大経師昔暦 近松物 2005.11.5

5日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

主な配役
おさん 時蔵
茂兵衛 梅玉
大経師以春 段四郎
お玉 梅枝
番頭助右衛門 歌六

大経師昔暦―おさん茂兵衛のあらすじ
序幕
大経師宅算用場乃茶座敷

京都にある大経師以春の家では、今日は新暦を売りだす日なので朝から皆忙しげに働いている。現れた口うるさい番頭の助右衛門は女中のお玉にかねてから言い寄っているが、お玉が相手にしないので機嫌が悪い。

女主人おさんはお玉にその気があるなら、助右衛門との仲をとりもとうかと尋ねるが、お玉は手代の茂兵衛が好きなのできっぱりとこの話を断る。その後から今度は主人の以春がやってきて、お玉をくどく。以春は前々からお玉を我が物にしようと狙っているのだ。

そこへおさんの実家から母親・お久がなにやら頼み事があって訪ねてきたので、おさんは祝い膳の整った奥の間へと案内する。

手代の茂兵衛が新暦を配りに行った方々の店で祝儀の酒をふるまわれ、ほろ酔い加減になって帰ってくる。お玉は帰ってきた茂兵衛の世話を焼くが、まじめな茂兵衛はお玉の気持ちに気づかない。

そこへおさんが現れ、お久から頼まれたことで茂兵衛に相談をもちかける。実はおさんの実家・岐阜屋道順は店が立ち行かなくなり、家屋敷を抵当に入れて借金した。しかしそれでも間に合わず、二重抵当で金を借りてしまったのが、近頃露見して窮地に陥っている。以春に頼めば何とかしてくれるが、それではおさんに迷惑がかかると、おさんの両親は苦慮しているのだ。

そこでおさんは、当座必要な金一貫目を、茂兵衛の才覚でなんとか都合つけてもらえないかと頼み込む。酔いも手伝って、茂兵衛はこれを簡単に承知してしまう。

とはいえ、これといって当てがあるわけでもない茂兵衛は、無断で以春の判を使って金を借りようと思いつく。ところが茂兵衛が白紙に以春の判をついているところを、番頭の助右衛門に見つけられ、大騒ぎになる。

店中の者が見守るなか、以春は茂兵衛になにか仔細があるのだろうと問うが、茂兵衛はおさんから頼まれたことを言おうとしない。それを見かねたお玉が、それは自分が頼んだ金だと偽りの申し開きをする。ところがかえってこのことが以春の怒りを買い、茂兵衛は隣の空家の二階に閉じ込められる。

二幕目
大経師宅お玉の部屋
同 裏手
その夜、おさんはお玉の部屋へ忍んでいき、茂兵衛のしたことは自分が頼んだためだったと話し、お玉のとりなしに礼を言う。だがお玉は、前から茂兵衛が好きでくどいていたにもかかわらず、振り返ってもらえなかったが、今日茂兵衛が困っているのを見て、今こそ自分の心を知ってもらおうと名乗り出たのだと言う。

おさんは以春が茂兵衛を許そうとしないのを不思議に思う。するとお玉は以春が自分を毎夜のようにくどいていることを打ち明ける。

そこでおさんは今夜もお玉のところへ忍んでくるにちがいない以春を懲らしめようと、お玉と寝間を取り替えることを申し出る。お玉は初め躊躇するが、結局これを承知する。

夜もふけて隣から抜け出してきた茂兵衛が、今日お玉が自分をかばってくれたことへの感謝の気持ちから、お玉の寝間に忍びいる。その後から助右衛門もお玉を襲おうと屋根伝いにやってくるが、「旦那のお帰り」という声に驚き屋根から落っこちる。

その騒ぎで部屋から出てきたおさんと茂兵衛は、はじめて相手を取り違えていたことに気がつくが、すでに後の祭り。思い違いからとはいえ、お主と不義を犯してしまった茂兵衛は申し訳から死のうとするが、おさんがこれを止める。そして死の影におびえつつ、二人してこの家から落ち延びていくのであった。

近松門左衛門作「大経師昔暦」は実際にあった事件を元にして、1715年に書かれた世話浄瑠璃。

上方のお芝居を意欲的に演じている梅玉ですが、このお芝居は四度目で十年ぶりの茂兵衛だそうで、まじめなそうなところが役にぴったり。

おさんのために罪を一人でかぶり死ぬのを覚悟を決め、せめて助けてくれたお春の望みを一度だけでも叶えてやろうと思ったのが、運命のいたずらでおさんと契ってしまうわけですが、駆け落ちする二人は依然として主従だというところが、むごく思えます。

おさんの時蔵は、まだお嬢さんのような世間知らずなところをよく出していたと思います。夫だとばかり思っていた一夜の相手が実は手代の茂兵衛だとわかったときの惑乱ぶりに、色気がありました。

