「菊畑」 錦之助襲名 2007.4.12 | ||||||||||||
6日に歌舞伎座中村錦之助襲名披露公演の昼の部を見てきました。
「菊畑」のあらすじはこちらです。 昭和の大映画スター、萬屋錦之介は多くの人の記憶に残っていますが、歌舞伎役者だった中村錦之助を覚えていらっしゃる方はあまり多くはないことでしょう。錦之介の甥にあたる信二郎がこの中村錦之助をつぐにあたって、なんで映画スターの名前を継ぐのかという疑問を持った方も多いかと思います。 このことについて新・錦之助は、次男である自分には継ぐ名前がなかったことと、初めは戸惑ったけれど「比叡の曙」の中の「人間は人々の記憶にある限り永遠に行き続ける」という台詞を聞いて、大変世話になった叔父の名前を継いで次代へつないでいけば、永遠に生き続けることができると思ったと筋書きのインタビューで語っています。 新・錦之助に一番似合う役というと、今回の虎蔵のような優しげな二枚目。その期待にたがわず「菊畑」で錦之助が演じた虎蔵には初々しくはんなりとした雰囲気と源氏の御曹司としての気品が感じられました。 新・錦之介が10年来師と仰いできた富十郎が演じた鬼一法眼は、初日後に膝を痛めたためか、普通だと花道から出て七三で眼鏡をかけて菊を愛でるはずが、上手の門から腰元の京蔵に支えられて出てきたのがとても痛々しかったですが、鬼一法眼はもともと病気という設定なので違和感はありませんでした。 富十郎の声は凛々と力強く響いて器の大きさを感じさせました。劇中で行われた口上では他が皆正座している中一人床几に腰掛けてではありましたが、新・錦之助のために心のこもった挨拶をしました。 新・錦之介の親戚にあたる吉右衛門の智恵内は、皆鶴姫とのやりとりに悠揚としてとぼけた持ち味が生きて面白く感じました。兄・時蔵の皆鶴姫、従兄弟・歌昇の湛海と萬屋一門がバックアップした「菊畑」でした。 序幕は曽我の対面の前に必ずついていたという所作事の中でも代表的な作品という「當年祝春駒」(あたるとしいわうはるこま)。五郎十郎が春駒(木馬の首だけのようなもの)売りとなって工藤の前に現れるという趣向です。歌六の工藤に獅童の五郎、勘太郎の十郎と、萬屋一門の若手それに親戚筋の中村屋兄弟で華やかに踊りました。 真山青果作「頼朝の死」は心理サスペンスという感じの新歌舞伎です。 そこへ墓所近くへ入り込んだ女が捕らえられてくる。召使をつれ、薄物を被ったこの女は「決して怪しい者ではないのでお墓へお参りさせて欲しい」と頼むが、名を名乗らないので追い払われそうになる。 すると覆面の武士が通してやるようにと言う。不審に思った侍たちが覆面を取るとそれは頼朝の家来で最近病気療養中ということで休んでいる畠山重保だった。「この女たちは尼御台・政子のお使いだ」という重保の口ぞえで女たちは墓参を許される。 門前で一人物思い沈む重保に、大江広元が声を掛ける。重保は広元に死に場所を教えて欲しいと訴える。重保は頼朝の死について重大な秘密を胸にいだいていた。 頼朝は安徳天皇の亡霊を見て落馬し、それがもとで亡くなったとされていたが、実は妻・政子の侍女、小周防に懸想して築地塀を越えて忍び込もうとするところを、曲者と間違えた重保によって斬られて命を落としたのだ。頼朝は死ぬ間際に「三度名を問うても答えがなかったために斬った重保の行動は作法にかなっていた」と誉めたが、重保はその日以来主殺しの罪に悩み苦しんできたのだ。 この秘密を知る三人の中の一人・広元に説得されて墓参した重保だが、いたたまれなくなり門の外へ走り出る。そこには先ほどの政子の侍女が待っていた。その女こそ頼朝が思いを掛けた女・小周防で、重保とはかねて思い合う仲だった。 