元禄忠臣蔵T 吉右衛門の内蔵助 2006.10.26 W166

19日、国立劇場で上演されている「元禄忠臣蔵」の通し第一部を見てきました。

主な配役
大石内蔵助 吉右衛門
妻・りく 芝雀
息子・松之丞 種太郎
浅野内匠頭 梅玉
片岡源五右衛門 信二郎
多門伝八郎
堀部安兵衛
歌昇
大野九郎兵衛 芦燕
小野寺十内
奥田孫太夫
歌六
大石瀬左衛門
磯貝十郎左衛門
亀寿
井関徳兵衛 富十郎
息子・紋左衛門 隼人

「元禄忠臣蔵」のあらすじ
「江戸城の刃傷」
第一幕
「江戸城内松の御廊下」
元禄14年3月14日、江戸城が朝廷の年頭勅使を接待するという大事な日に、一連の儀式を取り仕切る高家筆頭・吉良上野之介にかねてから遺恨をもっていた饗応役の浅野内匠守は、江戸城松の廊下で突然刃傷におよんだ。

居合わせた梶川与惣兵衛は、吉良に止めをさそうとする内匠守を背後から抱きとめ、刀を取り上げる。すぐに目付・多門伝八郎らが訊問のためにあらわれたが、内匠守は刃傷におよんだ理由を話そうとしなかった。

「江戸城内御用部屋」
事件が起こってからわずか5時間で裁定がおり、内匠守はその日のうちに田村家において切腹、吉良にはお咎めなしと決まった。柳沢美濃守が出したこの判決に多門伝八郎は強く抗議し、喧嘩両成敗を主張する。

第二幕
「田村右京太夫屋敷大書院」

だが裁定は覆らず、内匠頭は田村邸に移される。切腹の検視のために田村邸にやってきた伝八郎らは、切腹が大名として屋内で行われるのではなく庭先で行われると知って怒るが、公儀を恐れるこの屋敷の主人は万事言いつけどうりだと譲らない。そこへ浅野家小姓頭・片岡源五右衛門が今生の暇乞いを願い出、伝八郎の一存によって許される。

「同小書院」
切腹の場に臨んで内匠頭の心残りは吉良の容態だが、浅傷と聞いて気を落とす。伝八郎はそれとなく内匠頭に庭の隅に源五右衛門が控えていることを教える。すると内匠頭は遺言といって田村家の家来に書き取らせながら、目をみかわして源五右衛門に別れを告げ辞世の歌を読み、三十五歳でこの世を去る。

「第二の使者」
第三幕
「播州赤穂城内大広間」
3月19日(事件の5日後)の明け方。前夜もたらされた浅野内匠頭刃傷の第一報の重大さに、主だった家臣が登城して第二の使者がくるのを待っている。城の門前には家臣たちがつめかけているが、家老大石内蔵助は詳細がわかるまではと固く門を閉ざしている。

家老・大野九郎兵衛や番頭・奥野将監は領内の通行禁止などを行うべきだと言うが、常々昼行灯と陰口をたたかれるほど温厚な人柄で知られる内蔵助は「赤穂四郡あっての浅野家」と百姓町民の生活の保全をまず心がけるべきだと主張する。

このような中、ひそかに登城した内蔵助の嫡男・松之丞(14歳)は、父に武士としての道を貫いて欲しいと涙ながらに訴えるが、内蔵助は大事にあたっては慌てて決断すべきではないと取り合わない。

ようやく到着した第二の使者・原惣右衛門と大石瀬左衛門は、内匠頭切腹の様子を息を乱しながら述べる。内蔵助は当日の勅使饗応が無事に行われたと聞いて安堵はしたものの、主君の無念を思って慟哭する。

そこへ京都留守居役の小野寺十内が到着。「帝は吉良を討ち損ねた内匠頭に同情している」との報告を受けた内蔵助は最も案じていた朝廷への不敬を問われなかったことに安堵するのだった。

「最後の大評定」
第四幕
「播州赤穂城下大石内蔵助屋敷玄関」
「同 中座敷」
「同 元の玄関」
事件から1ヶ月たち、毎日のように開かれる評定では、城明け渡し、籠城、切腹と意見は揺れ動き、一向にはっきりしない内蔵助の態度に人々はいらだちを覚えている。

