三人吉三 コクーン歌舞伎 2007.6.26 W188 | ||||||||||||||||
20日の午後、渋谷シアターコクーンへ「三人吉三」を見に行きました。
「三人吉三」のあらすじ (殺した犬のたたりで身重だった伝吉の女房は身体中に斑のような痣のある子を産み、その子を道連れにして川へ飛び込んで死ぬ。前非を悔いた伝吉は悪事から足を洗って、大川に浮かんだ死人を埋葬することをかって出るので、土左衛門伝吉と呼ばれるようになる。) 軍蔵が与九兵衛とともに刀を待っているところへ、木屋の手代・十三郎が庚申丸を届けにきて、代金の百両を受け取っていく。軍蔵はこれを出世の道具にしようと与九兵衛に研ぐように命じ預ける。 柳原辺りを通りかかった十三郎は親孝行で評判の夜鷹・おとせと出会う。心づけを渡して行こうとする十三郎はおとせにひきとめられ枕をともにするが、どさくさにまぎれて大事な百両を落としてしまう。 もと安森の家に仕えていた若党・弥助は軍蔵に庚申丸を返せと迫って切りあいになり、軍蔵は死ぬが刀を見つけられないまま弥助は自害する。 両国橋西川岸 与九兵衛と太郎左衛門は軍蔵が死んだと聞き、庚申丸を自分の物にしようと争う。 二幕目 大詰 「三人吉三」は平成13年にコクーンで上演され、雪崩のようにどっと落ちてきた大量の雪に覆いつくされた三人の壮絶な最期はまだ鮮明に記憶に残っていますが、あれからすでに6年。 まずのっけからどぎもを抜かれたのは、生きた白い犬が幕開き(最初から開いていましたが)早々トコトコと舞台を横切っていったことでした。昔生きた馬を舞台に出したら花道でおしっこをしてしまって困ったという話は聞いたことがありますが、このワンちゃんは極めてお利口で寄り道もせずまっすぐに歩いて行き、客席は大いにどよめきました。(このワンちゃんはもう一度伝吉内の場でも登場しました。) 犬はこの話の中で大変重要な要素で、前回は芝居が始まるかなり前からロビーに犬の鳴き声が聞こえていて、なかなか上手い工夫だと思いましたが、この生きた犬の残した印象は強烈でした。この後に刀を盗んだ伝吉にあちこちから吠え掛かる犬たちは差し金で遣うぬいぐるみだったのも面白いと思いました。 今回はややこしい発端を手際よく整理してわかりやすく見せたのは、成功だったと思います。客席のあちらこちらからふいに現れる登場人物に、特に平土間のお客さんたちは右往左往。百両を落として呆然自失の十三郎がまるで草原にでもわけ入るように客席の真ん中にふらふらと入っていってしゃがみこんでしまった光景は今まで見たことがなく、舞台と客席とが一体となるコクーンらしい演出でした。十三郎の勘太郎、おとせの七之助ともに前半が大変良く、しっとりと情感のあふれる二人には舞台が歌舞伎座でも不足はないと思いました。 前半で太った老人・金貸し太郎左衛門に扮した勘三郎、金を受け取って「今度は申告しなくちゃ」とさかんに踊りながらギャグをとばしていたのには、ちょっとついていけませんでした。^^;色黒で眉が太く出っ歯の海老名軍蔵を演じた橋之助が、どうみてもまるっきり別人に見えたのには驚かされました。 「夏祭」の儀平次で忘れられないほど強烈な儀平次像を作り出した笹野高史は今回伝吉を演じましたが、一人だけ七五調に乗らないので、私には伝吉の印象が弱く感じられました。伝吉が十三郎を捨てた経緯を語る独白の後ろにビーンというようなシンセサイザーの音楽がずっと聞こえていましたが、ちょっと大きすぎて台詞がよく聞こえなかったのも惜しまれます。この同じ音楽が吉祥院の場などでも流れていましたが、お嬢の台詞には優しげな音楽がついていて、これは良かったと思いました。 お嬢吉三の名台詞は前回と同じく、回転している丸い池にかかる橋の上で、後ろ向きの姿勢から「月も朧に白魚の」と始め、池と一緒にまわりながら最後は正面を向いて「こいつぁ、春から縁起がいいわえ」と言い終えるというやり方。福助は前回は散文調でしたが、今回は歌おうとしていたのではないかと思います。