荒川の佐吉 清々しい佐吉 2006.6.10 | ||||||||||||||||||||
8日と13日、歌舞伎座昼の部を見てきました。
「荒川の佐吉」(あらかわのさきち)のあらすじ ちょうどここへ来合わせた、両国界隈をとりしきっている大親分・鍾馗の仁兵衛の子分・荒川の佐吉が、権六を蹴り倒して親子を逃がす。権六は佐吉にだれの身内かと尋ねるが、佐吉が答えないので、ばかにした権六は佐吉に殴ったりけったりの仕返しをする。佐吉の友達の辰五郎が見かねて「佐吉は鍾馗の仁兵衛の子分だ」と叫ぶと、権六はあわてて逃げ出す。 その後へ鍾馗の仁兵衛と子分たちが通りかかり、佐吉は兄貴分の徳兵衛から叱られる。仁兵衛の一行が去ると、今まで茶屋で成り行きを見物していた浪人は、佐吉が「強いものが勝ち、弱いものは負けるこの世界が好きなんだ」というのを聞いて、何か納得した様子で立ち去る。 佐吉は鍾馗の仁兵衛の娘で、丸惣という大店の若旦那の囲われ者になり、子供をみごもっているお新に、祝儀物と届け、その足で甲府まで使いに出るために、辰五郎と連れ立っていく。 佐吉たちが去った後のこと、さきほどの浪人・成川郷右衛門が鍾馗の仁兵衛を襲ってその片腕を切り落とし、驚き騒ぐ子分たちを一喝して縮みあがらせ悠然と去る。 向う両国、鍾馗の仁兵衛の家 仁兵衛の下の娘・お八重と恋仲の隅田の清五郎は一人成川に向かっていくが、一太刀で切り殺される。 第二幕 そこへ甲府へ使いに行ったまま、旅先ではしかにかかって寝付いてしまった佐吉がようやく帰ってくる。自分がかたぎの大工に戻ってでも、親分とお八重を養うという佐吉の言葉を聞いて、勝気なお八重は不快に思う。 そこへ仁兵衛がお新の生んだ子を抱いて帰ってくる。この子は生まれついての盲目なため、丸惣ではひきとらないというので、仁兵衛はいくばくかの金をもらってこの子をひきとってきたのだ。仁兵衛は佐吉とお八重に夫婦になってこの卯之吉を育ててくれないかと頼む。しかし、お八重はわずかな金が欲しいばかりに卯之吉をひきとり自分に押し付けようとする仁兵衛に腹をたて、家を飛び出す。 仁兵衛は佐吉が昔作ったいかさま用のサイコロを取り上げ、佐吉がとめるのも聞かずに賭場へ出かけていく。 法恩寺橋畔 第三幕 ところで、卯之助を捨てたお新はその後丸惣の女将におさまったが子供が出来ず、人をたてて佐吉に卯之助を返してくれるように頼んできている。しかし不人情な親に卯之吉を返す気は、佐吉には全くなかった。 今日も丸惣出入りの鳶頭が土佐藩の部屋頭・忠助を伴ってきて百両の金で手をうたないかともちかけてきたが、佐吉が断ると力づくで卯之助を連れて行こうとする。無我夢中で佐吉は傍にあった手斧で忠助を殺める。 我に返った佐吉は、捨て身になった人間ほど強いものはないと悟り、長年思いとどまっていた仁兵衛の仇を討とうと飛び出していく。 向島請地、秋葉権現の辺 第四幕 だが佐吉はお新の人情のなさを非難して、いくら恩ある政五郎の頼みでもこれだけは聞けないとつっぱねる。するとお新は佐吉の脇差で死のうとするが、佐吉にとめられる。お新は佐吉に心からわび、夫が死にかけていて、一目卯之吉にあいたがっているので、どうか卯之吉を返してほしいと懇願する。 政五郎は丸惣の息子なら検校の地位を買ってやるのも造作もないこと、将来のことを考えるのなら丸惣に返してやるのが卯之吉のためだろうと佐吉を諭す。それを聞いて佐吉は、ついに卯之助を実の親へ返そうと決心する。 自分がいては卯之吉のためにならないから、すぐにも旅に出たいと言う佐吉に、政五郎は明日の朝、長命寺の茶屋で見送ろうと約束する。 