「毛抜」 團十郎のいる幸せ 2005.4.19 |
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10日、歌舞伎座夜の部へ行ってきました。
「毛抜」のあらすじはこちらをご覧下さい。 昨年5月海老蔵襲名公演なかばに病気で倒れてから約一年ぶりに歌舞伎座に復帰した團十郎が、歌舞伎十八番の「毛抜」の粂寺弾正を演じました。 先日昼の部で「京鹿子娘道成寺」の「押戻」で力強い團十郎の姿を見てはいましたが、最初からほとんど出ずっぱりの大役・粂寺弾正ははたしてどうだろうかと思っていました。 粂寺弾正の寝そべって頬杖をついたり、後ろ向きになって足を投げ出したり次々といろいろな形の見得をする時に、少し身体の切れが悪くもたついていたように思いましたが、弾正の愉快でおおらかで堂々たる豪傑ぶり、男色を含めたいやみのない好色ぶりなどが團十郎ならではで、大変楽しい舞台でした。 弾正の顔も目の上に幅広くうっすらと紅をぼかしたところが美しくて、いつも思うことですがこういうところに團十郎の絵画的センスを感じます。 十一代目團十郎が復活したという、緑と黒に大きな海老茶色の寿の字海老模様の裃(裏地は赤)を前回見たのは5年前でしたが、團十郎もしくは海老蔵しか、このいかにも歌舞伎らしい派手さとエネルギーあふれる衣装を着ることはないわけで、見られてラッキーだったと思います。 八剱玄蕃を演じた團蔵も持ち味にぴったりの凄みのある敵役ぶりで、團蔵には時代物をもっと演じて欲しいです。 海老蔵がいつもは省略される勅使入来で登場。端正な姿を見せ、雨乞いのために「ことわりや」の短冊を帝に差し出すように命じられた小野家の苦悩がよく理解でき、よかったと思います。 現在歌舞伎界に当代團十郎がいて、あれほど素晴らしく荒事を具現化して見せてくれるという嬉しさにしみじみと浸った宵でした。 勘三郎襲名口上では先月出演を自粛した七之助が出ていて注目を集めました。勘太郎、七之助の兄弟に触れる口上が多く、そのたびに二人揃って頭を下げていたのが印象的でした。七之助は「籠釣瓶」で台詞の少ない初菊一役を真面目につとめていました。 最後が「籠釣瓶」。吉原見染の場ではいつもは揚幕から九重、正面奥から八ッ橋の二人が花魁道中を見せますが、今回は襲名公演をさらに華やかにするためか3組の花魁道中が出、まず最初に上手揚幕から勘太郎の七越一行が出てきて下手に入って行きました。 その間次郎左衛門と治六は下手に引っ込んだり、時間的な調整をしていたようですが、八ッ橋とぶつかる段取りがちょっと不自然な感じでした。 玉三郎の八ッ橋は圧倒的な美しさで、花道でのなぞの微笑みも品がありました。縁切りを言い渡した後で廊下に出てからの苦悩する風情が印象的でした。 勘三郎の次郎左衛門は人柄が良いという感じで、仲間の商人たちに八ッ橋のことを「これは売り物買い物だから、私がこない時にお買いなさい」という台詞にいやらしさや傲慢さがあまり感じられませんでした。 段四郎の治六が理不尽にも恥をかかされた主人のために八ッ橋にくってかかろうとするとき、次郎左衛門が「ひっこんでろい。だまってろい。」と繰り返して言うところが、とても良いと思いました。先代幸四郎の次郎左衛門の録音を聞くと、ここがとてもなんとも言えず上手くて好きなところなのです。 再び吉原に姿を見せた次郎左衛門が恨みをこめて八ッ橋に切りかかるところでは、着物の裾を乱して飛び掛り一刀のもとに切り殺すところには狂気のような恐ろしいほどの迫力を感じました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||
日曜日の夜だということで、会の方も6人見えていて、順当に声が掛かっていました。 特に籠釣瓶ではたくさんの声が掛かり、幕切れの「籠釣瓶は・・・良く切れるなぁ」には10人以上の声が聞こえたように思います。「十八代目」というのが長すぎるとお考えの方もいらっしゃるようで、「十八代」という声が目立ちました。 |
壁紙:まなざしの工房 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」