉三郎に対して福助の特に口元の硬さが目に付きました。玉三郎が菊之助と二人で踊った「二人道成寺」では、そのつど二人の関係が変化するのが感じられ大変興味深かったですが、今回は特に二人で踊ることによって特別な何かが起こったようには残念ながら思えませんでした。

この日の大向こう

この日は声はあまりたくさんは掛かりませんでした。会の方はお一人だけでがんばってかけていらっしゃいました。

熊谷が花道の引っ込みで主の命でやむなく敦盛の身替りにした我が子小次郎の首をみながら「十六年は一昔、夢だ、ああ夢だ」と悲痛な述懐をするとき、「一昔」と言ったところで年配の女性の声が台詞を さえぎるように「はりまや」と掛かりました。それだけでもガッカリでしたが 「夢だ」が終わるとさらに「お見事」という声まで聞こえたのには全く頭をかきむしりたくなりました。(ーー;)

先月の政岡が子供の遺体を前に嘆くところでも、「待ってました」と掛けた方がいましたが、お芝居の悲劇的内容を考えに入れていない声ではないかと思います。

吉右衛門さんはわずかにひるんだ様子でしたがすぐに立ち直り幕外の引っ込みは立派でした。そのガッカリな声は一階から聞こえたようで、お芝居を見慣れた方かもしれませんが、この二声でお芝居の雰囲気はズタズタになってしまいました。

あの台詞は「一昔」では切れていないので、間で掛けるのは絶対にやめていただきたいと思います。

千穐楽前日の25日はNHKの録画があり、会の方も5人いらしていてしまった良い声が適当に掛かっていました。先日無残なことになった花道の引っ込みもこの日はとどこおりなく済みほっとしました。

しかしながら最後の最後で「大当たり」と掛かったのは、このお芝居に似合う声だろうかと疑問に感じてしまいました。なるほど吉右衛門の熊谷は見事な出来であり、たしかに大当たりであるとは思うものの、ここではあえてかけないほうが芝居の余韻というものが残るのではないでしょうか。

歌舞伎座9月昼の部演目メモ
「竜馬がゆく」 染五郎、歌昇、宗之助、歌六、薪車
「熊谷陣屋」 吉右衛門、福助、芝雀、芝翫、富十郎
村松風二人汐汲」 玉三郎、福助

目次 トップページ 掲示板

壁紙:「まさん房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」