舞台が少しまわって物干し竿が登場し、それに映った二人の影がまるで磔になることを予感させるようなところはとても印象的で、新鮮に感じました。

昼間までは何不自由ない奥さんと、実直な手代以外何の関係もなかった二人が、命がけで駆け落ちしなくてはならなくなるというこの話には、近松のストーリーテラーとしてのすごさをしみじみと感じました。このお芝居は比較的短い話の中に劇的な展開があり、面白かったです。

文楽の世界では近松は最近関西でも人気があるとは言えないと聞きますが、関東風味付けでの今回の上演はなかなか新鮮で面白く、他の近松物、心中宵庚申なども見てみたい気がしました。

上方の役者だけで演じる近松とはだいぶ味わいが違うのでしょうが、鮓屋などすっかり江戸前になってしまった例もあることですし、しっかり者のお玉の梅枝には若女形としての存在感がありましたし、番頭を演じた歌六、以春を演じた段四郎、おさんの母の歌江など、皆が生き生きとして見えました。

幕開きが「日向嶋景清」(ひにむかうしまのかげきよ)。今年の4月に四国の金丸座で試演された松貫四(吉右衛門)が浄瑠璃「嬢景清八嶋日記」を元に書き下ろしたお芝居です。

景清の存在そのものはドラマチックですが、このお芝居はあまり動きもなく、金丸座で見た時はとても地味な印象でした。しかし今回、吉右衛門のセリフの上手さはさすがで、ほとんど一人だけでこのお芝居を最後まで引っ張っていきました。出来としては金丸座よりも良かったと思います。

金丸座で上演された時との違いは、まず金丸座では花道から登場していた景清が、上手揚幕から登場。花道と舞台下手は浪布がしいてあって娘・糸滝の乗った舟は花道から登場します。

こうすると糸滝がぐっと映えますが、金丸座でほの暗い花道から登場した景清の紙燭に照らし出された顔は壮絶な凄みがあったので、ちょっと残念です。景清の隈取りですが、最初は頬骨の下に薄く描いてあるだけでしたが、小屋から出てきた二度目の出には眉尻の上にも描き足して鬼のようにふるまう心を表現し、それと同時に下座が謡になっていました。

糸滝の芝雀は、可憐でしたが同じ娘役とは言いながら演舞場との掛け持ちで大変だろうと思いました。

初め景清に拒否された糸滝たちが里人に様子を尋ねるところでは、廻り舞台がます上手に少し廻り、それから下手に戻り、最後に小屋が真ん中に来ていましたが、これはせわしない印象を与える演出でした。金丸座の廻り舞台は舞台が狭いので使うことが難しいそうですが、動きのないお芝居だからと言って、舞台を動かせばよいというものでもないと思いました。

景清が鎌倉へ行く船はさすがに大きくて立派です。紙芝居のように素朴なあおり返しを使った金丸座上演とちがって、全ての岩が取り払われ舞台全てが海になって正面から姿を現した船の上の景清は、まず平重盛の位牌を海になげ、それから梅の一枝を投げましたが、金丸座では梅だけだったような気がします。

次が「鞍馬山誉鷹」(くやまやまほまれのわかたか)。富十郎の長男・大ちゃんが鷹之資(たかのすけ)を襲名する書き下ろしの狂言。常盤御前に雀右衛門、蓮忍阿闍梨に吉右衛門、平忠度に仁左衛門、喜三太に梅玉という豪華メンバーでのお披露目でした。

富十郎は一人だけ合引を使わず、口上の間はずっと頭を深々と下げっぱなしで、子の行く末を思う父の気持ちが痛いほど感じられました。6歳の新・鷹之資は大勢の楓四天を相手に立ち廻りをしっかりと演じて、暖かい拍手を浴びていました。

それから幸四郎と染五郎親子の「連獅子」。毛振りで前にたらしたまま、ブルブルと振るわせる型を見せたのが珍しかったですが、幸四郎はなんだか疲れ気味のようで、毛振りもすぐに終えてしまって、染五郎がいつも一回多く、二人の息が合っているとはとても言いがたかったです。

この日の大向こう

富十郎さんの一人息子・大ちゃんが鷹之助を襲名した「鞍馬山誉鷹」(くらまやまほまれのわかたか)では新鷹之資君に、今までの「豆天王」改め「若天王」という掛け声が掛かっていました。

会の方3人の他、一般の方も沢山掛かって、6歳の鷹之資君の門出をお祝いするのにふさわしい華やかな雰囲気でした。この日はいつもあまり聞いたことがないベテランの方らしい声も聞こえていました。

「連獅子」を踊った染五郎さんに「染高麗」という声が掛かっていました。一緒に出ているお父さんと区別するためには良い掛け声だと私は思うのですが、多すぎると少々くどく感じます。全体にどのような声が掛かっているかを考えてバランスをとるのも大事かと思いました。

同じように長唄に「里長」と掛かっていたのも、あまり何度もではうるさく感じました。

大経師で番頭の助右衛門を演じた歌六さんに、最初のうち全然掛からず寂しく思いましたが、後半になっての仕どころでスパッと掛かったので、ほっとしました。

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