しかし悲鳴のような声が頻繁に混じるのは聞き辛く、もっと普通の調子でやってくれたらいいのにとため息が出ました。 お嬢吉三は女ではなく男なので真女形にはとてもやりにくい役だろうと思いますが、男になった時との差をつけるためか、女の時はかん高い声で男になるととたんにどすのきいた地声というのはあまりに色気がないと思いました。 この後百両をめぐるお嬢吉三とお坊吉三のやりとりで、回転する水槽の上の橋を使って台詞を言いながらダーッと走って切り合ったり鼻がつきそうな位近づいたりと、ほとんど動かない普通のやり方とはかなり違いましたが、台詞まわしの面白さで見せる歌舞伎とは別なものを目指しているのは確かなようです。 普通の大川端の場だと三人が血兄弟の契りを結ぶ件にだいぶ時間がかかりますが、それを形だけみせてはしょったり、十三郎などが事情を説明するところを犬にワ〜ンワンと鳴かせてすませたり、長い話をスピーディに運ぼうとする試みがあちこちに見られました。 夜鷹のおいぼ(芝喜松)、おはぜ、おてふの三人が蛸の足をふりまわしながら三人吉三の鸚鵡をするところは泥臭い味わいが面白く、発端でちょっとだけ顔を見せるどろ亀おさんの小山三にも得がたい存在感がありました。 橋之助は時々気になっていたゼーゼーと息を吸う音がかなり減り、そうすると二枚目ぶりが際立って素敵なお坊吉三でした。ところでお竹蔵でお坊が伝吉と争うとき、あやうく負けそうになったのには、びっくり。そんなお坊は初めてで、これは新解釈だと思いました。 勘三郎はおとせと十三郎の首を抱えて奥から出てきたところが涙を誘い、この首が勘太郎、七之助の顔にそっくりだったこともあって、よけい気持ちが入ったのかもしれません。二人を殺す墓場の場はカットされたのは見ごたえのある場だけに惜しい気がしましたが、勘三郎はその物足りなさを気迫でおぎなっていました。お嬢とお坊は花道と仮花道にあたる通路をそれぞれひっこみましたが、普通とちがって和尚は舞台にそのまま残り、二つの首をかかえ花道七三でする大見得がみられなかったのは残念でした。 火の見櫓の場では白い衣装を着た捕り手たちが雪衣のかわりも勤め、群舞のように走りまわりながら塀や櫓を動かしていたのはコクーンらしい演出。 追い詰められた三人が、まるで影と戦っているように斬りあいながら阿修羅のような形相で花道や仮花道にあたる通路に走り出てきたのは恐ろしいほどの迫力で、最後にしんしんと降る雪の中で呆然とたたずむ三人の姿には悲しみが感じられました。 ついに互いに刺し違えて命をたつ三人。死んだ二人を抱きかかえる和尚の動きがとまった時、子守唄が聞こえてきてそれが終わると和尚はばったりと息たえました。おそらくこの子守唄は椎名林檎の声だったのでしょう。いささか唐突にも思えましたが後味はサラッとしていて悪くなく、死んだ若者たちへの鎮魂歌のように感じられました。客席にも静かに輝きながら雪がふってきて、とても綺麗なラストでした。 |
||||||||||||||||
この日の大向こう | ||||||||||||||||
最初から数人の方が声を掛けていらっしゃいました。会の方もお二人見えていて「月は朧に白魚の」の前には「まってました」と大向こうさんの声が続けて聞こえました。笹野さんには「淡路屋」とさかんに声が掛けられていました。 途中でお一人帰られると、途端に寂しくなり場も深刻な雰囲気になったためか一般の方の声もあまり聞こえなくなりました。終演後カーテンコールが3回あり、勘三郎さんがお手柄の白いワンちゃんを抱いて登場すると立ち上がった観衆からひときわ大きな拍手がおこっていました。 |
||||||||||||||||
6月コクーン歌舞伎演目メモ | ||||||||||||||||
●「三人吉三」 勘三郎、橋之助、福助、勘太郎、七之助、亀蔵、笹野高史 |
壁紙&ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」