堀川 哀愁ただよう猿回し 2006.3.26 W142

8日と19日、歌舞伎座夜の部をみてきました。

主な配役
与次郎 我當
お俊 秀太郎
母・ぎん 吉之丞
横溝官左衛門 團蔵
井筒屋伝兵衛 藤十郎

「近頃河原の達引」(ちかごろかわらのたてひき)のあらすじ
「四条河原」の場
ここ京の四条の河原では、武士・横溝官左衛門と井筒屋の番頭万七、口入屋勘蔵が密談している。官左衛門は祇園の丹波屋の遊女・お俊にぞっこんでこれを身請けしたいと思うが、お俊には井筒屋伝兵衛という恋人がいて、伝兵衛もお俊を身請けしようとしていた。

そこで官左衛門は伝兵衛に身請けの金として100両を貸すが、その金は贋金で伝兵衛を陥れるための罠だった。

河原で伝兵衛が待つところへお俊がやってきて二人はお互いの気持ちを確かめる。お俊がたちさった後へ現れた官左衛門に、何もしらない伝兵衛は金を貸してくれた礼を述べる。だが官左衛門がことの真相を暴露したため、自暴自棄になった伝兵衛は官左衛門を切り殺して、その場から逃げさる。

「堀川与次郎内」の場
ここはお俊の兄で猿廻しを生業にしている与次郎の家。与次郎は母おぎんとくらしていて、目がみえないおぎんは近所の子どもに三味線を教えてわずかな金を得ている。長く患っていることをすまながる母を、与次郎は景気の良い作り話をして優しく慰める。

お俊は、いい交わした伝兵衛が殺人を犯してお尋ね者になり、その原因がお俊だったことから厳しく詮議されたが、丹波屋の主人の計らいで今はひそかに実家へ戻ってきている。

心中などさせないようにと主人に言われた与次郎は「二度と伝兵衛に会うな」とお俊に言いわたすと、お俊は伝兵衛にあてて書いた退き状を見せる。

その夜ふけ、伝兵衛がここへ忍んでくる。咳ばらいでそれと気がついたお俊が外に出て、小声で話していると目を覚ました与次郎があわてて、暗闇の中で伝兵衛をお俊をとり違えて家に引っ張り込み、お俊を外へ締め出す。

間違いに気がついた与次郎が伝兵衛にお俊の書いた退き状を見せると、伝兵衛はお俊の心がわりを責める。ところが戸の向こうからお俊は伝兵衛にその退き状をよく見てほしいと頼む。伝兵衛がそれを読んでみると、なんとそれは兄と母にあてた書置きだった。

与次郎は読み書きが出来ず、母は目が見えないので今まで気がつかなかったのだ。伝兵衛は二人に詫びながら、お俊の書置きを読み上げる。

伝兵衛と心中するのは前世からの定めと覚悟を決めているお俊は、自害しようとする伝兵衛を一人で死なせては女の道がたたないと、自分もかみそりで死のうとする。

この様子を見た母と兄は、せめてしばらくでも二人が生き永らえることができるようにと願う。与次郎はお初徳兵衛の唄を歌って猿回しを見せ、二人に杯をかわさせる。しかしこれは別れの水杯で、お俊と伝兵衛は母と兄の心遣いに感謝しながら旅立っていく。

為川宗輔、筒井半二、奈河七五三助合作の「近頃河原の達引」は1785年に歌舞伎化されて初演されました。元になった浄瑠璃の作者は不明ですが、今回上演された「堀川与次郎内」すなわち「堀川猿回しの段」は全三段のうち中之巻の切にあたります。

十一世仁左衛門がこの作品を原作に忠実に改訂して演じたことから「堀川与次郎内」は片岡十二集に選ばれ、以後はこの型が基本とされて伝えられていることから、今回十三代目仁左衛門追善公演の演目として、長男我當と次男秀太郎、それに坂田藤十郎という上方色が濃い役者さんたちによって上演されました。

花道から登場した与次郎の我當の背中のお猿さんが可愛らしく、どういう仕掛かわかりませんが、この猿が家に入るやいなや操り人形になって動きだしたのにはびっくり。このお猿は与次郎の母の膝に乗ってかわいがってもらったり、与次郎の足にしがみついたり愛嬌たっぷりのお猿です。