第四幕 辰五郎に連れられてきた卯之助に見送られながら、佐吉は桜の散る中を旅立っていく。 真山青果作「荒川の佐吉」は、「最初はみすぼらしくて哀れで、最後に桜の花の咲くような男の芝居がしたい」と望んだ十五代目羽左衛門のために書かれ、1932年(昭和7年)に初演されました。(筋書き参照) 「伊勢音頭」の貢と同様仁左衛門の宝ともいうべき荒川の佐吉は、棟梁といっていいほどの大工の腕を持ちながら好んでヤクザの三下奴でいるという、独自の人生観をもった不思議な魅力のある人物です。 情を表現することにおいては、他の追従を許さない仁左衛門は、喧嘩も弱く、自信もない三下の時代から苦労して盲目の卯之助を育てる六年をへて、親分の敵・成川を討ち仁兵衛の縄張りをとりもどすまでの佐吉の変化を鮮やかに演じました。桜の散る中、全ての栄耀栄華を捨てて旅立っていく佐吉の潔さ。なんと清々しかったことでしょう。 仁左衛門の佐吉は、子供を思う情があふれていて、赤ん坊時代の卯之助を抱き上げたりあやしたりする時の、相手が人形とはとても思えないくらいの細やかな心遣いが佐吉の人柄を表していて胸をつかれました。 ところで8日と13日両方見て、微妙な違いを感じました。8日の方がすすりないている観客が圧倒的に多かったのです。私自身も二回目だからかなとも思いましたが、13日はあまり涙がでませんでした。 というのも、たとえば仁左衛門がお新に恨みを述べる「金持ちの根性ってものは・・・・・むごいものだねぇ〜」というところなど、8日のときはもうちょっと時代にはっても良いんじゃないかと思うくらい控えめだったのが、13日には思いっきりうたいあげていたことなどが原因ではと思います。 佐吉を初演した十五代目はたっぷりと台詞をうたってきかせる人だったそうですし、台詞まわしの上手い仁左衛門のことですから、「ものだね〜〜〜〜ぇ」と1オクターブくらいずり上げても少しも悪くはなかったですが、やはり技巧的だなと思ってしまいました。新歌舞伎に技巧が前面に出てくると、今までせっかく入り込んでいた世界から、ついと身をひきたくなります。 今回は原作どおり、序幕第二場「仁兵衛のうち」が上演されました。この場では仁兵衛の下の娘お八重と恋仲の隅田の清五郎が、たった一人で敵を討とうとに成川にかかっていき切り殺されるところが描かれています。 この場があると、お八重が父の仁兵衛に「佐吉と一緒になって卯之助を育ててくれ」と言われても素直に聞けず、家を飛び出した気持ちが判らなくもないという気がしました。短い場ですが、隅田の清五郎を演じた愛之助の苦みばしった良い声が印象に残りました。 佐吉の友人で、赤ん坊をかかえて困り果てている佐吉の力になる大工の辰五郎を演じた染五郎は、仁左衛門としっくりとかみ合った芝居がとても良かったです。「角力場」の二役では、声がすぐに裏返るのがどうして気になりましたがその点、辰五郎はごく自然で、いかにも江戸っ子らしい気風のよさ、人の良さがにじみ出ていて好演でした。ちなみにビデオで見ましたら、5年前に上演した時にはこの件を前の場に入れてしまっていました。 この芝居、それぞれの役者さんが皆役柄にぴったりでした。佐吉が何気なく言ったことをきっかけに仁兵衛から縄張りを奪い取る冷酷な成川の段四郎、おちぶれたあげくに殺されてしまう仁兵衛の芦燕、佐吉に卯之助を押し付けて家を飛び出す勝気なお八重の孝太郎、盲目の子供を捨てたことを後悔する母親・お新の時蔵、すべてを飲みこんで佐吉を説得する懐の深さを感じさせる相模屋政五郎の菊五郎、個性豊かな人々が密度濃く織り上げたドラマを堪能させてくれました。 