平家蟹 綺堂の怪奇物 2005.9.27 | ||||||||||
3日と千穐楽に、歌舞伎座夜の部をみてきました。
「平家蟹」のあらすじ 雨月は後で玉蟲の庵を訪ねようと約束する。 「浪の底にも都はある」と叫びながら、玉蟲は雷鳴のとどろく荒れた海へと入っていくのだった。
岡本綺堂作の新歌舞伎「平家蟹」は1912年六世梅幸の玉蟲で初演。綺堂は子供の時に読んだ草双紙「西国奇聞月廼夜神楽」の、玉蟲が扇をかざしながら大きな蟹にのって海から現れるという押絵を思い出して、この作品を書いたそうです。(筋書きより) 幕が開くと、あかりが全ておとされ、平家物語絵巻のスライドを見せながら白石加代子のナレーションで那須与一のエピソードが語られたのは、判りやすくしたいという芝翫のアイデアだそうですが、怪談物に合う声で違和感なくお芝居に溶け込んでいました。 音楽は生の演奏ではなくて、笛、鼓、琴、平家琵琶を思わせる音がスピーカーを通して流れていましたが、これもお芝居によくあっていたと思います。 平家琵琶を思わせる音とともに、次々に7匹現れた蟹はさしわたし5〜60センチくらいの大きな蟹で、差金のような棒の先に固定されていて、電動と手動二つの方法で足の細かい動きが表現されていたようでした。残念ながら私は、この蟹の仕掛けに気を取られすぎてしまったせいか、あまりおどろおどろしいとは感じませんでした。 玉蟲がどんなに源氏を恨んでいるかが判らない与五郎と玉琴が「自分だけ出世しては申しわけない」「一緒に関東へ下ろう」と持ちかけるにいたって、玉蟲の憎悪がついに頂点に達し実の妹とその恋人を毒殺してしまうくだりは、息もつかせない展開で目が離せませんでした。 橋之助の与五郎は誠実そうなところはよかったですが、苦しみのたうちまわりながら言うセリフの調子がずっと高かったのは単調に感じました。左團次の雨月は、この芝居では狂言廻しというところですが、子供たちとのおだやかなやりとりが、後の凄惨な展開を際立たせていました。 3日に聞いた時は、この高音のがんばりようでは最後までもつかなとちょっと不安になりましたが、千穐楽では高い声がかすれていたものの、調子を落とさなかったのは立派だと思います。 今回の四天王は、玉太郎の亀井六郎、種太郎の片岡八郎、吉之助の駿河次郎、由次郎の常陸坊海尊といういつもとは少し違ったメンバーで、特に種太郎はまだ少年といったほうがいいほど飛びぬけて若いのが目立ちましたが、一生懸命演じていて好感がもてました。 最後が「忠臣蔵連理の鉢植」通称「植木屋」。歌舞伎座では48年ぶりに上演されるという珍しい狂言で、梅玉が上方和事の弥七を演じました。梅玉はもともと上方の名跡ということ。最近上方和事の芝居に意欲的な梅玉の弥七には、和事らしい柔らかい雰囲気がありました。11月の大経師も楽しみ。 このお芝居、最初からじゃらじゃらと痴話喧嘩ばかりしているのに、恋人の弥七に仇討ちを成就させるため自ら師直の妾になった時蔵のお蘭の方が、弥七に師直の屋敷の絵図面を渡したあと、駕籠の中で自害するという思いがけない結末にはびっくりしました。 太四郎の妹・お新を演じた梅枝の声がしっとりしていて好ましく、古風な女形になってくれるのではと期待しています。 |
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この日の大向こう | ||||||||||
3日は「平家蟹」の時は、あまり声が掛かりませんでした。中にお一人、最初から終わりまで明るい声を掛けられる方がいらして、怪奇物にはまるで雰囲気が合っていませんでした。 「勧進帳」になると掛け声もどっとふえ、会の方も8人みえていたとか。大向こうにとっても「勧進帳」は人気の演目のようです。 千穐楽には一般の方も「勧進帳」で沢山声を掛けられ、多い時には2〜30人の声が聞こえたように思います。富十郎さんの富樫は「名乗り」を憂えているかのようにとても抑えた調子で言い、最後に一箇所だけ「方々きっと」と思いっきり高くはりましたが、このとき多くの方から揃って「天王寺屋」と声が掛かりました。 しかしながらあまりにたくさん声が掛かると、ここというところの前からバラバラと掛かってしまい、なんとなくしまりのない時もありました。 長唄の「ついに泣かぬ弁慶も、一期の涙ぞ殊勝なる・・・」の前の、吉右衛門さんのセリフがまだ終わらないうちに「まってやした」と掛けた方がいらっしゃいました。まっていたという気持ちも判らなくはないですが、この長唄の聞かせどころは、静かに耳を傾けたいものだと思います。 |