家でまっている子猿の様子も本物のように自然で、後のお初徳兵衛の猿廻しでもこのお猿の人形は大活躍でした。子役がこの猿を演じたビデオも見たことがありますが、十三代目の考案だという人形は子役が演じるよりも表情が豊かに見えて、とてもよかったです。

藤十郎はじゃらじゃらとしてふがいない伝兵衛にぴったり。秀太郎のお俊はちょっと地味ではありますが、思案しながら右手を懐に入れて立ちつくすところなど遊女の匂いがするようで印象に残りました。

我當の与次郎は実直で優しそうな青年でしたが、吉之丞の演じた母・おぎんの両手をとって話をしてから、手を離すところでそっとひざの上に戻してやったらよかっただろうに、目のみえない人の手を空中でいきなり離すのはどうしたことかと思いました。

19日に見た時は、吉右之丞の母は火鉢に手をおいたままで、与次郎はその上からそっと手で包むという動きで、これだと本当に親思いの優しい息子に見えました。それにしても与次郎は、帰宅してからいろいろとやらねばならないことが多くて大変です。

悲劇にもかかわらず、喜劇的な要素をたっぷり持ったこのお芝居、あわてものの与次郎がいろいろと面白いことをして笑わせます。たった一枚しかない布団の端に寝て、ごろごろと海苔巻きのように体に巻きつけ、最後にちゃんと頭が枕へ納まるのも愉快でした。

母親は目が見えず、与次郎が無筆なことから書置きを退き状と思い込むあわれな二人ですが、与次郎が猿を舞わせながら歌う「おさるはめでたや、めでたやな」という節には、なんともいえない哀愁がただよっていました。

この話は実際に起きたお俊伝兵衛の心中事件に堀川に住む猿回しが孝子として表彰されたということなどを合わせてつくられたものですが、心中の劇化が1722年に禁止されたため、原作では最後に二人が救われる結末になっているということです。

この喜劇的な与次郎と気品ある菅丞相、どちらも見事に演じたという十三代目の芸の幅の広さと豊かさを、改めて思ったお芝居でした。

中幕は富十郎とはじめて共演する菊之助の、先代菊之丞の振り付けによる「二人椀久」。8日に見た時は打掛を使って踊るところがもたついていていましたが、19日にはすっきりとしていて、なんといっても富十郎の身のこなしの軽さ、きれの良さが素晴らしく年齢を全く感じさせません。菊之助も楷書という感じですが気持ちのよい踊りで楽しめました。

菊之丞振り付けの「二人椀久」は、松山の出でもあまり幻想的な雰囲気はありません。幸せだったころを思い出して二人で踊るところで、菊之助の顔がずっと憂いにみちていたのがちょっと気にかかりました。

最後が幸四郎の「筆屋幸兵衛」。16年ぶりに上演されたこのお芝居は、河竹黙阿弥作のざんぎり物で、明治維新以後、没落し貧苦にあえぐ元武士の姿を描く珍しいお話です。

妻をなくし、乳飲み子を抱えて、乳をわけてくれる人を捜し歩く幸四郎の幸兵衛。その落ちぶれた感じがよく出ていました。裕福な隣のうちの子供の誕生祝に清元の太夫が招かれてその浄瑠璃が聞こえてくる、余所事浄瑠璃がとても効果的に使われていました。文明開化当時の風俗が見られるのも面白く感じました。

この日の大向こう

この日は会の方は2〜3人で、「筆幸」のときは一般の方だけになりました。数人の方が盛んに声を掛けていらっしゃいましたが、どうしようもない貧しさに苦しんでいる幸兵衛にとても明るく「高麗屋」と声が掛かった時は、もっとお芝居の雰囲気を感じとって声を掛けて下されば良いのになぁと思ってしまいました。

19日は与次郎の母のところへ三味線のおさらいに来た娘おつるを演じた龍之助くんに「萬屋」と声が掛かり、ほとんどの方が吉之丞さんに「播磨屋」と掛けられた中でほほえましく感じました。

歌舞伎座3月夜の部の演目メモ
●近頃河原の達引 藤十郎、我當、秀太郎、吉之丞
●二人椀久 富十郎、菊之助
●水天宮利生深川 幸四郎、秀太郎、壱太郎、

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