そんなところへ内蔵助の親友で、二十年前に先代の藩主から勘当された井関徳兵衛が息子を伴って内蔵助の屋敷へやってきて、内蔵助を出せといきまく。

一方奥座敷では大野九郎兵衛が、下のものへ厚く金を配分しようという内蔵助の意見に納得がいかない様子。そんな大野を討とうと大石邸に押し入ってきた岡島八十右衛門を内蔵助の妻・おりくは厳しくたしなめる。

しかしおりくにさえ内蔵助の真意はわからなかった。松之丞は父・内蔵助に元服を願い出るが「外聞を意識した忠義にすぎない」と叱られる。

玄関先の伴待ちで酒を飲んでいた徳兵衛は、登城しようとする内蔵助と会い、二人は昔を懐かしむ。だが内蔵助は徳兵衛の息子・紋左衛門に「おそらく死ぬ覚悟できたのだろう。徳兵衛の気持ちは心底嬉しいが、まだ14歳のそなたには侍を捨てて命永らえて欲しい」と諭す。

内蔵助は徳兵衛に城内に入ることを禁じ、登城する。武士としての目標を奪われた徳兵衛は号泣する。

第五幕
「赤穂城内表座敷の間」
「同 黒書院の間」
城明け渡しの期限が迫り、緊張が高まる中、江戸から仇討派の奥田孫兵衛、堀部安兵衛らや、内匠頭の側に仕えていた片岡源五右衛門、磯貝十郎左衛門が到着し、激しい言い争いになる。

浅野家の縁続きとして災いが及ぶことを恐れる大垣や広島からの使者たちは開城を勧め、家臣にも保身に走る者たちが増え始める。

最初の評定では300人以上いた籠城討ち死の志願者だが、家老の大野まで逃げ出す有様。ついに内蔵助は最後の評定を開く。

内蔵助はまず「内蔵助のいうことに同意する」という誓紙血判を要求するが、応じた人数はわずかに56人。その上で内蔵助は皆に「今日を限りに城をでること」「公儀政道への批判は慎むこと」「生死進退を内蔵助に預けて欲しい」と申し出る。

安兵衛や源五右衛門から吉良が生きていることを聞いた内蔵助は「今ここで公儀に反抗するより、浪人となって流浪しながらも最後の志をまげない道を選びたい」という。これを聞いて、今まで血判をしぶっていた堀部安兵衛たちも内蔵助の仇討への強い決意を信じ、血判に加わる。評定は全員一致で開城ときまり、城に名残を惜しみながら一同は嗚咽する。

第六幕
「赤穂城大手門外」
「赤穂城外往還」
月あかりの中、井関徳兵衛は息子をともなって赤穂城の門外に立ち、なつかしげにあちこちを指差し説明している。その徳兵衛に厩番に化けた高松藩の間諜がぶつかる。その厩番に内蔵助が馬を全部売り払ったことを確かめた徳兵衛は失望し、もはやこれまでと以前に住んでいた屋敷跡へ向かう。

城内から内蔵助が出てきて、一人静かに家路をたどる。すると徳兵衛がうずくまっていて、傍らには既に息絶えた紋左衛門が横たわっている。

徳兵衛は内蔵助に、本心を聞かせてくれと必死に頼む。そして脇差を自らの腹につきたて、死出の旅へ踏み出した自分には本当のことを聞かせてくれるだろうと迫る。薄れゆく意識の中で「内蔵助は天下のご政道に反抗する気だ」という言葉を耳にした徳兵衛は安心し「俺は先に行く」と後を託して死んでいく。

内蔵助は親友の遺体をじっと見つめながら「やがて行くぞ」と語りかけ、歩み去る。

国立劇場開場40周年を記念し、3ヶ月にわたって真山青果作の新歌舞伎「元禄忠臣蔵」の全編を初の通し上演するという好企画。「元禄忠臣蔵」は昭和9年「大石最後の一日」が初演されて以後、昭和15年「御浜御殿」までを二代目左團次が初演。