昼の部の最初は舞踊「君が代松竹梅」。御所人形にようにおっとりした雰囲気の松の君を翫雀、流れるような動きが優雅で綺麗だった竹の君を孝太郎、そして梅の君を愛之助が踊りました。 次が「角力場(すもうば)」。幸四郎の濡髪長五郎は相撲小屋からでてくるところが大きく堂々としていましたが、床机に腰掛けている姿はなんとなく陰気に思えました。染五郎は相撲取りの放駒の長吉と全く相反するつっころばしの若旦那・与五郎の二役早替りで、若者らしいまっすぐな演技で良かったです。 その後が、厳島神社で8年前に初演された、松貫四こと吉右衛門作の舞踊劇「藤戸」、本名題「昇龍哀別瀬戸内」(のぼるりゅうわかれのせとうち)。 源平の戦いの後、藤戸の浦へやってきた佐々木盛綱のもとへ一人の老婆・藤波が、盛綱に協力して海の中道を教えたばっかりに殺されてしまった漁夫の息子のことを訴えにやってくる。 「戦場の習い」とはいうものの、深く後悔して老婆に詫びる盛綱が漁夫を殺して沈めた場所へきてみると、悪龍となった漁夫が海から現れ盛綱一行に襲い掛かるが、盛綱が経を読むと悪龍は消え去る。 吉右衛門が反戦と人間愛の気持ちを込めたというこの芝居は、能の「藤戸」の形をとっています。吉右衛門は老婆の嘆きを自然体で演じ、すっぽんから登場した後ジテの悪龍は素晴らしく豪快でした。 四拍子の囃子方に送られての幕外の引っ込みは、何度も七三と本舞台の間を行き来してみせたすえ、船弁慶のようにグルグル回転しながら入っていくというサービス満点の引っ込みでした。 梅玉は盛綱にぴったりでした。普通合狂言には女形はでてこないとおもいますが、この舞踊劇では歌昇の浜の男と福助の浜の女の踊りが長さもちょうど良く前半と後半をつなぐ役目を果たしていました。 そういえば、能の御幕のような五色の幕が下手だけでなく、上手にもあるのが珍しく思えました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||||||||
8日、けっこう声が掛かっていると思いましたが、会の方は2〜3人であとは一般の方が掛けられていたようです。「角力場」で茶屋の亭主を演じた橘三郎さんに「伊丹屋」と声がかかりました。 濡髪の「長吉はなにしてぞ。もうみえそうな(ポンと片足を前に踏み出す)ものじゃなぁ」というような時、ポンと踏む前に「高麗屋」と掛かっていたようでしたが、ポンと同時か直後の方が良いのではと感じました。 13日は「角力場」でお一人いらしてましたが帰られ「藤戸」の終わり頃からお二人見えてました。ベテランの大向こうさんお二人で、とても気合が入った声を掛けられていました。 その前に掛けられていた一般の方の声は、このお二人の声に遠慮されたのか、全く聞こえなくなりました。そんなわけで私も最後に佐吉が花道を引っ込む時の二歩目に一声だけ「松嶋屋」と掛けました。 ちょっと気になったのは染五郎さんに何度か七代目と掛けられていた方がいらしたことで、まだ若い染五郎さんに〜代目と掛けるのも疑問を感じますが、まして複数回は掛けないほうが良いのではと思って見ていました。 |
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六月歌舞伎座昼の部の演目メモ | ||||||||||||||||||||
●君代松竹梅 翫雀、孝太郎、愛之助 ●角力場 幸四郎、染五郎、高麗蔵 ●藤戸 吉右衛門、梅玉、 ●荒川の佐吉 仁左衛門、菊五郎、段四郎、時蔵、孝太郎、染五郎、芦燕 |