自分がまさか頼朝の死の原因になったとは知らないで重保への想いを打ち明ける小周防に、苦しみに耐え切れなくなった重保は全てを打ち明け、自分たちは結ばれない運命なのだと語る。だがその様子を中野五郎が見ていた。 その夜の将軍頼家の館。寝所で頼家が月を眺めていると、法師たちの領地争いがもちこまれ、頼家は両者を呼んで強引に裁定を下すが、皆は憤慨して立ち去る。 そこへ重保がやってきて、出家を願い出る。そのわけを尋ねても、重保は決して口を開こうとしない。そこへ尼御台政子と広元も姿を見せ、執拗に重保を問い詰める頼家をたしなめるが頼家はやめようとはしない。 既に中野五郎から昼間の様子を聞き、かねて不審に思っていた頼朝の死の真相を重保が知っているに違いないとにらんだ頼家は、小周防を呼び寄せ「もし本当のことをしゃべるなら、だれも罪にはとわないし重保と一緒にさせてやろう」と言う。追い詰められた小周防は激しく動揺する。 その様子を見た重保は、小周防に「自分もおまえのことを思っている」と打ち明け、一刀のもとに彼女を斬り捨てる。「全てはお家のため」と言う重保。激怒する頼家に、政子は「家は末代、人は一代」と言い放つ。家の存続のためには、将軍である自分でさえ真相を知ることが許されないむなしさに、頼家は泣き伏すのだった。― 緊迫感にみちたお芝居で、将軍頼家の梅玉は父の死によって若くして将軍の地位を得たものの、全てが思うようにならない青年の焦燥感を見事に表現していてはまり役。政子の芝翫は、息子よりも家を大事にする尼将軍といわれた政子の冷厳な性格がよく出ていたと思います。 大江広元の歌六、重保の歌昇ともにがっしりと組み合ってお芝居を構築していたという印象。小周防の福助ももろく儚い感じが良かったです。襲名公演には少し渋い演目かと思いましたが、全員のアンサンブルもよく、見ごたえのある舞台でした。 その次が仁左衛門と勘三郎の舞踊「男女道成寺」。男の狂言師左近の顔のまま、白拍子桜子の衣装と鬘で現れた仁左衛門は最初ちょっといかつく感じられましたが、狂言師と見破られて男の姿になってからは心から楽しそうに踊っていました。 花子と桜子が上手と下手で同時に鐘を中啓で指すところは、気の動きが目に見えるようで迫力を感じました。勘三郎も闊達な踊りを堪能させてくれました。お互いに競いあうというのではなく、刺激しあってより楽しげに面白く踊ってみせてくれた「男女道成寺」でした。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||
襲名演目の「菊畑」にはたくさんの方が声を掛けていらっしゃいました。会の方も2〜3人見えていたということです。今月は掛けすぎの声も聞こえず、ほどよく声が掛かっていてほっとしました。 「當年祝春駒」で、中村屋兄弟が揃って見得をしたところで「両中村屋」と声が掛かりました。気になったので知り合いの大向こうさんに伺ってみたところ、あまり語呂も良くないと思うし、掛けるのなら「屋」はいらないだろうということでした。 「男女道成寺」で中央で二人が向かい合って座るところで「御両人」と声がかかりましたが、これは二人そろってこれ以上ないというくらい綺麗にきまったところで掛けるべき声ではないかしらと思いました。 |
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歌舞伎座4月昼の部演目メモ | ||||||||||||
昼の部 ●「當年祝春駒」 獅童、勘太郎、七之助、種太郎、歌六 ●「頼朝の死」 梅玉、歌昇、歌六、福助、芝翫、東蔵、 ●「男女道成寺」 仁左衛門、勘三郎、 ●「菊畑」 富十郎、錦之助、吉右衛門、時蔵、歌昇、隼人 |