平家蟹 綺堂の怪奇物 2005.9.27

3日と千穐楽に、歌舞伎座夜の部をみてきました。

主な配役
玉蟲 芝翫
玉琴 魁春
与五郎 橋之助
雨月 左團次

「平家蟹」のあらすじ
―源平の壇ノ浦の戦いの少し前、屋島へ攻め入った源氏の軍に対し、海上の平家方は一艘の舟に玉蟲という上臈をのせ、かざした扇の的を射よと源氏を挑発した。その時那須与一という一人の若武者がその的を見事に射抜いたが、それはまさに平家の命運がつきるという前兆だった。―

平家が滅亡した二月あとのこと、ここは壇ノ浦に近い浜辺。平家の上臈たちの多くは海に身を投げたが、生き残った女たちも道行く人に身を売って、ようやく生きながらえている有様である。

子供たちが蟹を捕らえて遊んでいるところへ、一人の僧が通りかかる。平家滅亡の後現れはじめ、甲羅に憤怒の形相が見えるので平家蟹と呼ばれているこの蟹を、僧はあわれに思い、子供たちに干し飯をやって蟹をいじめないようにと頼む。

この雨月という僧は、かつて弥平兵衛宗清という平家の侍だった。雨月は沈みゆく夕日を拝みながら海のもずくと消えた平家の人々の菩提を弔う。

そこへ玉琴という元平家の女官が行き合わせる。玉琴は扇の的をかざした玉蟲の妹で、二人は命こそ助かったものの、
玉琴は生きるために仕方なく身を売って暮らしているという。気位の高い玉蟲はそのことも決して許そうとしないが、その客としてやってきた那須与一の弟・与五郎に一緒になろうといわれた玉琴は、姉・玉蟲のさらなる怒りをかったのだと涙ながらに訴える。

雨月は後で玉蟲の庵を訪ねようと約束する。

ここは玉蟲の住む庵。夕暮れ時にどこからともなく次々と姿を現した大きな平家蟹に、玉蟲は滅亡した平家の公達の名前で親しげに話しかけ、その姿には鬼気迫るものがある。

ここへ玉琴と与五郎がやってきて、結婚の許しを請い、玉蟲も一緒に下野国へ行かないかと誘う。姉の自分を捨てても与五郎と一緒になりたいという玉琴の本心を知り、玉蟲は急に二人の結婚を許し、今祝言を挙げようと言い出す。

喜ぶ二人に玉蟲は神棚のお神酒で夫婦固めの杯を交させ、自ら祝いの舞を踊る。すると突然二人は苦しみ出す。のたうちまわる二人を
あざけり笑いながら、玉蟲はさきほどのお神酒は、源氏調伏をねがって平家蟹の肉を漬け込んだ毒酒だと告げ、檜扇で二人を散々に打ち据える。

二人はとうとう息絶え、その様子を目撃した雨月は愕然として、手を合わせる。そして玉蟲に向かって
雨月は、生きながら魔道に堕ちた玉蟲を救うことは自分にはとうてい出来ないと言って立ち去る。

われにかえった玉蟲は源氏方が自分を捕らえに来るだろうと不安になるが、そこへ一匹の平家蟹が姿をみせ、玉蟲を案内するかのように浜へと導く。

「浪の底にも都はある」と叫びながら、玉蟲は雷鳴のとどろく荒れた海へと入っていくのだった。

岡本綺堂作の新歌舞伎「平家蟹」は1912年六世梅幸の玉蟲で初演。綺堂は子供の時に読んだ草双紙「西国奇聞月廼夜神楽」の、玉蟲が扇をかざしながら大きな蟹にのって海から現れるという押絵を思い出して、この作品を書いたそうです。(筋書きより)

幕が開くと、あかりが全ておとされ、平家物語絵巻のスライドを見せながら白石加代子のナレーションで那須与一のエピソードが語られたのは、判りやすくしたいという芝翫のアイデアだそうですが、怪談物に合う声で違和感なくお芝居に溶け込んでいました。

音楽は生の演奏ではなくて、笛、鼓、琴、平家琵琶を思わせる音がスピーカーを通して流れていましたが、これもお芝居によくあっていたと思います。

芝翫の玉蟲の姿には、零落した身分の高い官女の誇りがありありと表れていて、「沓手鳥孤城落月 」の淀君を連想しました。盛装した玉蟲が、夕暮れ時に地面から湧き出たかのように次々とあわられた大きな平家蟹に、亡くなった平家の武将たちの面影を見て呼びかけるところは、この芝居でしか見られない怪奇場面。

平家琵琶を思わせる音とともに、次々に7匹現れた蟹はさしわたし5〜60センチくらいの大きな蟹で、差金のような棒の先に固定されていて、電動と手動二つの方法で足の細かい動きが表現されていたようでした。残念ながら私は、この蟹の仕掛けに気を取られすぎてしまったせいか、あまりおどろおどろしいとは感じませんでした。