今月はまず吉右衛門の大石内蔵助で発端の三篇が上演されました。11月に上演される「御浜御殿」「南部坂雪の別れ」、12月に上演される「大石最後の一日」は単独でも時々上演されることがありますが、今月演じられる部分はめったに見られない、又いつ見られるかもわからない珍しい演目とあって、客席は超満員。

「江戸城の刃傷」の幕が開くと、浅野内匠頭が刃傷におよんだ直後という衝撃の場面から始まり、一挙に緊張が高まります。この芝居では刃傷、切腹、仇討そのものの場面は描かれていないところが本家の忠臣蔵とは対照的です。

浅野内匠頭の梅玉には、殿様らしい品格は充分でしたが、内匠頭の性格とされている「すぐにきれやすい」ピリピリした雰囲気は乏しく、あくまでも吉良に止めを刺そうという気迫があまり感じられませんでした。

柳沢美濃守が下した内匠頭への処分に、果敢にも意義を申し立てた多門伝八郎(おかどでんぱちろう)がこの作品ではかなりクローズアップされますが、若年寄りたちとの丁々発止のやり取りはかえって台本で読むとよく判り迫力があって面白く感じます。

「元禄忠臣蔵」は昭和十年から16年まで大衆雑誌「キング」に総ルビつきで初掲載されたという話が筋書きに出ていましたが、戯曲として読んでみてもとても面白い作品だということが納得できます。

もっともこの芝居には登場人物が多く、二役演じる役者が全部で15人もいるため、初めて見るものにとっては判りづらい面もあります。

内匠頭切腹の場面も「仮名手本忠臣蔵」とは違って、家臣への遺言と辞世の歌を詠むところまで。この場では事件の当日にたいした審議もされないまま大名の切腹の格式もなく、屈辱的な死を迎える内匠頭の無念を梅玉が的確に表現していました。

「第二の使者」では赤穂城内の大広間で家臣たちが、門前に集まった人々が門を打ち破りそうだと不安げに右往左往しているところに、吉右衛門の大石内蔵助が凛とした声で登場。真山青果らしい鮮やかな台詞廻しに今までモノトーンだったのが、みるみるうちにカラーになったような生き生きとした舞台になり、吉右衛門の堂々たる役者ぶりをまのあたりにした思いがしました。

ここから「最後の大評定」にいたるまで内蔵助は、決して本心を明かそうとせず、言を左右して最後までついてくる者をふるいにかけるわけですが、吉右衛門はついには全員の気持ちを掌握していく内蔵助という人物のはかりしれない大きさを表現していました。

はっきりと内蔵助から「自分は公儀にたてつく気だ」という言葉を聴くことができたのは、内蔵助の友人で息子と共に死んでいった徳兵衛ただ一人。徳兵衛を演じた富十郎の、張りのある声に仇討に参加したくても出来ないあせりと怒り、悲しみが滲み出ていて内蔵助との対話はとても聞き応えがありました。徳兵衛の息子紋左衛門を演じた隼人が、哀れでなんともいえない切なさを感じさせました。

徳兵衛親子の死を見届け、城を後にする内蔵助が花道七三で慟哭する姿を見て、泣かずにいられるものだろうかと思うほど吉右衛門は内蔵助そのものでした。

この日の大向こう

めったに上演されない演目の通し上演のためか客席は満員でしたが、掛け声もあちこちから掛かっていました。会の方の姿は見えなかったようです。

新歌舞伎のため、出と引っ込みで掛けられる方が圧倒的に多く、台詞をはった時に掛ける方も時々いらっしゃいました。女性の方もお二人ほど違和感のない声を掛けておられました。

内蔵助が花道を引っ込む時には「大播磨」という声もちらっと聞こえていましたが、師匠に伺ったところ昔は新歌舞伎では「大〜」とは掛けなかったということです。

10月国立劇場演目メモ

●「元禄忠臣蔵」T
 「江戸城の刃傷」 梅玉、歌昇、信二郎、彦三郎
 「第二の使者」 吉右衛門、歌六、芦燕、東蔵
 「最後の大評定」 吉右衛門、芝雀、富十郎 


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