玉蟲がどんなに源氏を恨んでいるかが判らない与五郎と玉琴が「自分だけ出世しては申しわけない」「一緒に関東へ下ろう」と持ちかけるにいたって、玉蟲の憎悪がついに頂点に達し実の妹とその恋人を毒殺してしまうくだりは、息もつかせない展開で目が離せませんでした。

最後に玉蟲が海へ入水するところでは、玉蟲が浜へ移動するにつれ舞台が廻って、みるみるあたり一面荒れた海になり、雷鳴の中でしぶきが飛びはげしく波立つ有様はとてもリアルで迫力がありました。

玉琴を演じた魁春は、はかなげなところがぴったり合っていました。与五郎の使いが呼びにくると、飛び立つようにいそいそと走り出した玉琴が転んでしまったのも(3日)、お芝居のうちかと思うほどでした。

橋之助の与五郎は誠実そうなところはよかったですが、苦しみのたうちまわりながら言うセリフの調子がずっと高かったのは単調に感じました。左團次の雨月は、この芝居では狂言廻しというところですが、子供たちとのおだやかなやりとりが、後の凄惨な展開を際立たせていました。

次が吉右衛門が8年ぶりに演じる「勧進帳」。吉右衛門の弁慶は声の高低をたくみに使い分け、上手いセリフ廻しで堪能させてくれました。私は吉右衛門が高い声を限界近くまで張ったのを初めて聞いたように思います。花道で「いかに弁慶」という義経の第一声に「はぁ〜」と答える呂の声にも、充実感があり頼もしく聞こえました。

3日に聞いた時は、この高音のがんばりようでは最後までもつかなとちょっと不安になりましたが、千穐楽では高い声がかすれていたものの、調子を落とさなかったのは立派だと思います。

踊りもユーモラスな持ち味が生きていて、懐の深さを感じました。飛び六方の引っこみも豪快そのもので、爆発的エネルギーを必要とする荒事の魅力を心ゆくまで味あわせてくれた弁慶でした。

富樫は富十郎。富十郎の声の高さと吉右衛門の声の高さのバランスが絶妙で、問答が非常に面白く感じられました。富樫が「そこなる強力、止まれとこそ」と刀を構えるところでは、刀の先端が後ろにすっきり出ていて、形がとても綺麗でした。富樫が引っ込むときの泣き上げは、後ろを向いてしまうので、顔が見えなかったのはちょっと残念に思いました。

今回の四天王は、玉太郎の亀井六郎、種太郎の片岡八郎、吉之助の駿河次郎、由次郎の常陸坊海尊といういつもとは少し違ったメンバーで、特に種太郎はまだ少年といったほうがいいほど飛びぬけて若いのが目立ちましたが、一生懸命演じていて好感がもてました。

福助の義経は、美しい御曹司でしたが、声をかぶせるように抑えるのがちょっと不自然に聞こえました。

最後が「忠臣蔵連理の鉢植」通称「植木屋」。歌舞伎座では48年ぶりに上演されるという珍しい狂言で、梅玉が上方和事の弥七を演じました。梅玉はもともと上方の名跡ということ。最近上方和事の芝居に意欲的な梅玉の弥七には、和事らしい柔らかい雰囲気がありました。11月の大経師も楽しみ。

このお芝居、最初からじゃらじゃらと痴話喧嘩ばかりしているのに、恋人の弥七に仇討ちを成就させるため自ら師直の妾になった時蔵のお蘭の方が、弥七に師直の屋敷の絵図面を渡したあと、駕籠の中で自害するという思いがけない結末にはびっくりしました。

太四郎の妹・お新を演じた梅枝の声がしっとりしていて好ましく、古風な女形になってくれるのではと期待しています。

この日の大向こう

3日は「平家蟹」の時は、あまり声が掛かりませんでした。中にお一人、最初から終わりまで明るい声を掛けられる方がいらして、怪奇物にはまるで雰囲気が合っていませんでした。

「勧進帳」になると掛け声もどっとふえ、会の方も8人みえていたとか。大向こうにとっても「勧進帳」は人気の演目のようです。

千穐楽には一般の方も「勧進帳」で沢山声を掛けられ、多い時には2〜30人の声が聞こえたように思います。富十郎さんの富樫は「名乗り」を憂えているかのようにとても抑えた調子で言い、最後に一箇所だけ「方々きっと」と思いっきり高くはりましたが、このとき多くの方から揃って「天王寺屋」と声が掛かりました。

しかしながらあまりにたくさん声が掛かると、ここというところの前からバラバラと掛かってしまい、なんとなくしまりのない時もありました。

長唄の「ついに泣かぬ弁慶も、一期の涙ぞ殊勝なる・・・」の前の、吉右衛門さんのセリフがまだ終わらないうちに「まってやした」と掛けた方がいらっしゃいました。まっていたという気持ちも判らなくはないですが、この長唄の聞かせどころは、静かに耳を傾けたいものだと思います。


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